知性と理性を高めるために
創造力を使い
感性を昇華するために
五大元素と親しみ
神聖さを磨くために
瞑想を行う
勇敢さを強化するために
さまざまな体験をしてみる
山に登ることをスポーツと見なせば
山はたくさんの楽しみを提供してくれるように
山に入ることを御神事とすれば
自然は
たくさんのことを教えてくれる。
言葉を超えた領域を体験しながら
自分自身と向き合い
自分の奥深い部分に大自然を見出し
覚醒の状態に達することを
目的とすればよい。
写真は
お気に入りの場所の一つ、
天使の舌の上からの眺め。
「光の魂たち 山岳編」では
山で五大元素を学んでいく方法をお伝えする予定です。
発売は
2021年の予定です。
今日もありがとうございます。
ブログランキング参加しています。
応援クリックお願いします。
人気ブログランキング
お気に入りの場所の一つ、
天使の舌の上からの眺め。
「光の魂たち 山岳編」では
山で五大元素を学んでいく方法をお伝えする予定です。
発売は
2021年の予定です。
今日もありがとうございます。
ブログランキング参加しています。
応援クリックお願いします。
人気ブログランキング
コメント
コメント一覧
お風呂やトイレが、安らぐ場所になる。
誰もいないと思ってて、思いきり心のままに自然の中にいるとき、誰か既にいたことに気付いたときの気まずさ…(笑)
ひとりで瞑想に耽っているとき、人がやって来たときの心がサーっと引き戻される感覚。
目を閉じてやり過ごそうと、静かーにしておく。感じる視線と心のざわつき。
変なひとだと思われてるわー、こりゃ…
でも、まぁいっか。
共通の意識で共にある人と、そうでない人との意識のチャンネルはまるで違うみたい。
なんか、ごめんね…と思いつつ、ひとりで居られる場所を探し求める。
先生は、瞑想されていらっしゃるとき
その意識の外に別の意識が現れたとき、
どんな気持ちになり、どんな対応をされていらっしゃいますか?
わー、誰かいたんだ!って経験、ございませんか?
『光の魂たち 山岳編』の露な㊙写真って……
まさかの……
先っぽーーー!!
あぁっ……んっ……もう♡
鋭角で前のめりになって、
ページをめくっちゃったじゃな〜い(。>﹏<。)
しかも、先生じゃないんじゃない?!
と思われるスリムな後ろ姿が……
別人を仕込んでないかしら?!(笑)
まんまとひっかかってしまって悔しいので、
この際、感想ではなく、全然関係ないコメントをしたいと思います。
ギーターの5章3節の詩節と解説が、まるごとお気に入りです♡
(4章22節と重なります)
「憎しみも望みもない者は、確かな行者と知るべきである。アルジュナよ、相対を離れた者は、容易に束縛から解放される。」
ヨー ナ ドヴェーシュティ
ナ カーンクシャティ♪
韻サイコー♬
日本語と同じく、サンスクリット語に惹かれます。
(日本語脳の私は、英語は好きになれなかったなぁ)
ギーターのシュローカのアプリをダウンロードしたものの、まだ手つかず……
内容の理解がもう少し進んだら、
着手したいです。
(本当に関係なかったね)
さてと……
『光の魂たち 山岳編』読もうっと♪
まだ、読んでないんかいっ。
感想はまたね♡
いつもありがとうございます(^_-)
↑関係ないコメントのつもりが……
ありのままの歓喜の物語
『光の魂たち 山岳編序章』
を拝読してみて、あらためて……
「憎しみも望みもない者は……」
(ギーター5章3節)
憎しみだけではなく、
望みも同じく「ありのまま」から逃避することなのだと教えられました。
つながった♡(*´σー`)エヘヘ
「身体は内在する神のための神社であり、五感という門を通して出入りするものを清らかなものだけにすることが、社を清く美しく保つ秘訣。」
この先生の言葉に出合ってから、ずっと
「その日のはじまりに目にするものを清らかなものにしたい」と思っていましたが、なかなかこれだというものに出合えずにいたところ……
『光の魂たち 山岳編序章』を開いたときに、
「あっ、これだ」って♡
そこには、「いまのいま」にある絶対的な
「愛でたさ」のようなものがあるように思いました。
目の前の、
<いま=present=愛でたさ>に歓喜せよ!!
と響いてきます。
あるがままの今(present)が、そのまま神様からの贈り物(present)なんだ。
五感で感情を味わうというより、そこに在る
「意識の流れ」のようなものを味わいたい。
ムードのような「意識の流れ」の中に漂っていたい。
森とか水とか名前をつけず、美しいとか清らかだとか判断をせず、油断すると霞のように瞬時にかき消えてしまいそうな「意識の流れ」
そのものに身を委ねていたい。
「むき出しの新鮮な輝く今」という瞬間に居ることのできない私には、ありのままを観ることができず、大自然を間違った名前で呼んでいるだけでした。
音が聞こえることを耳が聞こえることだと、
間違った耳の使い方をしていました。
風景と言霊を観る。
大自然を吹き抜く神の息吹(風=風景)と、
それを優しく澄んだ音楽(音霊=言葉)に
かたちを変えた言葉たち。
そこにある真意・神意と大いなる自然の声なき声を神知て(感じて)みたい。
続きます。
そして、
「中心軸がしっかりと確立され大いなる自然と調和したとき、本当の自由を味わえる。」
これらの言葉に触れたとき、まさにギーターの教えだなぁと。
ギーターでは、王が登場しますね。
王とは、天地人を垂直に貫き結ぶ中心軸(┃)をもち、大自然のような大きな視座をもつ大人物を表わす象形文字。
「本当の自分とは何か」という大きな視点を持たずに、狭い視野しか持ち合わせていなかったがために、間違った生き方をしてきました。
ギーターの物語と同じく、ひとつひとつの風景が物語のように思えてきます。
モノとは神の異称であり、我々の魂。
魂し霊というモノが、まるでハートの奥底から語りかけてくるかのようです。
写真におさめられた、一度も訪れたことのないこれらの原風景は、私にとって、
ハートに秘められた未知(御智)の
最奥地(最奥の神秘・深秘である真我)
でもあります。
一日のはじまりが贅沢な時間に様変わりしました。
でも、
「時間の消えた場にいることが本当の贅沢」
なのですね。うわぁ。
この根こそぎ変えてしまうような言葉がまたすごい。
山に入らせて頂き、本当の贅沢を味わってみたい。
でも、下山時に左膝に痛みが出るようになってしまいました。だから、まずは、
衣服(肉体)まるごと正しく纏うこと、
心を浄化することにします。
ただ、特に霊山はやはり畏れ多いものがありますね。
続きます。
用事ついでに中古本店に寄りました。
ここには、書店ではもう出合えない本たちがあります。
なんと!新品同様の『インテグラル・ヨーガ』
(パタンジャリのヨーガ・スートラ)があるではないですか!
いつかは読むべきヨーガの聖典だけれど、
まだ読機ではないと思っていました。
でも、「いま読みなさい」と言われたかのように目が合ってしまいました。(笑)
あ、これって、ラージャ・ヨーガじゃない。
中心軸のお話、かーらーのー
「王」でつながった♡(´∀`*)ウフフ
そんなわけで、「ヨーガ・スートラ」を読みながら、このタイミングで、
心という不思議にちょっと向き合ってみます。(簡単に言っちゃったけど。笑)
とっても科学的!分析的!
本質は同じでも、ギーターとはかなり趣きが異なりますね。
かけがえのない御本に出合えて幸せです♡
本当にありがとうございます。
ご感想ありがとうございます。
『光の魂たち 山岳編序章』
(勝手にサブタイトルつけちゃいました)を
目が覚めていちばん最初に目にすると、
ものすごーく浸れます♡
順番にではなく、毎日瞬間的にぱっと開いたところを観ています。
あらゆるものから自分を分離させ、孤立したところから世界を見たり聞いたりしていたことが、コントラスト強めに浮き上がってきます。
世界が間違っているのではなく、いつだって間違っているのは「ありのまま」から逃避している自分のほうなんだって。
大いなる自然の声なき声が、そう語りかけてくれます。
6日前までやっていた、まっさきに時計をみる癖は、台風森井号によって、根こそぎどこかへさらわれていきました。(笑)
時間も思考もすっかりやんでしまった瞬間におとずれるであろう静寂。
思考という過去のものを超えて時間をもたないものに触れてみたい。
やっぱり時間って思考(欲望)とセットなのかなぁ。
時間は、思考(欲望)がその達成を目指して旅した距離のようなもので、新しい風景の中を旅しているようで、実はいつも古い見慣れた同じ旅の道程を辿っているだけ。
みたいな、モヤモヤした感じがあって……
「いまのいま」という瞬間にしか、新しい風景には出合えないのねーー。
日に日に増していく(先生の)『神の詩』への
恋心(乞い心)……もう、ほんと大好き♡♡♡
『神の詩』一巻を読んでいると、
先生の解説にちょろっと出てくる
『シュリーマド・バーガヴァタム』もなぜか
読みたくなってウズウズしてきました。
ぁ…あぁ……ん♡
いつもありがとうございます。