神の詩 第一章第十四~十六節 2/7
この節では、
アルジュナの名は
ダナンジャヤ(真の富を獲得する者)
とされています。
続きます。
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この節ではクリシュナは、
マーダヴァmadhavah幸運の女神の夫
と呼ばれています。
これは戦闘を始めるにあたって、
アルジュナ側に幸運をもたらすクリシュナの力を示唆するものです。
マーダヴァmadhavah幸運の女神の夫
と呼ばれています。
これは戦闘を始めるにあたって、
アルジュナ側に幸運をもたらすクリシュナの力を示唆するものです。
アルジュナ側からは、
先に法螺貝を吹くことはありませんでした。
先に
ドゥルヨーダナ側の軍隊から先頭を開始するための合図を行っています。
これは
正義の道を歩む人は、
自分の方から先に攻撃をしかけていくことは原則無い
ことを意味しています。
先に法螺貝を吹くことはありませんでした。
先に
ドゥルヨーダナ側の軍隊から先頭を開始するための合図を行っています。
これは
正義の道を歩む人は、
自分の方から先に攻撃をしかけていくことは原則無い
ことを意味しています。
それと同時に
霊的解釈では、
瞑想の過程の概略が示されています。
誰でも最初は、
心と外側の世界の雑音から始まるものですが、
長く続けることによって、
次第に
身体の内側から
霊的な音が聴こえるようになっていきます。
霊的解釈では、
瞑想の過程の概略が示されています。
誰でも最初は、
心と外側の世界の雑音から始まるものですが、
長く続けることによって、
次第に
身体の内側から
霊的な音が聴こえるようになっていきます。
ここでは
クリシュナとパーンダヴァ5人兄弟の「神聖な」法螺貝の名称が紹介されています。
敵側の法螺貝には、
神聖なという記述はありません。
クリシュナとパーンダヴァ5人兄弟の「神聖な」法螺貝の名称が紹介されています。
敵側の法螺貝には、
神聖なという記述はありません。
クリシュナの法螺貝は、
パーンチャジャニヤ。
これは、
この世界を作り出した五大元素を創造した主を意味します。
法螺貝の中は空洞であり(最初に空がある)、
そこにクリシュナ(神)が息を吹き込むことで、
他の四大元素である地・水・火・風が生まれます。
これはAUMの聖音になります。
この戦場が、
どんな状況となろうとも、
すべてはAUMの聖音に包まれていることを示しています。
パーンチャジャニヤ。
これは、
この世界を作り出した五大元素を創造した主を意味します。
法螺貝の中は空洞であり(最初に空がある)、
そこにクリシュナ(神)が息を吹き込むことで、
他の四大元素である地・水・火・風が生まれます。
これはAUMの聖音になります。
この戦場が、
どんな状況となろうとも、
すべてはAUMの聖音に包まれていることを示しています。
この十五節では
クリシュナの名が
フリシーケーシャ(すべての感覚を制御する者)
と記されています。
またフリシーケーシャには、
髪の長い者という意味もあります。
髪は、
エネルギー領域の感覚器官としての役割もあります。
クリシュナの名が
フリシーケーシャ(すべての感覚を制御する者)
と記されています。
またフリシーケーシャには、
髪の長い者という意味もあります。
髪は、
エネルギー領域の感覚器官としての役割もあります。
アルジュナの法螺貝は、
ディーヴァダッタ。
これは
神からの富、神からの恵み
を意味します。
今のアルジュナにとっては、
人が再び神との合一を果たすために必要なものになります。
さらに
神が創造したすべての存在をも意味します。
ディーヴァダッタ。
これは
神からの富、神からの恵み
を意味します。
今のアルジュナにとっては、
人が再び神との合一を果たすために必要なものになります。
さらに
神が創造したすべての存在をも意味します。
この音は、
「マニプーラ・チャクラ(第三チャクラ)」の波動を象徴しています。
サアーナンダ・サムプラジュニャータ・サマーディの象徴でもあります。
「マニプーラ・チャクラ(第三チャクラ)」の波動を象徴しています。
サアーナンダ・サムプラジュニャータ・サマーディの象徴でもあります。
この節では、
アルジュナの名は
ダナンジャヤ(真の富を獲得する者)
とされています。
続きます。
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コメント
コメント一覧
法螺貝の名前の意味、残りのも、心待ちに致しております〜🥰
森井先生の助け無しで、こう言う意味まで読み取れるようになる段階に、今回生きている間に至るのは、ちょっと厳しそうですから〜😅
よろしくお願い申し上げます。
中学校の卒業アルバム。何気に寄せ書きに書いた言葉が『正義』でした。何故その言葉を選んだのか、今でもよく分かりませんが。『原則』という言葉が、妙に気になりました。先にしかけるときって、どんなときなんだろう?
テンプルビューティフルさんのオンライン講座で、宮崎貞行さんのお話を拝聴しました。オームという聖音は何となく知っていましたが、ヨガや空海さんのマントラ、森井先生の著書にも出てくるAUMの響きを実践を交えて解説して下さり、日常の瞑想にも取り入れたところでした。
自らを楽器のように調律するマントラ。ギーターを読み進めていると、単なる読書という感覚では全く内容が入ってこない部分があります。
意識を整え、ゆっくり何度も読み返します。森井先生から教わる領域には程遠いですが、少しでも自らで読み解く努力を重ねています。猛烈に眠い夜も、一行でも読むと決めて本を開きます。受験生だった頃でさえ、こんな努力はしたことありません(笑)
でも、とてつもなく楽しいのです。
毎日のひかたまの更新がうれしく、その量も丁度よいですが、私の場合怠けものですので、深く内観したり反芻したりと内側に取り込む時間があっても良いのかと思います。
毎日の更新が当たり前となり、知らずに文字だけを読むギーターのようにしてしまわないように。もちろん、毎日真摯に取り組まれていらっしゃる方々が大半だと思います。先生にゆだねます。勝手を申しました。
今日も更新、ありがとうございます。悩む時間が内観の時間に変わり、思考から行動までが、なめらかに。ダジャレの数も飛躍的に増しております。
1週間程前に、この気掛かりを解消できぬ事に少々胸のつかえを覚えおり、どうしたものかと自問しておりましたところ、『サンスクリット語のマントラ』という応えが浮かんできました。実のところ、この応答を得られただけで、とても心が落ち着き、頭の中で散らかっていた其々のピースが纏まりだしたように感じました。
そこには、このAUM(の音)・・何故マインドが落ち着いたかの理解と共にハートの充足感を覚えます。
森井先生の値千金の解説のお陰さまにて、少しずつ拡がりゆく内的宇宙を意識することができるようになって参りました。
いつも仰って頂いている瞑想の素晴らしさは、充分すぎるほどに理解しておりますのですが、うらはらに実践が伴わすのジレンマを生んでいるというパラドックスを開放させる起爆剤を得られたように感じます。勿論、瞑想の実践を回避しようとしているわけではありませんが、私自身を強制という力の行使で結果(覚醒という結実果)を得ようとは思えずにおります。時が整うのを待っているばかりではと思うのですが・・・いずれにせよ、もどかしい時の終焉の近いことも感じています。一歩一歩着実に進めております。毎日ありがとうございます。