神の詩 第三章第十節 3



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「アルジュナよ、
はじめに、ブラジャーパティ(創造神)は祭祀とともに人類を創造して言った。「これ(祭祀)によって繁殖せよ。これが汝等の願いをかなえる乳牛(カーマドゥク)であらんことを。」(十)」
「これによって神々を慈しめ。そうすれば、神々も汝等を慈しむだろう。互いを慈しんでいれば、汝等は最高の幸せを得るだろう。(十一)」
「祭祀によって慈しみを受けた神々は、汝等が望む喜びを授けるだろう。神々を供養しないで神々の恩恵を受ける者は、盗賊に他ならない。(十二)」

続きです。

人が一方的に神を忘れているだけ。

神は人に無関心ではないし、
見捨ててもいない。

創造した時と同じように寵愛していることは、
乳牛カーマドゥクによっても象徴されています。



物質世界の執着と磁場が
いかに強いかを表した逸話があります。

雷神、天候神、軍神、英雄神であるインドラ神は、
神々の怒りを買って、
天界を追放されたことが
何度かあります。

ある時は、
すべての力を封印されて
豚として地上に下ろされたことがありました。



地上に下りて豚となったインドラ神は、
泥まみれの環境で
楽しく暮らすようになりました。

そんなある日、
ある聖者が通りかかり、
泥にまみれたインドラ神を見て
哀れに思いました。

聖者「インドラ神よ、なぜあなたはこのような姿で泥の中で寝転んでいるのでしょう?私が呪いを解いて、天界へと帰れるよう導きましょう。」

インドラ豚「そんな必要はない。私は泥の中で何の責任もなく遊ぶだけの生活が気にいる。そもそも天界で自分が誰だったかも覚えていないのに、面倒なことに巻き込まれたくない。このままでいたい。」


インドラ神は、
すっかり天界での使命を忘れてしまっていたのでした。


豚になったインドラ神は、
伴侶となる雌豚を見つけました。
そして
たくさんの子豚たちが生まれました。

今度は、
子豚たちと楽しく泥遊びをしています。

その様子を見ていた天の神々は、
インドラ神の哀れな姿に我慢が出来なくなり、
天から下りて
次のように言いました。

「あなたは誇り高きインドラ神なのです。それがこんなところで何をしているのですか。あなたのそのような姿を見るのは、とても恥ずかしい。」


すると、
インドラ神はこう言います。
「私の姿が恥ずかしい?お前たちは馬鹿者だ。皆、豚に成れ、そうすればその楽しさがよくわかるぞ。」

神々は次のように言います。
「インドラ神をこのままにしておく訳にはいきません。どうか豚の姿から抜け出して頂かないと。」

インドラ神は
「邪魔をしないでくれ。自分は子豚たちと遊ぶのが好きなんだ。」

そこで神々は、
インドラ神が愛着を寄せる子豚たちを
すべて殺してしまいました。

これにインドラ神は、
嘆き悲しみましたが、
しばらくすると雌豚と交尾を始めました。


それを見た神々は、
次に雌豚をインドラ神から引き離して殺してしまいました。

インドラ神は
呻き声を上げます。

そこで最後に、
神々は
インドラ神の身体となっている豚の身体を開いて、
インドラ神の魂を身体から抜き出しました。


インドラ神が天に引き上げられる途中で、
地上を見下ろしている時に神々は言いました。


「あなたはあの身体の中にいただけでなく、そこに留まりたいと主張していたのですよ?」

インドラ神は答えました。


「もうこりごりだ。天界へ帰ろう。」

この逸話は、
いかに地上の磁場が強力かを示すものです。





聖ヴィヤーサが最後に記した
「シュリーマド・バーガヴァタム」の中で、

「ブラジャーパティ(創造神)とは、主ヴィシュヌのことである。主ヴィシュヌがこの物質世界を創造したのは、制約された魂にヤグニャの行い方を学ばせるためである。」

と記されています。

ヤグニャとは、
犠牲
という意味があります。

ヤグニャは、
自分の時間とエネルギーと意識を
神に捧げる行為です。

その中でも
最高の犠牲は、
自我を犠牲にすること
とされています。


ヴェーダには、
さまざまな神々に向けた、
さまざまなヤグニャの行い方が記載されています。

ただし、
究極的にはすべてのヤグニャは、
創造主へ向けたものになります。



続きます。

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