薬草と話す人びと PART3です。

シャーマンの薬草に対する知恵の大部分は、いまだ現代社会では理解できていません。
アメリカ先住民ホピ族は、
「植物とは、頭頂部を通して会話する。」
と言います。
私たちは植物と会話しているでしょうか。
現代社会では、植物そのものよりも
そこに含まれている成分に関心が寄せられています。
 
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西アフリカのシャーマンの研究に行った学者たちが、
糖尿病の血糖値を劇的に下げる薬草を調合するシャーマンにあった時の話です。
 
実際にその調合液を飲むと血糖値が正常値に戻るのを確認した研究者たちは、
シャーマンにその調合液に入っている植物を分けてほしいと願い出ました。
 
シャーマンは三種類の植物を渡しました。
学者は米国に持ち帰り、
それらの植物を分析して成分から薬効を探し出そうとしましたが、
血糖値を下げる薬効のある成分は何一つ見つからなかったのです。
 
再度研究者らは、西アフリカのシャーマンの元へ行きました。
「あなたからもらった植物には有効成分が無い。それなのに、どうして効くのか調合法を教えてほしい」と。
 
シャーマンは、
三種類の植物を鍋で煮て、
鍋を火から下す直前にカニを入れたのです。

驚くことに三種類の植物とそのカニを混ぜると、血糖値が正常化する作用が確認されました。
これは現代医学の研究室では到底思いつかない調合です。
 
シャーマンは、まず調合薬のビジョンを視て
無数の植物の中から、

正確に植物を選び出し、
その植物から利用する部位も特定し、
さらに他の生薬と正確に調合する。

一つ違うと薬効は出ない。
このようなことは表在意識では不可能なことです。

現代科学では、まず生薬を見つけると、
その中の成分を抽出分析し、各成分の作用を特定します。
そして薬効作用のある成分を見つけると、
その成分を実験動物に投与して、
その反応をみて、薬を作ります。
こちらは表在意識で確実に出来ることです。
 
でも
このような科学的な方法は、
シャーマンの調合を全く理解していないことになるのです。
 
それは、
ある人を理解するのに、その人の特徴の一つだけを評価するようなもの。
ほんの一部の特性だけ見てしまうと、そのものの本質、全体像は忘れられてしまいます。
実際に、生薬の中の有効成分だけを抽出して、薬を作ると、
その有効成分だけが数十倍、数百倍に濃縮された自然界ではないような不自然な製剤となり、
実際の臨床現場で使われてから、思わぬ副作用問題が生じるものもよくあるのです。

現代科学では、自然界を分類し、解剖し、成分を分析し、数値化することで理解しようとしています。
身近な食べ物でさえ、
例えばイチゴを食べる時に、「イチゴはビタミンCだから食べる」 などと言います。
イチゴそのものを無視して、その中のたった一つ、ビタミンC=イチゴのような認識の仕方をしてしまうのです。
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それが、背後にある生命の本質を見失う結果となっています。
これが自然から、
そして全体から人が分離した要因の一つでしょう。
 
シャーマンの調合では、生薬の素材そのものに無駄なものは何一つ無く、
生薬全体を必要とします。
生薬の一つの有効成分だけではなく、
生薬全体の持つ波動を重要視します。
 
さらに、
複数の生薬の相加相乗効果や、
シャーマンの踊りや精霊の歌などの効果なども
すべてが有機的に繋がり、
治療になっていることを理解できなければ、
真の理解にはほど遠く、
その知恵を私たちの社会に取り入れることはできません。


現代社会では、薬草を成分分析し、化学構造を知らなければ、治療薬は作れない。
シャーマンの世界では、治療薬のビジョンを視れなければ、どの薬草を使うのか理解できない。

現代社会では、すべてにおいて、論理的・物質的に考えたり、学ぶ習慣がついています。
そして、何を学ぶにも「資格」や「肩書き」を欲しがり、
物質的なもの、表面的なものが優先されます。

メキシコのシャーマンは言います。
「植物を科学的な方法で学ぶことなど、役に立たない。その本質は、とても大きく、エネルギーの世界にあるのだから。」
精神的なもの、内面的なものを優先します。

この考え方は、あらゆることに当てはまります。

たとえば、結婚だったら、
私たちの世界では、人のどこか一部を気に入ってから、その人を受け入れる。
あの人は〇〇が優れているから、お金持ちだから、格好がいいから、美人だから・・・、
そんな条件から人を好きになり、結婚をします。
いつでも相手に何かを求めます。
でもそういう条件が無くなった時、どうなるのでしょう。
表面的なことから、相手を好きになった場合、
長く一緒にいるうちに、細かい所にもこだわり、気になってきます。

もう一つの世界では、直観でその人を受け入れて、条件はただついてくるものと見る。
無条件で好きになり、ただあの人と共にいたい。あの人がまるごと好き。
才能とかお金だとか容姿だとかは、その人についてくるおまけのようなもの。
直感で、相手を好きになった場合には、
長く一緒にいても、細かい所にはこだわりがありません。

どちらが長続きするのでしょうか?

人との関係も、
特定の条件で好きになった人との関係よりも
直感で無条件で好きになった人との関係の方が、
長く続きます。

それは、
特定の条件を見る時は、表在意識が主体であり、
直観で見る時は、もっと深い意識に裏打ちされているからです。

このシャーマン的なものの見方、
深い意識に根ざして
「存在そのものを見ること」は、
とても大切です。


今日もありがとうございます。


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