神の詩 第三章十三節

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「祭祀のお下がりを食べる善人は、すべての罪から解放される。しかし、自分達のためだけに料理を作る悪人は、罪を食べる。(十三)」



「祭祀のお下がり」

祭祀のお下がりとは、
神に捧げた供物の一部を分けていただくこと。

神に捧げた供物も元々は神から授かったものです。


神から授かった食べ物とは、
実質上
この世界のすべてのものは
神から授かったものになります。

それは
肉体が食べる物質的なものも、
心が食べるエネルギー的なものも
含まれます。


自分たちが食べるものをまず、
感謝の気持ちと共に
神へ捧げることによって、
食べ物は浄化され、
質を高めることになります。

神様に捧げられた食事には、
神様が喜んで召し上がったことにより、
最高の波動が移っている
と考えるのです。


それらは
見えない精妙なレベルにおいて
行われているとされています。


日本でも
供物を神様に捧げる風習は
一般的に行われています。

自分が心を込めて作った
「収穫物」
「果実」
「幣帛(へいはく):織物」

三大供物とされています。

そして
神様に捧げた供物を下げてから、
皆でいただく
「直会」
という神と共に食事を行う儀式を行います。


日本では、
神人共食が
神人合一への象徴
とされています。


また、
日本の結婚式などで
今でも行われている三三九度の盃も、
新郎新婦が神様に捧げた御神酒のお下がりを頂くことで
一つになると信じられている風習です。

日本には
お下がりの風習が他にも数多く残されています。




この神から授かる食べ物、
神からの恩寵は
すべて、
「プラサード」
と呼ばれています。


プラサードは、
いつでも私たちに与えられていて、
それを受け取るかどうかは
私たちの意識の在り方と行動次第になります。

受け取る前には、
自ら神に捧げる行為が必要です。


食事と行いを正すことは、
邪悪な性質を遠ざけるために必要なことになります。


聖書にも供物の比喩が出てきます。

「あなたがたは、宮仕えをしている人たちは宮から下がる物を食べ、祭壇に奉仕している人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかることを、知らないのか。」コリント人への第一の手紙9-13


続きます。


精解 神の詩 聖典バガヴァッド・ギーター 3
森井 啓二
きれい・ねっと
2021-08-20





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