レオナルド・ダ・ヴィンチ
彼はフランス中部にあるアンボワーズに移り住んで
1519年に
67歳で死去。
500年前のことになります。
遺言通りに
遺体はアンボワーズ城の礼拝堂に埋葬されました。
その後
1800年代初めになって
礼拝堂は、墓ごと取り壊され
ダ・ビンチの遺骨も紛失。
その後
1863年に礼拝堂跡地で
作家のウーセイ氏が
ダ・ビンチのものと思われる遺骨が発見し
遺骨とともにあった指輪と毛髪を持ち帰りました。
遺骨は
別の礼拝堂に再び埋葬されました。
その後
毛髪は
ウーセイ氏の孫が
パリで売却したあとは
収集家の間で転々と売買が繰り返されていました。
そして
現在
米国人収集家が所有していることが判明。
今回
イタリア中部にあるビンチ村の
「レオナルド・ダ・ビンチ理想博物館」の依頼により
ダビンチのものとされる遺骨と共に発見されたこの毛髪をDNA鑑定することになりました。
遺骨そのものは
フランス当局が厳重に管理していて
DNA鑑定には応じていません。
そのため
この毛髪と
現在生きている40人ほどのダ・ビンチの子孫たちのDNAとの照合が行われます。
DNAの鑑定は
複数の鑑定機関に同時に依頼します。
ダ。ビンチが亡くなって500年。
遺骨が本物かどうか
まもなく判明するようです。
こちらも
500年以上生きている貝の話
ひかたま:「眼横鼻直」と507歳の貝
今日もありがとうございます。
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1519年に
67歳で死去。
500年前のことになります。
遺言通りに
遺体はアンボワーズ城の礼拝堂に埋葬されました。
その後
1800年代初めになって
礼拝堂は、墓ごと取り壊され
ダ・ビンチの遺骨も紛失。
その後
1863年に礼拝堂跡地で
作家のウーセイ氏が
ダ・ビンチのものと思われる遺骨が発見し
遺骨とともにあった指輪と毛髪を持ち帰りました。
遺骨は
別の礼拝堂に再び埋葬されました。
その後
毛髪は
ウーセイ氏の孫が
パリで売却したあとは
収集家の間で転々と売買が繰り返されていました。
そして
現在
米国人収集家が所有していることが判明。
今回
イタリア中部にあるビンチ村の
「レオナルド・ダ・ビンチ理想博物館」の依頼により
ダビンチのものとされる遺骨と共に発見されたこの毛髪をDNA鑑定することになりました。
遺骨そのものは
フランス当局が厳重に管理していて
DNA鑑定には応じていません。
そのため
この毛髪と
現在生きている40人ほどのダ・ビンチの子孫たちのDNAとの照合が行われます。
DNAの鑑定は
複数の鑑定機関に同時に依頼します。
ダ。ビンチが亡くなって500年。
遺骨が本物かどうか
まもなく判明するようです。
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ひかたま:「眼横鼻直」と507歳の貝
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森井 啓二
ガイアブックス
2016-07-26
コメント
コメント一覧
朝起きて『ひかたま』が更新されていたら、うれしい。途切れていたから、その有り難みをより感じます。
新聞が届くみたいに当たり前の様に思っていた自分を、見つめ直しました。当たり前なんて何処にもない。当たり前だと信じられるものを支えている存在にさえ気付いてないくらい、幸せの中にいたんですね。お恥ずかしいことです。
森井先生、いつもありがとうございます!
とても嬉しく感じます。
ありがとうございます。
毎日当たり前に読める習慣になっていましたが、当たり前ではなく、有難いことだったことに気がつきました。