「霧の中のゴリラ」Gorillas in the Mist

「霧の中のゴリラ」は
ゴリラに生涯をささげた動物学者ダイアン・フォッシーが書いた手記です。

「愛は霧のかなたに」という邦題で映画化されました。


ダイアンは、
1960年代~1980年代アフリカ・ルワンダの森林に住んでいました。

ダイアンと共に過ごしたゴリラたちは
もう天国へと旅立ち、

最後の一頭となったのが
「ポピー」という雌ゴリラでした。

geegorillafund.org


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今月に入り
最後の一頭となっていたポピーの姿が
消えました。

1976年生まれで、
もし生きていれば43歳。

マウンテンゴリラの記録としては
最高齢の41歳で出産もしています。


ダイアン・フォッシー国際ゴリラ基金の見解では
ポピーは天に召されたと推測されています。



ダイアンが
天国でお迎えに来ていることでしょう。


ダイアンが森に入った当時、
ゴリラの生息数は激減しており
たった240頭でしたが
その後の保護活動によって生息数は回復傾向にあり
現在は600頭を超えています。


ダイアンが
ルワンダの高地の山奥に、
カリソケ研究センターを設立した頃は
この地のゴリラは人間に慣れていませんでした。

容赦なく、密猟者たちに殺され続けていました。

保護官たちの給与もとても低く
そのために密猟者からの賄賂で生計を立てている保護官たちは
ゴリラの射殺を黙認していました。


赤ちゃんゴリラを捕まえるために、
群れ全体を惨殺することも行われていました。


ドイツのケルン動物園にゴリラを送るために
2頭の赤ちゃんゴリラを捕まえた時には
赤ちゃんゴリラの誘拐を阻止しようとした20頭のゴリラたちが惨殺されました。

赤ちゃんゴリラたちは、
ドイツに送られて、
たった9年後に死亡しています。



ダイアンがとても気に入っていたゴリラのディジットも、
ゴリラたちを殺しに来た密猟者に殺されました。
ディジットの手は切断され、
灰皿として売られていました。



悲しみと怒りを抱えたダイアンは、
密猟者たちが仕掛ける罠を次々と破壊し、
密猟者の摘発にも積極的に協力していきました。

さらに
ダイアンは
密猟者を捕えて、
彼らの家畜も押収して身代金を要求し、
さらに
彼らのキャンプを焼き払っていきました。




そして

ダイアンも

殺されました。






ダイアン亡き後
罪のないゴリラたちを無差別に殺害する密猟は
いまだ続いています。




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