神の詩 第5章八・九節 

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「真我に意識を集中した聖者は、見たり、聞いたり、触れたり、嘆いだり、食べたり、動いたり、眠ったり、呼吸したり、話したり、排池したり、つかんだり、目を開閉したりしていても、「私は何もしていない。感覚がその対象に働いているにすぎない。」と考える。(八、九)」



「真我に意識を集中した聖者」

普遍意識の光の中は、
三つのグナによって支配されている行動とは離れているため、
潜在印象を残すことはありません。

また
そこから
外れることもありません。


あらゆる活動を行いながらも、
行動から
完全に離れた
実存の領域に守られていることになります。


ここが
無執着の基盤となります。


肉体を持ち
五感を使って行動しながらも、
真我の安定した境地に根ざしているため、
五感は
五感の対象の中でのみ
活動していることになります。


五感の対象を感じるのが
地球の大気の層に喩えたら、
そのまま意識の基盤は
大気圏を超えて宇宙空間に在るようなものです。


それが
大型台風のような激しい大気の流れであったとしても、
宇宙空間には
何ら影響を与えません。

これが、
五感を利用した生命層で活動しながらも、
もう一つの
静謐なる生命層に生きていることになります。

この二層があるから、
放棄によって
大きく変容できるのです。


続きます。






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