国会の証人喚問では、
同じ言葉の定義、言葉の意味が
立場によって解釈が異なる
という問題が生じています。

権力の世界では、言葉が意図的に曖昧に使われることは
よくあります。


本当は物事の本質が心の奥ではわかっていても
立場に応じて
言葉を巧みに使うことによって
表面的な部分を上手く誤魔化すことができます。


権力を持ち、人々の見本となるべき立場の人たちが、
利益と保身を優先するために不明瞭な言葉を使い、
それを利用して、
物事の本質を誤魔化すのは残念なこと。



言葉は本来、意思を伝えるための道具です。
理念や公正さを持って明確に発言してほしいものです。


本当は
すべての人が
ありのままにすべてを正直に話せば
問題解決は簡単なはずです。

本当の問題は、
誰かを糾弾することではなく、
物事のプロセスにあるのですから。

でも
現代社会では
誰もそうしませんけど・・。


言葉は
使う人の意思次第で
もっと正しく深く利用できる手段ではないでしょうか。






私たちは
言葉の社会で生きています。
朝起きてから
夜眠りにつくまで
ずっと頭の中も
耳からも
口からも
目からも
言葉が使われ続けています。



どんなものを見ても
どんなものを食べても
どんなことを感じても
それを言葉にしようとする習慣がついてしまっています。

人と一緒にいると、
ずっとおしゃべりが続きます。
会話が途切れると
不安になる人は多いと思います。

誰もいない時には
ずっとスマホやネットが続きます。
まったく連絡がとれないと
不安になる人は多いと思います。


でも
それでは
お互いに静寂の時間をとることなど不可能です。



とても信頼し合っている関係であれば
それほど多くの言葉は必要としません。



言葉を生活の中心においてしまうと
人生はとても表面的なものになります。



言葉では
物事の本質をすべて表現することはできません。

たった一枚の葉や一片の花びらの深遠さでさえ、言葉では表現できないのですから。

IMGP0584



言葉の世界を超えて
実在の世界に深く意識を留めておくことはとても重要です。





起きている間中ずっと言葉を基盤として生きていると
いつしか
心の静寂を忘れてしまいます。




言葉から一歩離れて
沈黙の力を感じる生活をしていると
より深い洞察力が養えます。



山にいても
海にいても
静寂と共に在り
鳥のさえずりや
潮騒の音なども
より鮮明に
より深く味わうことが出来るようになります。


5IMG_809blog



動物たちでさえ
人のようには
無駄話はしません。
allyouneedisLove




夕日を眺めてみましょう。

もし友人と夕日を見に行ったのなら
それを言葉で語り合う必要などないことに気づきます。

ただ
各々が沈黙の中で夕日を眺めているだけでいい。

お互いに沈黙を保っていても
信頼感は増していくでしょう。
17390461_11blog



私たちは
言葉の使い方がまだまだ上手くはないようです。


今日もありがとうございます。
ブログランキング参加しています。
よろしければクリックお願いいたします。


人気ブログランキング
  
森井 啓二
ナナ・コーポレート・コミュニケーション
2010-09-18