神の詩 第四章二十六節 4



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「聴覚などの感覚を自己制御という火に供物として捧げる者がいる。音などの感覚の対象を感覚という火に供物として捧げる者もいる。(二十六)」





五感のコントロールには、
二通りあります。

抑制と制御です。



抑制は、
外の世界に向かう感覚器官を抑えること。

これだけでは
五感のコントロールには至りません。

抑制では、
感覚器官の利用が
正しい方向へ向いていないままだからです。

この方法では、
心に感覚器官を使う欲望が残ったまま
抑圧された形となります。


感覚器官を制御する初期段階から、
欲のある活動を
いきなり完全に止めることなど、
できないのです。



制御は、
外に向かう感覚器官を
自分の内側へと向けていくこと。

感覚を内側に向けることによって、
意識が深くなっていくと共に、
感覚は
真我の波動の中心へと
集束していきます。



この方法では、
低次の欲を
崇高な欲へと変換する必要があるために、
欲を止めることもなく、
抑圧することもありません。



その結果、
五感は自己制御を達成することになります。


これが、
「感覚を自己制御という火に供物として捧げる」
という意味になります。


つまり
瞑想による感覚の制御方法のことです。



「感覚の対象を感覚という火に供物として捧げる」
とは、
瞑想以外の外の世界での活動において、
五感を自己制御という目的のために正しく利用することです。



善い言霊だけを発し、
善い言霊だけを聞く
など、
五感を神に捧げられるものだけに集中する制御方法です。




次は


「感覚器官のすべての働きと呼吸(生命力)の働きを、知識によって燃え上がった自己抑制という火に供物として捧げる者もいる。(二十七)」



昨夜セミナー(途中から飲み会)に参加してくださった方々
夜遅くまでありがとうございました。
楽しかったです。


今日もありがとうございます。
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