神の詩 第5章八・九節 4
「真我に意識を集中した聖者は、見たり、聞いたり、触れたり、嘆いだり、食べたり、動いたり、眠ったり、呼吸したり、話したり、排池したり、つかんだり、目を開閉したりしていても、「私は何もしていない。感覚がその対象に働いているにすぎない。」と考える。(八、九)」
「真我に意識を集中した聖者は、見たり、聞いたり、触れたり、嘆いだり、食べたり、動いたり、眠ったり、呼吸したり、話したり、排池したり、つかんだり、目を開閉したりしていても、「私は何もしていない。感覚がその対象に働いているにすぎない。」と考える。(八、九)」
続きです。
花を観たら
花とぴったり合わさる。
花とぴったり合わさる。
つまり
花に逢った時には、
何も頭で考えることなく、
花と自分の深い意識を合わせてみることを表しています。
花に逢った時には、
何も頭で考えることなく、
花と自分の深い意識を合わせてみることを表しています。
その花の波動が奏でる美しい旋律を、
純粋にハートで味わってみましょう。
純粋にハートで味わってみましょう。
その花に
自分の意識を「合わせて」、
大地の強いエネルギーに根を下ろし、
そよ風を感じ、
太陽光の中でエネルギーをもらい、
美しく楽しく、
ただ
咲いてみる。
自分の意識を「合わせて」、
大地の強いエネルギーに根を下ろし、
そよ風を感じ、
太陽光の中でエネルギーをもらい、
美しく楽しく、
ただ
咲いてみる。
こうして
初めて
花を愛でることになるのですが、
真我を見出した後では、
花と真我が、
花と太陽との関係のように
お互いに別々に保たれながら
「合わさる」、
つまり
「打つ」
ことになります。
初めて
花を愛でることになるのですが、
真我を見出した後では、
花と真我が、
花と太陽との関係のように
お互いに別々に保たれながら
「合わさる」、
つまり
「打つ」
ことになります。
「花を愛でる」
そこには、
花を見るだけではなく、
愛があります。
だから
「愛でる」
というのです。
それが
対象物の真の価値を引き出します。
続きます。
今日もありがとうございます。
ブログランキング参加しています。
応援クリックお願いします。
人気ブログランキング
そこには、
花を見るだけではなく、
愛があります。
だから
「愛でる」
というのです。
それが
対象物の真の価値を引き出します。
続きます。
今日もありがとうございます。
ブログランキング参加しています。
応援クリックお願いします。
人気ブログランキング
コメント
コメント一覧
さらりと一度目を通し
悪怯れもせずサラッとコメント送信させて頂きましたところ
1つ置いてこちらの記事で
森井先生が仰っていらっしゃることと内容が
一致しておりましたので
今更ながらに驚くと共に
満更でもない心地に安堵しています
過小評価の強制洗脳から解放される
私にとってはよい機会を頂くこととなりました。
蓮の花はこの上もなく美しく
花後に実を結び
また、泥中の根茎が滋養に満ちた食料となることから
花と根に意識を向けやすく
ややもすれば葉の存在を軽んじてしまいがちな傾向にあると言えなくもないようでもありますが
(泥)水に染まらず
花を咲かせるための養分を作り出し
花だけでなく花を支える根にもそれを送っている葉にまさに光を当てる
‥‥それもまたキラキラと輝いて
ステキに思います。
この数日間、「花の瞑想」が映像として脳裏にずっと浮かんでいました。
ただ、咲いてみる。。。
ただ、咲いてみる。。。
ただ、咲いてみる。。。
私の大好きな瞑想の1つです。
私がこれを知り、実践することが誰かの助けになればと。思い上がり、慢心かも知れません。よくよく内に問わなくてはなりません。私の為でもあり、全体の為でもある。
どちらかではなく、どちらもなのかも知れません。知識や経験の所有ではなく、実践することで、そう在ることで、知ることと奉仕が同時に起こっている。私はあるのだけれど、繋ぎ役のような。
内に留めているものを手放すこと。
瞑想が日常とひとつになること。
神秘的な霊的体験よりも、地に在って、天を生きたい。答えはいつも、私の内に在るのだから。
どうか、光としてあれますように。
いつもそこに留まることが出来ますように。いつも一緒にいて下さい。どうかあなたの手としてあれますように。
いつも、ありがとうございます。
素晴らしい本。本当に素晴らしかった!
特に「神来」は、美しい写真と共に胸に響いてきます。
でも、たった1枚、なぜかこの本に載っていない写真があります。
私の好きだったその写真は、
先生にとっても大切な、特別な1枚だったのですね。
> 花と太陽との関係のように、お互いに別々に保たれながら合わさる」、
> つまり「打つ」ことになります。
「逢花打花逢月打月」は、このひかたまで何度も教えていただいた言葉でしたね。
その時はわかったつもりでしたが、いま改めて本当の意味が「心」に響いています。
私のなんと遅々とした学びであることか…。ため息がでる。
私も自分の山を探したくなりました。
また出直したくなりました。
素晴らしい本をありがとうございます。
ありがとうございます。「光の魂たち 山岳編序章」元原稿では「神来」が200ページ以上、写真も200枚以上あったのです。でも製本の都合上、半分は削除になりました。
まだ序章ですので、思い切って大幅に原稿カットです。