神の詩 第二章第九節 2


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続きです。



「敵の絶滅者アルジュナは感覚の征服者ゴヴィンダ(クリシュナ)にこう語り、「私は戦わない」と言って黙り込んだ。(九)」


アルジュナが沈黙になった時に、
すでに
クリシュナは沈黙の状態に達していました。

お互いに沈黙の中にいる場合、
二人の間の分離は無くなり、
沈黙
という一つの個が在る状態が創られます。


そこで
お互いの意識が影響し合い、
霊性の高さに応じて師の想念を受け取ります。

霊性が高ければ高いほど、
多くのものを受け取ることができます。


特定の日時に
世界中の人々が
一つの祈りを捧げたり、
沈黙を守る
という行為が行われています。

これらの行為の中では
個を超えた一つの意識体が生まれ、
成果を上げていることは
科学的にも証明されています。



沈黙の力を示す有名な話として釈迦大師の説法があります。
師は、
よく無言の説法を行いました。

「拈華微笑」(ねんげみしょう)
という言葉があります。

これは釈迦大師が法華経や無量寿経を説いたとされているインドのビハール州の霊鷲山(りょうじゅせん)において説法した時の逸話から出た言葉です。

釈迦大師は、
弟子たちの前で説法を始めることになりました。

師は
ずっと沈黙のままでいました。

しばらく経って、
師は1本の草花を手に取ると、
それを拈(ひね)りました。

その後も
釈迦の沈黙は続きます。


弟子たちは、
師の意図するところが理解できないまま
一緒に沈黙していましたが、
その中の一人、
迦葉だけは師の沈黙の教えを理解して
僅かに微笑したのです。

釈迦は、
その微笑を見て弟子たちに
「迦葉の心に私の悟りの心が伝わった。」
と述べたという逸話が残されています。


これは、
物事の真髄に存在する無限の真理、
言葉で表現不可能な深い叡智は、
言葉で表すだけでは不完全であり、
また
完全に理解できるものではない、
学んだ知識が身につき知恵となるためには
体験を通して気づくことが必要であり、
説法だけからではなく
自らの叡智で悟ることが重要である、
という師の思いが込められたものだったのです。


この迦葉は
普段から地道に心を込めて修行を行う勤勉さがあったと言われています。
有限の世界の制限された言葉で表現された知識に安住することなく、
沈黙の力によって
無限の情報を得ることが出来る
ということを的確に表しています。



「維摩経」にも、
沈黙に関する話が収録されています。


釈迦大師の元にいる菩薩たち(悟りを求める釈迦大師の弟子たち)が
在家の維摩の家へ赴きました。

そこで菩薩たちは、
どうしたら二元性を超える不二の法門に入ることができるのか(解脱の境地に至ることが出来るのか)について意見を語り合います。

三十人を超える菩薩たちから意見を発表し合った最後に、
維摩は
文殊菩薩に意見を求めます。

すると、
文殊菩薩は次のように答えます。

「私は、万物万象すべてにおいて、言葉からも思考からも認識からさえも完全に離れることこそが、不二の法門に入ることだと思います。維摩さま、私たちは皆、意見を語りました。維摩さまの考えを教えていただきたい。」


ここで菩薩たちは、
維摩の発する言葉に耳を傾けるために、
静寂な時間となります。

そのまま維摩は、
一言も発することなく、
沈黙の時間が過ぎていきます。

しばらく経った時、
ついに文殊菩薩は、
「素晴らしい。一言一句無いこの沈黙こそ、不二の法門へ入る境地です。」
と称賛をあげました。

維摩は、沈黙の中で伝授したのでした。

この逸話は、
「維摩の一黙、雷の如し」
と呼ばれるようになり、
「維摩一黙」
という熟語にもなっています。

続きます。







神理の扉 聖なる変容と霊性進化の道
光田秀
きれい・ねっと
2020-04-12




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