科学で解明しつつある古代の智恵

統合医療系の学会に参加すると、たまに突飛なことを言う先生方がおります。
外科系の学会とはかなりの違いです。 

 

先日米国の学会でインド人が、

「世界最初の飛行機は、7000年前に古代ヒンドゥー教の賢人によって作られた」

と発言したことで多くの科学者たちを困惑させ、

http://www.washingtonpost.com/blogs/worldviews/wp/2015/01/04/indians-invented-planes-7000-years-ago-and-other-startling-claims-at-the-science-congress/

 

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別の科学会議ではインド科学技術大臣が「ピタゴラスの定理を発見したのは、ギリシャ人ではなくインド人である」と発言。

学会の場での科学と神話を混合するインド関係者の発言に対し、米国などの科学者からは反発が強まっており、署名運動にまで発展しました。

 

ここで古代の智慧が現代の科学会議の席上で反発を受けているのは、現代科学の土台としているエビデンスがないからです。

現代の科学では、自分勝手な妄想を排除するために、エビデンスがないものは、正論として認めることができないのです。

 

エビデンスを土台とする科学は、一歩一歩確かな技術を積み重ねる点で最も堅実かつ確実な方法です。それによって偽科学や意図的な捏造、そして個人の妄想が排除されてきました。

しかしながら、いまだ未熟な科学で証明できない領域に関しても、場合によっては偽科学扱いにされ、認められないことを意味しています。

 

昔、隕石を発見した学者が学会で発表した際に、

他の学者たちから「空に石など浮かんでいないのに降って来るという考えは非常識だ。」と非難を浴びて変人扱いされたという話を思い出します。
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ガリレオが、地球が太陽の周りを回っているという古代ギリシャのアリスタルコスやコペルニクスの地動説を証明したことで異端者とされて裁判になった話も有名です。

しかもこれより遥か昔のマヤ文明では、火星や金星の正確な軌道までも把握されていたのです。
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イタリア出身の哲学者ジョルダーノ・ブルーノは、

コペルニクスの地動説を擁護したことで有名ですが、

その理論が当時のキリスト教に反することであったために、火刑に処せられました。

ブルーノは、自著「無限・宇宙・諸世界について」De l'infinito universo et Mondiの中で

「触れることも、見ることもできないという理由だけでその存在が否定されるのであれば、実体の存在を否定することになる。」

と述べています。

彼のこの信念は、火炙りの刑を宣告されてもなお曲がることがありませんでした。

 

西アフリカのマリ共和国の断崖に住むドゴン族は、
西洋の天文学者がまだシリウスBの存在すら発見していない頃に、
その星の軌道についての知識を持っていました。

それでも、その事実をフランスの人類学者マルセル・グリオールが発見するまでは、未開の原始人のたわごとと見なされていたのです。
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科学だけですべての事象を説明する習慣にせずに、それに加えて、実際に起こっている事実を先入観や偏見なしによく見てみるという重要なことを思い起こさせます。

 

現在の科学ですべてが説明できないものの方が遥かに多い中においては、
まず
科学で証明出来ない事象が存在するという事実があることを謙虚に認識することは、
たとえ科学的ではなくても、必要だと思います。

 

例えば、

恋愛中の人に科学的な分析をすることによって、物理的な脳波のパターンや心電図の変化、血液中のホルモンレベルの変化が「科学的」に認識されます。

しかしながら、同時に恋愛中の人は、科学では認識されない「非科学的」な幸福感や胸のときめき感、愛がハートに溢れてくる様子を感じます。

この胸のときめきの全容や愛がハートに溢れる現象を科学的には正確に認識することは出来ません。

でも、これはどちらも大切な事実です。

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 一つの植物を研究する時に、そこから成分を抽出して、分析し、一つ一つの成分の生体への作用を調べることは可能です。

しかしながら、その植物全体の本質は、バラバラに分解されて分析された結果からは見えてきません。

 

このように、

複数の面から確かな情報であるという現代科学では証明できない事象があれば、
それらを慎重に加味して統合して考えることは、
科学的なエビデンス以外をすべて排除するという方法だけに限定するよりも、
理に適っています。

 

最新の科学で注目すべき点の一つとして、不可視の領域・精神領域を重要視する動きが出てきたことです。

 

「万物の理論Theory of Everything」を著したケン・ウィルバーは次のように述べています。

「ギリシャ語にはKosmosという美しい言葉があり、それは物理的・感情的・精神的・霊的なすべての領域を網羅した全体を意味しています。

しかしながら、現代では眼に見える物質的な宇宙cosmosだけを対象にしてしまっています。」

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Kosmosは、人生が内的経験と外的経験は等しく重要であるということを認識させてくれますが、
それが時代と共に物質偏重の傾向から、目に見える部分であるcosmosだけが正統であるかのように思われています。

これからは科学と哲学のような非科学的分野を分離するのではなく、統合して考える必要があるのはないかと思います。

両者は、もともとは不可分の存在であり、一つのものですから。

 

ノーベル生理・医学賞受賞の生理学者シャルル・リシェーは、
「形而上学は、正式には科学として認められていない。いつの日かそうなることであろう。 我々の知覚手段には五官だけではなく、現実の現象のあるものは他の手段を通して知覚されることもある。」
と言いました。

 

 

私のヨガの師の師であるインドの聖者スリ・ユクテスワ大師は、

「医学を勉強した者は、さらに進んで魂の科学を研究すべきである。人間の肉体構造の背後には精妙な霊的構造が隠されているのだから。」

と述べています。(あるヨギの自叙伝;森北出版より出典)

 

「現代の物理学と東洋の神秘思想は驚くほど似ており、物理学者と東洋の神秘思想家のどちらが言ったことなのか区別できない発言によく遭遇する。」 ある著名な素粒子物理学者の話

 

チベットの最高指導者であるダライラマ14世は、
「科学者は内的なことをさらに学ぶ必要があります。古代インド哲学は、現代科学にとって非常に役に立つのです。」
と述べています。

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確かに古代に直観で高次の次元から得られた聖賢たちの残した智恵を、現代の最先端科学と融合させることは理想的です。

 

聖賢たちの残した聖典が活用されない理由の一つとして、

現代の発展途上の科学では証明することの出来ない、その内容の深遠さがあります。
 

私たちの社会は、いまだこの物質世界と言う制約に囚われとままの状態で、科学技術的にも、霊的にも、あまりに未熟であることを認めざるを得ません。

 

最近の科学技術の進歩によって、古代から伝えられてきた智慧の裏付けが進み、様々な技術が見直されています。

 

私たちは、最も身近な存在である古代の知識や神話について、多くの真実は見抜くことが出来ず、単に見過しています。

 

まだまだ古代の智慧についての膨大な秘密が眠ったままですが、

科学技術の発展と同時に精神的霊的な理解が芽生えつつある現在、

高次元の大師たちによって完璧に計画された絶妙のタイミングで

世界各地の科学者にインスピレーションとして智恵のヒントが大師たちから与えられ、

人々が理解できるペースで少しずつ古代の智慧の秘密が解かれ始めています。

 

人の意識の焦点は表在意識にありながら、
1時間に数回から十数回は深い意識の領域に繰り返し入っています。

あまりにスムーズに移行するのでほとんどの人は気づいていません。
 

表在意識と繋がる深い意識領域にインスピレーションを与えられることによって、表在意識に持ち帰ることが出来ます。
それが
ひらめきという言葉で表現されています。

こうした計画の元で、高次元の知識が、不断の努力を重ねる研究者たちのひらめきを介して、地上に授けられ、古代の知恵の解明が進んでいるのです。

 

さらに最近は、古代の知恵を復活させることが出来る様々な特殊能力を持った人々が現れ、

ほとんどの方は公には出てきませんが、

各々が完璧なタイミングの元で活動を開始し始めています。

 

私の知り合いにも特殊能力者の方々がおりますが、とても正確な透視が可能で、

それぞれの得意分野や読み取る波動に特徴があります。

それは医療が各専門分野に分かれているように、各々役割があり、

さらに個人の采配を超えた高いレベルにおいて繋がり、協動し合う形となっています。

 

このような科学技術の発展と霊性を融合させる大師たちのこの計画の全貌を、壮麗な美しい芸術作品のように感知できる人もいます。

このようなことは、個人の妄想と紙一重ですから、他の人が信じる必要は全くありません。
「頭で考えることよりも、身体で経験することの方がはるかに正確だからです。」

でも、世界は見えない所で発展しているのは確かです。 

 

こうして今は科学的にも非科学的にも、この世界のあらゆるものはすべて光で形成されているという見解に至っています。

これが新しい世界のスタート地点です。
 

これから、いままでの常識が大きく転換する事象がたくさん起こるでしょう。

 

私たちは、いつでも頭も心も柔軟でいたいものです。

 

今日もありがとうございました。

 

 


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