この子たちは、ダンボールに入れてゴミの日に捨てられていた子供たち。
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とっても、かわいい。

この子たちもダンボールに入れられて、捨ててあった子猫たち。
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かわいすぎる。
 
皆、無事に里親が見つかり幸せになりました。

今は動物愛護管理法が施行されています。
愛護動物を虐待したり捨てることは犯罪です。
犯罪ですから違反すると、懲役や罰金に処せられます。

愛護動物をみだりに殺したり傷つけた者
2年以下の懲役または200万円以下の罰金
愛護動物に対し、みだりにえさや水を与えずに衰弱させるなど虐待を行った者
100万円以下の罰金
愛護動物を遺棄した者
100万円以下の罰金
当院でも病院周囲には監視カメラで24時間録画して、捨てる人を特定しています。 



さて、
週刊新潮の冗談新聞にこのような記事が掲載されていました。 
面白ニュース2_ページ_1週刊新潮
捨て老人たちが山で繁殖して、生態系への影響を懸念・・・。
でも昔は、犬猫のように本当に「人を捨てる時代」もあったようです。


今日は、そんな時代の話から始めたいと思います。
1687年に施行された徳川綱吉の生類憐みの令
800px-Tsunyaoshi土佐光起 - ウィキメディア・コモンズ 
 
この法令の大筋は
「病人や高齢者、幼児を野山に捨てることを禁じ、
貧困などで飼育していた犬や馬牛などを捨てる場合には、役所へ届け出なければならない。
さらに生けるものすべてを尊重すること。」
というもの。

現代的に要約するとこんな感じです。(この部分は無理に読まなくて結構です)

覚え
一、捨て子をみつけたらまずは、その場所にいる者がいたわり、養うか、里親となるものを探すこと。
一、鳥類や家畜などで、人によって傷つけられたものは届け出なさい。共食いや自然なケガに関しては届け出の必要はない。それらをいたわり、持ち主がいれば返すこと。
一、飼い主がいない犬にも優しく接し、いたわること。
一、飼い犬が亡くなった場合、飼い主は役人へ届け出る。その死に異常がなければ、それ以上の届け出の必要はない。
一、犬に限らず、人々はすべて生き物へ慈悲の心からでる憐みをほどこすことがとても大切である。
 以上


昔は歴史の授業では、犬バカが作った法律のように誤解誇張されて、天下の悪法と誤解される面もありました。
この法令は、
人や犬や牛馬だけではなく、
鳥や魚貝類・虫などの生き物など、
ありとあらゆる動物が対象です。

当時の時代背景では、人の命をはじめとして、動物すべての命を軽く見る風習があり、
それに憂いた徳川綱吉が、無慈悲な殺生を慎むために呼びかけたのが始まりです。
 
もともと日本は、すべての生き物の中に神が宿るとされ、
大切に扱う民族のはず。
それが、時代の流れの中で、
命を軽く扱うようになってしまっていたのです・・。


綱吉公は、政治家としても有能で、
新しい政策によって、幕府の財政基盤を確立して、
「天和の治」と呼ばれるまでに至った有能な将軍。
 
生類憐みの令も、当初は呼びかけのようなものだったものの、
誰もちゃんと守る気がなかったことから
次第に細かく法律化し、
最終的には60以上の規則が作られていったようです。
 
でも、
この法令は、人々に生き物の命の大切さを知らしめるためのものであり、 
実際には厳罰に処する例はとても少なかったそうです。
でも 
残念ながら、民衆の間に、命を大切にするという真意が十分に伝わったとは言い難い結果となりました。
そのため、綱吉公が亡くなってすぐにほぼ廃止になりました。
 
が、それでも一番の骨子の一つでもある「捨て子対策」は受け継がれました。
廃止になった後も、
この法令は、人々の心に残り、
「生類憐みの令」に含まれた「命を尊重する」という良い影響は後世まで残ったと思います。




先日アメリカ先住民ナバホ族のある方が来日した際に一緒に食事をしました。
彼は
「日本では犬が病気したら、どうするのか?」と聞くので
「原因を見つけて、治療する」と答えました。
すると彼は、
「うちのコミュニティでは、犬が病気になったら、いらないから殺すよ。治療するより簡単なんだ。」
という答えでした。
意外な答えに、驚いていると、
「祖母から、必要のない生き物は、殺すと習って育ったからね」
と言うのです。
そして「日本では、ハムスターも小鳥も治療する」と言ったら、
大笑いされました。
 
これも、やはり自分たちの土地を追われ、民族の伝統を奪われ、自分たちが生きていくのに必死だったという背景があるのだと思います。

もちろんこういった先住民ばかりではありません。
でも、
綱吉公が嘆いていた頃の、病人や高齢者、幼児を平気で野山に捨てていた頃の日本人と同じなのでは、と思ってしまいます。
皆、罪の意識はないのです。
誰かが、命を大切にしようよ、と言わなければ気づけない状況。





アイガー初登頂で知られるオーストリアの登山家ハラー氏が7年間チベットで過ごし、
14歳という若い頃のダライ・ラマとの交流した時の実話を描いた映画があります。
「セブンイヤーズ・イン・チベット」。

c5a68b3bcb88767d2783TriStar Pictures

この映画の中で、チベット人の命に対する考えがよく表れているシーンが出てきます。
家を建てる現場を整地していると、一匹のミミズが出てきます。
そのミミズの命に配慮して、工事は中止になってしまいました。
工事を続行すれば、この土地に住むミミズの命を奪うことになるかもしれないからです。


このように、
時代や地域、そして人々の認識の違いによって、命の価値に大きな差があります。


綱吉公は、当時の命の尊さを軽視する風潮に憂い、
日本人の高い意識を再び呼び起こす大きな役割をしたと思います。


「山川草木悉皆成仏」
日本には古来より
自然界のすべてのものにはそれぞれ仏の心が宿っている
という和の民族の考えがあります。
私たちを含めた動物や植物、鉱物などすべてに共通の源からくる波動が宿っているとして,
互いの波動を尊重し調和するという生き方を実践する和の心。

この心があれば
草木や花々、鉱石、光などの自然界の万物に内在する波動の存在とその美しさを感じることができるようになります。

もし私たちがその美しさや尊さに気づかなければ,それらは全く意味のないもののように思えてしまいます。
一方で、
深い愛情をもってすべてのものに接したら、
すべての存在は私たちと繋がり、
心と心がつながっている大きなネットワークに気づくことでしょう。

「私たちはすべて繋がっている」


今日もありがとうございます。

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