アサリのお味噌汁。

さて、
このアサリたちは何歳くらいなのでしょう?
小さな貝の年齢を気にする人はあまりいません。
よくお味噌汁や料理に入っている貝はどのくらい生きていたのでしょうか?
これはナショナルジオグラフィックからの記事です。
NationalGeografic.com
この貝は、「ホンビノスガイ」。
2006年にアイスランド沖で採取してきた200個の貝のうちの一つです。
よく普通に日本のスーパーでも売っている食用にされる一般的な貝です。
英国バンガー大学の研究チームが、この貝の年齢を分析してみたところ、
意外にも、
507歳であることが判明しました。
それで最初、507歳の貝を年齢を調べるために貝を開く時に殺してしまったと誤解され、非難を浴びてしまったのです。
実際には、船で研究用に無作為に貝を採取した時点で凍らせており、
その凍らせた時点で、貝は亡くなりました。
誰もまさかこの食用の小さな貝が507歳だとは思いもよらなかったのです。
いずれにしても、調査のために、507年の命を絶ってしまったことは事実ですが。
この種類の貝では、毎年一本ずつ貝殻の年輪が増えるために、年輪を数えることで年齢がわかります。
この貝はMing(明)と名付けられました。
この小さなMingが生まれた時代は、中国で明王朝だったからです。
レオナルド・ダ・ヴィンチがモナリザを制作していた頃、
このMingさんはすでに海の中で暮らしていたことになります。
今回は貝を無作為に拾っての寿命調査でした。
実際には、さらに多くの貝が、もっと長寿であるのでしょう。
私たちは、命を頂いて、命を繋いでいる。
これは食事のたびに心に留めておくべきこと。
私たちは、ついこんな当たり前のことを何も考えずにやり過ごしてしまいます。
曹洞宗を開祖した道元禅師は、24歳で中国に渡り、28歳で帰国しました。
帰国後にまず述べた言葉は、
「空手還郷(くうしゅげんきょう)」、
「眼横鼻直(がんおうびちょく)」
という言葉でした。
空手還郷は、何も持たずに帰ってきた。
眼横鼻直は、眼は横につき、鼻は縦についている。
つまり、
当たり前のことに、心を込める、
そこに道があるということです。
私たちが当たり前に食べている食事。
これも、命を頂いていることを、毎回心して、いただく。
こういう日常の当たり前の行為に心を込める
当たり前のことに心を寄せる
それが
霊性進化の近道なのでしょう。
たった一杯のお味噌汁の中に入った貝にも尊い命があります。
もしかしたら、自分よりも年上の貝なのかもしれないのです。
そう思うだけでも、感謝の気持ちが、より強くなります。
この記事が気に入りましたら、
是非「食べるということ ロブスター・エビ編 命の大切さと五観の偈」もご参照ください。
今日もありがとうございます。
ブログランキング参加しています。
貝の寿命の話が興味あった方は
ぽちっと
お願いいたします。

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このアサリたちは何歳くらいなのでしょう?
小さな貝の年齢を気にする人はあまりいません。
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この貝は、「ホンビノスガイ」。
2006年にアイスランド沖で採取してきた200個の貝のうちの一つです。
よく普通に日本のスーパーでも売っている食用にされる一般的な貝です。
英国バンガー大学の研究チームが、この貝の年齢を分析してみたところ、
意外にも、
507歳であることが判明しました。
それで最初、507歳の貝を年齢を調べるために貝を開く時に殺してしまったと誤解され、非難を浴びてしまったのです。
実際には、船で研究用に無作為に貝を採取した時点で凍らせており、
その凍らせた時点で、貝は亡くなりました。
誰もまさかこの食用の小さな貝が507歳だとは思いもよらなかったのです。
いずれにしても、調査のために、507年の命を絶ってしまったことは事実ですが。
この種類の貝では、毎年一本ずつ貝殻の年輪が増えるために、年輪を数えることで年齢がわかります。
この貝はMing(明)と名付けられました。
この小さなMingが生まれた時代は、中国で明王朝だったからです。
レオナルド・ダ・ヴィンチがモナリザを制作していた頃、
このMingさんはすでに海の中で暮らしていたことになります。
今回は貝を無作為に拾っての寿命調査でした。
実際には、さらに多くの貝が、もっと長寿であるのでしょう。
私たちは、命を頂いて、命を繋いでいる。
これは食事のたびに心に留めておくべきこと。
私たちは、ついこんな当たり前のことを何も考えずにやり過ごしてしまいます。
曹洞宗を開祖した道元禅師は、24歳で中国に渡り、28歳で帰国しました。
帰国後にまず述べた言葉は、
「空手還郷(くうしゅげんきょう)」、
「眼横鼻直(がんおうびちょく)」
という言葉でした。
空手還郷は、何も持たずに帰ってきた。
眼横鼻直は、眼は横につき、鼻は縦についている。
つまり、
当たり前のことに、心を込める、
そこに道があるということです。
私たちが当たり前に食べている食事。
これも、命を頂いていることを、毎回心して、いただく。
こういう日常の当たり前の行為に心を込める
当たり前のことに心を寄せる
それが
霊性進化の近道なのでしょう。
たった一杯のお味噌汁の中に入った貝にも尊い命があります。
もしかしたら、自分よりも年上の貝なのかもしれないのです。
そう思うだけでも、感謝の気持ちが、より強くなります。
この記事が気に入りましたら、
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コメント
コメント一覧
霊性の進化とか悟りを得るためにどこか遠くの特別な場所へ行く必要はなく、目の前にある
日常のあらゆるものの中に神性を見出し、それをただ当たり前のこととしてやる。
食事を作るのも食べるのも、拭き掃除も、心を込めることですべてが修行の場でした。
昔の日本人は、少なくとも祖父母の代ぐらいまでは、そのことをよく知っていたように思います。
そういう日本人のメンタリティーをとみに愛おしく感じるこの頃です。(って誰だ、私は)