上高地
名物の一つ大正池も
人工的に維持している池です。
年間3千万円かけて
池を掘り続けないと
川になり、
湿地になり、
そしてまた
森へ戻る自然のサイクルが
始まってしまうからです。
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上高地は
近年まで
山を越えて歩かないと来れない場所であったため、
近年まで
山を越えて歩かないと来れない場所であったため、
小鳥も魚も動物たちも人間を怖れることなく、
近寄ってくる数少ない自然の楽園でした。
近寄ってくる数少ない自然の楽園でした。
ところが最近、
工事車両がとても多く目立つようになりました。
工事車両がとても多く目立つようになりました。
自然を人工的に操作しようということ。
この地は
行くたびに川の位置が変わり、
森は川となり、
川が湿原となり、
湿原は豊かな森へと変わるサイクルがありました。
行くたびに川の位置が変わり、
森は川となり、
川が湿原となり、
湿原は豊かな森へと変わるサイクルがありました。
それを今では、
川は護岸工事で固めて川のままと固定している最中です。
川は護岸工事で固めて川のままと固定している最中です。
また
小鳥や魚に対する人の反応も過剰となり、
やや警戒心を持つようにもなってきました。
小鳥や魚に対する人の反応も過剰となり、
やや警戒心を持つようにもなってきました。
なぜ人は、
自然をコントロールしようとするのでしょうか。
自然をコントロールしようとするのでしょうか。
上高地が注目されるようになったのは、
昭和二年です。
昭和二年です。
まだ一部の登山者にしか知られていない昭和二年に、
日本の絶景ランキング投票が行われました。
日本の絶景ランキング投票が行われました。
日本の人口6000万人の時代に
9000万票を超える投票がありました。
9000万票を超える投票がありました。
その渓谷部門優勝が
上高地でした。
上高地でした。
実は誰にも知られていなかった上高地は、
TOP10にすら入れない、
ほとんどの人にとって未踏の地だったのです。
それが第一位になったのは、
上高地を訪れた一人の審査員小島烏水が審査員たちを説得した結果でした。
TOP10にすら入れない、
ほとんどの人にとって未踏の地だったのです。
それが第一位になったのは、
上高地を訪れた一人の審査員小島烏水が審査員たちを説得した結果でした。
そして
その翌年には、
本当に素晴らしさが認められて、
国の特別名勝&特別天然記念物に指定されました。
この二つの称号を持つのは、
日本に二か所だけ。
黒部峡谷と上高地です。
本当に素晴らしさが認められて、
国の特別名勝&特別天然記念物に指定されました。
この二つの称号を持つのは、
日本に二か所だけ。
黒部峡谷と上高地です。
その地も、ここ数年、急速に人工的に変化し始めています。
そして、
今、
今、
上高地全域の地殻が、
ずっと揺れています。
春からおよそ
1万回近い地震が発生しています。
ずっと揺れています。
春からおよそ
1万回近い地震が発生しています。
名物の一つ大正池も
人工的に維持している池です。
年間3千万円かけて
池を掘り続けないと
川になり、
湿地になり、
そしてまた
森へ戻る自然のサイクルが
始まってしまうからです。
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コメント
コメント一覧
所詮人間が自然をコントロールしようとしても無理なこと。それでも多額の費用をかけて護岸工事や池掘りをしているのは、やはり、物質主義者にとって美味しい事があるからでしょう。
それより森の生き物さん達との交流、波動のふれあいがどれだけ私達人間にとって素晴らしい事だときずいてくれる人が増えると良いのに、と、思う朝です。
先生、いつも大切な事を教えてくださって、ありがとうございます☺️
自然をコントロールすることは勿論難しいことだと思います。ですが、だからといって自然をそのままにしておくことは果たして良いことなのでしょうか。自然を自然のままにしておくと地域の方の生命や財産が失われかねない、という考えから自然を管理していこうという動きがあるのだと考えます。筆者さんの意見には共感しますが、管理側の方がいるからこそ今の自然が楽しめているのだと思いますよ。自然を管理してくださってる方に感謝は忘れずにいたいです。極端な考え方は良くないと思いました。
一方で、自然地区において自然をコントロールして破壊につながらなかった例はあまりないのではないでしょうか。上高地が遥か昔から美しい自然を保てたのも、何もしなかったからなのでは、と思います。
だから熊や鹿が人里まで入りこんでしまうのでしょうか。
上高地に行ったとき、やっぱりきれいでうれしくなったけれど
「ああ、これでたくさんの登山客やテントがなかったらもっとすてきだったのに」と
独り占めしたかったのか、欲張りな気持ちというか
景色が汚れる気がして、自分もその汚している一人であることとの
ジレンマにしばし思考停止。
みんながこれるようなところじゃなければ、来れなかったのにね。
伝説ってこんなところから生まれるんだろうな、、というような景色は
入山禁止の山の中、人の手つかずの場所ににあったりするのはこんな理由もあろうかと思います。
自分の答えはまだ出せません。
ただ、自然との距離感は
人と人同士の距離感を考えるヒントにもなるような気がします。
もちろん今回の記事で先生がそのようなことをおっしゃっているわけではないのですが・・・
少し話はそれますが、霊山と呼ばれる山に登山する場合、山は神さまが宿る場所であり、たくさんの人たちの信仰の歴史があり、行く前に、登る山に関連する神社にご挨拶してから清浄な気持ちで登るとか、神聖な山へ入らせて頂くという謙虚な気持ち、山頂まで登らせて頂いたという感謝の気持ちを持つことはとても大切になります。
美しい大自然に足を踏み入れるにしても、このような謙虚な気持ちと感謝の気持ちを持つことが、どうするのがその自然にとって一番良いのかの答えが出るかもしれませんね。
神は大自然に宿る。
大自然は神そのもの。
先生が投げかけて下さる投稿に対して、自分なりに考え、また皆さんのコメントを読ませて頂いて、様々な考え方があることを知ることはとても有難いことです☺
いつもありがとうございます😊
観光財源維持の為に、更に自然を壊す愚策しか取れない。
また、外国人観光客で賑わったら、この問題も忘れ去られるのでしょうか?。
この先何百年先のことまで考えているのだろうか…
自然と人間の関係が、コロナと人間の関係、様々な関係性に映り込んでみえる。
どちらか?という視点より、すべては内包されているとう視点。そして、その視点さえも、更なるものに包み込まれている。
自然の中で、人間として出来ることは、自らで自らの足跡を消して歩くことに似ている。
ゴミひとつ拾う。自然のサイクルにまかせると数十年、数百年かかって地へと還る働きが、数秒で完結してしまう。自然の働きを手助けしたり、促進しているように感じるが、それを捨てたのも自分。
自然のお手伝いなんて、出来るのだろうか?
如何に綺麗にするかより、如何に汚さないか。
地球は、私と一心同体。
自分自身にしないことは、自然にもしない。
私も様々な恩恵を地球から受取り、汚しているひとりです。このことを忘れず、謙虚に暮らしたいです。
自分自身の純粋無垢な部分を、いつまでも大切に育み、守りたい。