神の詩第四章三節 14


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「汝は私を信愛する者であり、友でもあるから、この太古からのヨーガを、今回、私は汝に語った。実にこれは最高の秘密である。(三)」


続きです。



人は、
すべての立場から離れた境地に立って初めて、
完全な平等感を持つことになります。




釈迦大師は、次のように述べています。
「人は、
自らが立つ場から自らを考え量り、
それが論争に至る。
すべての論理的偏見を捨てた境地に至れば、
人は世の中で確執を起こすことは無くなる。」
「スッタニパータ」
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「師を犬のように扱えば、
師の教えは犬の糞のようなものであり、
師を友人として扱えば、
その教えはよきアドバイスとなる。
さらに
師を尊い者として扱えば、
その教えは貴重な真理となる。」

このチベットのことわざ通り、
師は、
師を尊い者として帰依した人にだけ、
貴重な教えを授けるのです。

つまり
受け取る準備が出来た者、
受け取る意志がある者だけに与えられる、
ということです。



アルジュナは、
すでにこの時点で
完全にクリシュナに帰依する者となって、
クリシュナから授けられた叡智を
次々と自分の智慧に変えていくことになります。



クリシュナが、
bhaktah(信愛する者、帰依する者)

sakha(友)
を並べた時点で、

差別も平等も無い
「無為」の境地、
本性の平等という境地
から語っていることを先ほど書きました。


では、
クリシュナのように本性の平等、
つまり
「無為の境地」に至るには、
どうしたら良いのでしょう。



それは
先ほどの分別心の発生機序を見れば
わかることです。

分別心は、
心を外側の世界に向け続けることにより、
発生し、
強まっていきます。


だから、
内的探求をしっかりと行うと同時に、
外側の世界が内的世界探求のための投影だと見抜いて、
体験を続けていくことです。


それにより、
幻想(マーヤ)に囚われて、
執着を起こし、
欲望が強まっていく
という悪循環を防ぐことが出来るようになります。


人が、
幻想(マーヤ)の世界から
簡単に無為の境地に至ることが出来ないのは、
この分別心から逃れることが
困難だからです。



「自分の心を客観視するのであれば、幻でない法も幻法となる。」「首楞厳経」(しゅりょうごんきょう)



「心は好画師の如く、種々の五蘊を造る。」「華厳経」



「私たちの最初の師は、自分の心の中に在る。」北米千住民シャイアン族の言葉



次は第四節ですが、
脱落者が多すぎるため
ちょっと小休止しましょうか。



アルジュナ
「あなたの誕生は後であり、ヴィヴァスヴァットの誕生は前である。あなたが最初にこれを語ったとは、どのように理解したらよいのか。(四)」


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