今、何かがあるたびに
必ず批判が起こります。

時には、
日本国民総出で
批判の嵐。

新型コロナ騒動でも
重箱の隅をつつくような批判が蔓延しています。


いまや
新型コロナウイルスによって
個人よりも集団の意思決定を尊重することが
「正義」となっているかのようです。



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集団に従わなければならない雰囲気の中では、
比較的自由な個人の発想は抑えられてしまい、
集団に完全に同調できない人を見ると
「他人の言動が許せない」
という感情が増幅していきます。

それに加えて
外出自粛でのストレスも加わり、
不安も加わり、
時に
病的な嫌がらせや集団リンチにまで発展することもあります。


ストレスや不安は
人を
攻撃的にします。

でも
その行為について
誰もが
正義感だと思ってやっているようです。


人を裁く快感もあるのでしょうか。


自分にも人にも厳しい真面目で完璧主義の人ほど
人を責めたくなる傾向が
出やすくなります。


いまは
あらゆるSNSで
特に匿名性の高いSNSでは
気軽に批判が出来る時代になりました。


でも
この風潮を
本当に良いと思っている人は
そんなに多くないはずです。




批判って
なんでしょう?

批判する目的って何でしょう?

それは良いもの?悪いもの?どちらでもない?


私は
批判は使い方と心の在り方で
良いものにも出来ると思っています。



批判は
より良くしたい
という思いが含まれているからです。



でも
人によって
考え方も
能力も違う。


そこにもどかしさを覚える人も多いのかもしれません。



批判が多ければ改善してくれる?
政治の世界では
ある程度なら
それもあるかと思います。

でも
批判された側は
批判をされないように世間体だけを気にして
本質から外れた人気取り目的だけの行動を起こしてしまいます。


現実に
本質的い正しい行動よりも
批判をされないようにする行動の方が
すでに多いのかもしれません。




批判する側
批判される側
双方の心が通じている場合に限っては
良い方向にも利用できます。


いずれにせよ
まずは
批判がどういうものかを
理解しておく必要があります。


批判をよく理解することで、
より良い未来へと繋がる対処法がわかるかもしれません。



批判は、
自分の持つ固有の信念や個性、意見、外部からの情報などを
相手に押し付けて
相手の考えを
自分の思う通りの枠の中に納めようとする行為です。



それによって
相手を思う通りにコントロールしようとしますが、
通常は
相手がすんなりと自分の思う通りの枠の中に収まるはずはなく

通常は
大きな障壁を作ったり、
距離を置いて離れてしまいます。


障壁を作りながら、
コントロールする?

離れたところから
コントロールできますか?

そんなことはできません。




批判することによって
相手が自分の思うように改善するどころか
逆に悪化してしまいます。



この矛盾した結果を生み出す行為の根底には
相手のためを思っていたとしても
相手に対する強制や自分の欲望の押し付けが隠れています。




人は
自分の理想が正しいと確信しています。


でも
大きな視野で見れば
自我で作られた理想は、
自家製の手前味噌程度のものでしかありません。


なぜならば
人が物事を考える時には
必ず
自分の経験や知識、偏見、信念といった自分特有なフィルターを通してみているからです。



まあ、たしかに
政府が意図的にPCR検査を妨害して
コロナを拡散しつつも
コロナを抑制するかのような政策をとれば
誰だって批判したくはなりますが・・・。

「検査をしないからコロナが抑えられている」などと平気でいう専門家の先生の
真意がわかりませんし・・。





いつでも
物事の本質は
眼に見えないところにあります。



物質界での結果がどうであれ、
それによって
多くの人が目覚めたり、
心を一つにして行動したり
愛情深さを強めることが出来たのであれば
より良い方向へと向かっていることになります。


大地震が良い例です。

あれだけの被害がありながらも
地震がきっかけになって、
本当に大切なものに目覚めた人は多いと思います。

自然の圧倒的なエネルギーは、
その物質的力だけでなく、
人の中に眠っている魂を目覚めさせる力を持っているからです。







話は戻りますが、


批判を活かすならば
お互いに
自分自身を自分のフィルターの枠外へ出ること、
自分の枠を外して、柔軟になること。

でも
それができるでしょうか?

なかなか
できないでしょう。


自分にも
相手にも
エゴもプライドもあるからです。


でも
誰だって
完璧ではない。



批判を
より良い建設的な方向へと持っていくには

人を対象に批判をしないで、物事に対する批判にする
批判の代わりに、助言や意見など別の方式で提示する
相手の主張を受け入れて理解してから、自分の考える改善点を提示する
匿名ではなく、正々堂々と意見を言う
批判を署名活動に替えてみる



正しい意見として言えば
賛同者が集まり、
その波動は大きくなって
世論を動かしていくでしょう。


そして批判を最も上手く活かす方法としては
決して人を裁くのではなく
現在なされている事象に対して
批判する

さらにいえば
意見を言う本人の魂が
最も幸せな気持ちを保てるような言動だけをする
ということだと思います。


そこに賛同者が集まる秘訣があるような気がします。


要するに
せっかく批判するなら
効率よく
効果的に
愛を持って
行いましょう
ということです。


けっして
罵詈雑言(ばりぞうごん)になってはいけない。


昔の時代劇であったように
罪を憎んで
人を憎まず



そういう愛のある姿勢でありたいものです。




「視野を拡げなければなりません。
より視野の広い見解を養うことが必要です。
愛に満ちた行動で
あなたの考え方を変えていかなければなりません。」
サティア・サイババ



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