神の詩 第二章第十節

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「バーラタ王よ、この時、両軍の聞で落胆するアルジュナに、クリシュナは微笑んで次のように言った。(十)」

十節では、
落胆するアルジュナに対して、
微笑むクリシュナが描写されています。


落胆と悲しみは
少し違いがあります。

悲しみは
自然な感情として起こりますが、
落胆は
自我が関係しています。



人は
いつでも簡単に落ち込み、

聖者は
いつでも微笑みます。


この聖典のタイトルにある
「ギーター」
とは、詩(歌)のことです。

人は幸せな時に歌いますが、
戦場では
なかなか幸せに歌うことは出来ません。

クリシュナは、
戦場にあっても、
いかなる時にでも、
詩をつむぎ、
至福を世界に拡げていきました。

クリシュナの意識は、
常に
永遠の至福の中に在るからです。

この物質世界は
映画のようなもの。

もしも
辛く苦しい戦争映画を見た場合
見ている観客も
主人公のように苦しみ続けるでしょうか?

悲しい映画を見た場合に
見ている観客も
悲しみ続けるでしょうか?

ほんの少しの感情移入はしても
実際の生活まで
苦しんだり
悲しんだりはしません。

私たちは
それが映画であることを理解しているからです。

主人公が
どれほど苦しんでも悲しんでも
観終わった後には
「あー、いい映画だった。」
ということでしょう。

だからお金を払って
わざわざ観に来ているのです。

映画のスクリーンの中では
必死の実在世界だと思っても
スクリーンから出てみると
それが仮想の世界であると
わかります。


人は
この世界の本質を知らずに
物質世界が実在の世界だと信じ切っています。






人は、
不幸を作り出す天才です。




妄想の中で最悪の事態を作り出し、
悲しみを増幅させます。

これは
低次の自己は
落ち込みやすく、

高次の自己は
いつでも至福の中にいる
象徴にもなっています。


人は
完全な存在ではありません。

だから、
崇高な目的を持ち、
学び、
成長し、
進化していくことができるのです。


これから地球が急激な変化を迎えるにあたって、
多くの人にとっては
予想外の困難な試練が起こるでしょう。

人の否定的破壊的想念が強まれば強まるほど、
宇宙からの光の強さは増していきます。

地球の歴史の中で、
今の時代ほど
地球上に高次の光が降り注ぎ、
魂を昇華させてくれる時代はありませんでした。


光が増大してきた時に、
清浄な人はより清浄になり、
ハートは愛と光で満たされます。

一方、
低次元の感情に囚われ支配されてしまった人は、
降り注ぐ霊光により
自分の内部に蓄積してきた不調和な波動が顕在化し、
混乱する現象を作り出し、
ネガティブな気持ちになるでしょう。


続きます。



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