前回までに
「 老齢の脳と思考の関係」
「老化の本当の意味とエネルギー 」
「死の真相 1/5」
「死の真相 2/5」
を書きました。

続きです。
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今回は、
肉体からエネルギー体が完全に分離する「死」

いわゆる一般的な
「死」についてです。


私もいままでに、
とてもたくさんの「死」の瞬間に立ち会い、
時には死の瞬間に自分の胸の中に抱きしめながら、
時には傍らにいて撫でながら、
エネルギー体が肉体から抜けていくさまを、
繰り返し体験してきました。




先日ぴっぱちゃんが19歳目前で旅立っていった時には、
二ヶ月前から旅立ちの準備が始まりました。
それは
生まれてきたときにお母さんのお腹の中で準備した期間と同じ二ヶ月。
旅立ちの前日には、
はっきりと翌朝に旅立つことがわかりました。

一晩中一緒に付き添いました。

朝になって皆に挨拶してから
穏やかに逝きました。
ぴっぱちゃんは、
理想的な逝き方を示してくれました。
「ぴっぱちゃん逝く」




肉体的な死について、
人の死と
動物の死について
当ブログでも何度か書いています。
一部抜粋してみます。
「ラストダンス」

まずは、
ラストダンスからの抜粋です。

動物の死は、
花びらが自然と落ちるように
自然に受け入れ、
天国へと旅立ちます。

動物には、
肉体的な苦しみはあっても、

人のような、精神的な恐怖や苦しみは感じられません。

人は、生きているうちに多くの執着を身につけてしまいます。
その執着と欲望が、
死に対する苦しみの元になっているのは明らかです。


動物には、人のような過剰な欲望はありません。
だから、
死の床では恐怖心は無く、
穏やかになります。

開花し終えた花が、落ちるように、自然な死。
生から死への、
とても自然な、
美しい移行。


動物のような自然な死、穏やかな死を迎えられたら
どんなにいいでしょう。


人は、
人生の中で、過剰な欲望から執着が生まれます。

そして、
コツコツとその執着を貯金のように貯めていき、
自分の物、自分のお金、自分の土地、、、、
所有欲を満たし始めたら、
もう自分ではそれを放棄することは難しくなります。

それらを失う恐怖が、死への恐怖へと繋がるようになります。


だから、
死を恐れる人は、
生も怖れるようになります。

あらゆる執着が断ち切れないからです。

高次の自分は死を迎えるに当たり、
少しずつ準備をしています。

でも
自我がそれを認めようとしない。

それは
籠の中で飼われた小鳥が、
空へ向けて扉を開けても、
空に向かって羽ばたくのを怖れて、
籠の中から出てこないようなもの。


死は、
人に溜めこんだ負のカルマの原因である執着を
綺麗に取り去る最後の神の計らいです。



でも、そういった執着をゆっくりと和らげるために、
そして、肉体的な関心から精神的なものへの関心へと
自然な形で移行するために、
老化という現象が起こります。




人が死を迎える時、
大きく分けて
四通りの迎え方があります。 

一番目は、生において、欲望を中心に生きてきて、死を最も怖れるタイプ。

このタイプは、死によって、すべてが奪われてしまうと考えます。
死ぬことに恐怖感があり、生に対する敵とみなし、それに抵抗しようとするでしょう。
そして、
貴重な生の最後の時間を、抵抗するという不毛な時間に費やしてしまいます。
「死」は、すべての生き物にとって、自然な流れであり、
抵抗して死を克服した人など存在しないのに・・。
これは、人間にしかないタイプです。

二番目は、死を永遠の眠り、生からの逃避と考えているタイプ。

このタイプではある程度、死への恐怖は和らぎ、あと少しで「何か」を理解できたことでしょう。
死に対して、ある程度の覚悟とあきらめを持ちます。
これも、頭でものを考える、人間にしかないタイプです。


三番目は、生を十分に全うするタイプ。

このタイプは、生に集中するために、死を意識することはありません。
そして、死を迎えたとしても、悔いのない人生を送っています。
ここからは、動物にも当てはまるタイプです。

動物は、命に危険が迫った時に、必死で回避しようとします。
それは、生への執着や貪欲さからくるものではなく、
無意識の中に組み込まれた本能的なエネルギーの表れです。
そこには、個体を超えた秩序が存在しています。
だから、秩序だった環境下においては、特定の生物が一定の数を保つことができていたのです。


四番目は、「死」を新たな「生」への移行と理解しているタイプ。

最初の「死」について書いたように、
深い意識を持って洞察することが出来たのであれば、
日常生活が微細な「死」と「生」の繰り返しであり、
大きな「死」は、ただ単に衣替えのようなものと認識しています。
死に際して、穏やかな気持ちでいられます。
そして、三番目と同じように、
常に「今」を十全に生きることを理解しています。

高等動物たちは、洞察や瞑想経験ではなく、
本能的にこのタイプに入ります。

人はこれをさらに活用できます。


このように
同じ「死」でも
心の違いによって、死の質が大きく変わるのです。


まだ続きます。


今日もありがとうございます。


 
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