「シンデレラ」

有名な童話です。
最初の日本語名は「灰かぶり姫」とか「新貞羅」とか
1900年に高等小学校の教科書用には「おしん物語」として掲載されました。


シンデレラCinderellaは、
英語cinder(灰、燃え殻)から作られた名前のようです。


もともとの名前は「エラ」で
「灰にまみれた汚いエラ」=シンデレラ
と呼ばれてからかわれていたようです。


私はこのあだ名を知るまでは
シンデレラって
美しい名前だと思っていました。
(*゚∀゚)っ

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世界中に
シンデレラと同じような話はあります。

最も古い元ネタといえるものでは、
紀元前1世紀に
ギリシャの歴史家ストラボンが記録したロードピスの話があります。

エジプトの富豪の豪邸に、美しい白人女性の召使いのロードピスが働いていました。
肌が白いロードピスは、周りの女召使いからいつもいじめられていました。
ある日、ロードピスが上手に踊りを舞うのを見た富豪は、ロードピスに美しいバラの飾りの付いたサンダルを贈りました。これを見て、ほかの女召使いたちは、ロードピスに激しく嫉妬して、彼女をいじめ続けました。

エジプトの王様が大きなお祭りを催した時に、女召使いたちは自分たちだけお祭りに行くために、ロードピスにたくさんの仕事を押し付けました。
ロードピスは一人でお祭りに行かずに、川で洗濯していると、バラのサンダルが濡れてしまいました。そのサンダルを岩の上で乾かしたまま、仕事を続けていたら
大きな鷹がやってきて、サンダルの片方を持ち去ってしまいました。

鷹はそのサンダルを、エジプトの王様の足元に落としました。その鷹がホルス神の使いだと信じた王様は、そのサンダルの持ち主が未来のお妃になると確信し、国中を捜索するよう命じました。
そして、ロードピスのものとわかり、さらにロードピスがもう片方のサンダルを大切に持っていたことから、王様はロードピスと結婚しました。

ほぼシンデレラのお話と同じです。

と前置きが長くなりましたが、



シンデレラの靴の話です。


有名なガラスの靴ですが、
当時は
もちろん強化ガラスなどありません。

ガラスの靴は
とても危険で実用性のないもの。


ガラス(verre)の靴は
仏語で同じ発音の
リスの毛皮(vair)の靴を
原作から英語版に翻訳する時に
意図的に誤訳変更したという説が有力です。


このシンデレラの原典が書かれた当時は
シベリア産のリスの毛皮で作られた靴が
とても高価で
富裕層には重宝され、
人気だったそうです。

ところが
時を経るにしたがって
その価値は下がっていき
ガラス細工の価値が上がってきたことや
ガラスの方が物語的に華やかな感じがすることなどから

変更されたようです。



また原作者は
リスの毛皮の靴を女性器
そこに入れる足を男性器
の象徴として

王様は
靴(女性)と足(男性)の相性
つまり
性(身体)の相性がぴったりと合ったお妃を探した

という暗喩にしていたとの記述も見られます。


身体の相性の一致は
一生涯にわたり親密な関係を維持するために
とても大切に考えられていたようです。



時を経て
ガラスの靴になると
物語の雰囲気も変わり
原作者が意図したとされる内容も消えています。

(原作者の意図も、のちの研究者によるものかもしれませんが)





アダムとイブのリンゴをかじる話
最初は
リンゴではなく
イチジクだったようです。


(ここからは「君が代から神が代へ」の旧約聖書を読み解くからの一部抜粋です。)

アダムとイブの住む楽園にある
善悪の知識の木には、
とても美味しそうな果実が実り、
これは書によって
リンゴまたはイチジクと記載されています。
 

リンゴは、
ラテン語の罪悪malumとリンゴma’lumの両方が、
どちらもmalumと表記される(発音は若干異なります)ことから、
それを多国語へと訳される過程で、
罪悪の実からリンゴの実へと変わっていったようです。

 

古くからの絵画には、
イチジクの実で描写されたものが多く見られます。


イチジクは、
聖書の主な舞台となった
アラビア半島南部から地中海沿岸地方では
古くから一般的な植物です。
 

花は独特で、
壺形に肥大した花序の内側に
多数の雌性の小花を密集した状態になります。 

イチジクの花は、 
リンゴや梨や桃のように 
外側に咲きません。 

いつも見られる実のような形の雌花の鞘の中で咲いているのです。 

リンゴや桃は、一つ一つが 
植物学上では、 
痩果(そうか)という果実になりますが、 
イチジクでは、 
あの実の中にある 
とろけた粒々の一つ一つが痩果なのです。 


これは、
イチジクの壺形に肥大した花のなかに詰まっているたくさんの小さな痩果が、
制約された地上世界の中における
さまざまな分野の知識を象徴しています。 



人は、本当の世界の全容を 
何も知ってはいません。 

地上で集めたあらゆる知識などは、
イチジクの実の中に詰められた痩果のようなものなのです。 


知識とは 
そういうものです。 


知識で得られるのは 
制約された世界の「事実」であり、 
「真実」ではありません。 


それを比喩的に表現するために使われたのが
イチジクでした。

イチジクからリンゴに変更すると
やはり
そのような比喩的な意図が失われてしまいます。






「般若心経」
意図的に誤訳した経典の一つです。

この経を唱えて
覚醒するための肝心なキーポイントが
意図的に隠蔽・改変されています。

この改変は
当時の政府主導で行われました。
その政策については
記録に残されています。




このように
たった一つの言葉を変えるだけで
すべてのストーリーや作者の意図が
完全に消えたり変化してしまう例は
現代でもたくさんあります。




人との付き合いでも同じこと。

たった一言の解釈の違いから
いままで培ってきた絆や縁が
消えてしまうことも
あります。




一つ一つの言葉には
そこに込められた思いが
多重にこめられており
読み手によって
解釈が違ってしまうからです。



この言葉のトリックを
巧妙に間違った方向に利用しているのが
今の政治の世界です。



権力の世界では
言葉が
意図的に曖昧に使われます。



権力ある立場の人たち、
人の見本となるべき人たちが、

自分たちに都合の良い利益と保身を優先するために
不明瞭な言葉を使ったり、
言葉を巧みにすり替えたり、
最近では誰もがわかるような嘘をついたりして、

本音を隠し
本題から目を逸らせて
物事の本質を誤魔化す
のは
とても
残念なことです。


言葉は意思を伝えるためのもの。
特に公の場においては
正しい理念や公正さを持って
明確に言葉を使ってほしいと願っています。




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