最近また
「虐殺」という単語が
ネット上に出てくるようになりました。


ルワンダ虐殺

1994年に発生した
ルワンダでの民族浄化のための大虐殺から
もう
27年が経ちました。



大虐殺は
1994年4月6日に発生し
たった100日の間に、
フツ族の政府とフツ過激派、
そして
一般フツ族市民たちによって、
ツチ族とフツ穏健派が虐殺されました。



正確な犠牲者数は、
いまだ明らかになっていませんが、
100万人近い人々が虐殺された
とされています。


main_1200 (6).theatlantic.com



当時のルワンダには
84%を占めるフツ族

15%ほどのツチ族

1%のトゥワ族が暮らしていました。


当初は
部族に関係なく
お互いに仲が良い隣人同士でしたが
ある日

突然

フツ族の人たちが
隣人たち、友人たちであるツチ族の人たちを
一方的に
次々と
虐殺する大事件へと発展してしまいました。



フツ族は、
農耕を主とする部族。
体は、肌の色は濃く、小さく丸く、鼻が低いのが特徴です。

ツチ族は、
牧畜を主流とする部族。
体は、肌の色はやや薄く、背が高く、目が大きく、鼻も高いのが特徴です。

トゥワ族は、
狩猟を主流とする部族。



ルワンダは
標高が高く、温暖な気候のため
コーヒー栽培などが盛んで
1960~1980年代初めにかけて、アフリカの優等国とされていました。


ところが、
コーヒー価格の暴落などによって
失業者が増加。
働いても貧しいままの状態が続いていました。


さらに
1948年に180万人だった人口が
1992年には750万人にまで急増して
アフリカで最も人口密度の高い国となりました。


これによって
農地は不足し、
農地で栽培する農作物は自分たちの食べる分だけもギリギリとなり、
食料不足が深刻化して
国民の6人に1人が飢えに苦しむ状況となってしまいました。




次第に
遊牧民である少数派のツチ族は
経済的に裕福となる一方で
貧困が続く多数派のフツ族からは
大きな不満が出てきました。


歴史的にも
何度も対立があり、
1994年の大虐殺のすぐ前にも
1972年には、ツチ族兵士によるフツ族の大量虐殺事件、
1993年には、フツ族によるツチ族の虐殺事件などが発生していました。


そのような背景の中
ルワンダ国内では、
フツ族によって
ツチ族を虐殺する準備が水面下で進められていきました。

全国でフツ族による民兵の組織化が進み、
民兵の数は3万人にまで達しました。

銃や手榴弾などの殺戮のための兵器も供給され
虐殺対象もリスト化され、
フツ族系国家権力側によって用意周到に準備が進められていたのです。


そして
1994年4月6日、
ルワンダのハビャリマナ大統領(フツ族)とブルンジのンタリャミラ大統領の搭乗していた飛行機が、
着陸寸前にミサイル攻撃によって撃墜され、
両国の大統領が死亡したのを虐殺実行のきっかけとして、
虐殺が開始されました。



まずは
ルワンダ軍やフツ民兵グループが、
ツチ族を見つけ次第、
老若男女全て殺害し、
同時に
虐殺に反対するフツ族の穏健派は
裏切り者として最初に殺害していきました。


その勢いで
フツ族市民たちは、
虐殺に協力することを強いられて、
自分の隣人や友人たちがツチ族であれば、
直ちに殺害するよう命令されました。




ラジオ局も
政府が後援して
虐殺を推奨する呼びかけが行われ
人々は
あっさりと洗脳され、
全国に虐殺は一気に広がっていきました。



議員の中には
ツチ族を一人殺すごとに報酬を与えて、
ツチ族虐殺を奨励するものまでいました。


市民たちには
ルワンダ政府が虐殺のために
中国から安く大量購入したマチェーテと呼ばれる大きなナタを配布され
それが
ツチ族を切り殺す道具として利用されました。



命令を拒んだフツ族市民たちは
フツ族の裏切り者として処刑されました。


「虐殺に参加するか、自分が虐殺されるか」

を選ばなければならなかったのです。


そして
虐殺に参加すると
お金や土地などが報酬としてもらえたのです。


多数派の勢いと
メディアの洗脳によって、
何も理解しないまま
ルワンダ虐殺に加担した人は
17~20万人と推測されています。


こうして
昨日まで親しかった友人知人でも
学校の先生と生徒の関係でも
医師と患者の関係でも
司祭と信者の関係でさえも
ツチ族というだけで
すべて殺されていったのです。


ある市のフツ族の市長などは、
ツチ族を助けるかのように装い
教会に集めてかくまって
ツチ族が集まった時点で皆殺しにしています。


またツチ族は背が高いので、
「身長を短くしよう」と両足を切断して
苦しんで死んでいくのを皆が笑ってみていたという目撃証言もありました。



アフリカン・ライツの報告書、
「Rwanda: Not So Innocent - When Women Become Killers」
では、
生き残った生存者からの証言から
ここでは書くことができない想像を絶する行いの数々が
たくさん記載されています。


それは
人類史上最も残酷な行為の一つです。


人は
メディアの言うことは
そして
政府の言うことは
盲目的に信用し
自分で考えることなく
言われたとおりに実行してしまうのです。




広場も道路も、川や湖までが
虐殺された死体で溢れていました。

生き延びた女性のほとんどが
レイプされていました。


ツチ族が保有するヤギなどの財産や、
レイプできる若い娘などは、
虐殺参加者に分配されました。


フツ族の子供たちは
虐殺されたツチ族の隣人たちの遺体から
時計やネックレス、衣服や靴など
争うように奪い取っていきました。





今は
毎年大規模な追悼式が行われています。



ルワンダでは毎年、
4月7日からの1週間を
ルワンダ虐殺の追悼の週と制定しています。




全国各地で、
追悼式典や慰霊祭が行われ、
二度と虐殺を繰り返さないための誓いが立てられます。


大統領が
式典の会議場で
「虐殺の歴史は繰り返さない」との誓いを立てました。

main_1200 (5).theatlantic.com

虐殺記念センターには
殺された人たちの写真が持ち寄られ
展示されています。

ルワンダ各地では
人々が大量虐殺された場所に
記念施設が建てられています。

現在、
7ヶ所の中央記念施設と約200ヶ所の地域の記念施設があります。

記念施設内には
数百人分の殺害された遺体や遺骨が展示されている施設もあります。

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main_1200.theatlantic.com


もう二度と起きてはならないこと。

のはずです・・


この大虐殺を
日本人であまり知らない人たちもいます。


人類史上最悪の大虐殺、
世界的な大ニュースにも関わらず
日本のテレビでは
芸能人たちの結婚離婚などの方が
はるかに大きく取り上げられていたからです。

main_1200 (1).theatlantic.com

ルワンダでは死刑を廃止し、
虐殺の実行者たちを更生させて
刑務所から社会復帰させています。

2003年以降、
次々と釈放を始めていましたが、
これから大量に釈放する予定だそうです。
main_1200 (4).theatlantic.com


この写真は
現在のルワンダの子供たち。

親たちは
虐殺に加担した側のフツ族と
虐殺で生き延びたツチ族の
子供たちが
部族の壁を越えて
仲良くしています。

虐殺後に生まれた世代が
ルワンダ全人口の半分以上を占めるようになりました。

main_1200 (3).theatlantic.com


私たちの世界は
すべての人の集合意識によって
毎瞬毎瞬
作られていきます。

そして
このような悲劇は
心の中の恐怖心や不安感から始まります。


「政府の言うことに従わないと、将来どうなってしまうかわからない。」
「将来が不安。」
など

さまざまな恐怖心と
メディアによる洗脳が合わさると、
自己防衛のための妄想がエスカレートして
狂気へと移行してしまいます。


あとになってみないと
人々は
眼が覚めることはありません。




こういった状況は、
とても大きな学びを伴います。


悲しみの体験ほど
それを克服したときに
人の魂をより強く、より優しくするものはないかもしれません。


今は戦争もリモートとなりつつあります。

おなじように
虐殺も直接人を武器で殺すことはなくなりました。


もっと
静かな形で
行われてはいないでしょうか?


今や
感染症や医療や自然災害
という形で
虐殺を演出する技術もあるのです。










今、
私たち一人一人ができることがあります。

最もやるべきことは
自分自身の魂に語りかけること。



この真の意味が分かった時
世界は明るくなっていくと思います。




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