「光の魂たち 山岳編 序章」から
序文の続きPART3です。


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序文 続き


自然界と対話する能力は、
使えば使うほど、
意識して集中すればするほど、
鋭敏に精妙になっていきます。




私たち現代人は、
生まれてからずっと言葉を使い、
すべての存在を言葉で定義する社会に生きています。

すべての人が、
この宇宙の万物万象を
すべて言葉で定義してしまいます。

人は未知のものに恐怖心を持つと、
言葉で定義したり、
理論付けすることで安心しようとするのです。

言葉という重く硬い、
物質世界特有の表現を使うことによって、
存在そのものの無限の本質は制限されたものになってしまいます。

有限の言葉では、
無限の存在を的確に表現することはできないからです。


言葉を中心とした社会に生きていると、
大人になる頃には、
どんな時も
頭の中で言葉であれこれ考え続ける言葉の奴隷になっています。

すべての世界を、
制約された枠の中に閉じ込めてしまうのです。

でも、
言葉の奴隷になりながらも、
多くの人が、
意識の深いところでは
言葉を超えた無限の世界を探求しようとしています。


それはまるで、
鳥かごから出ないまま、
空を飛ぼうとする鳥のようなものです。

一度言葉の奴隷になってしまうと、
人は、
先入観や偏見や知識、経験というフィルターを使って
物事を見る習慣がついてしまいます。


それは、
青空や星空を見るのに、
知識や経験という厚い雲を通して空を見ているようなものです。

知識や偏見を通して物事を見ることは、
過去に意識を置いていることになります。

「今」
この瞬間を生きるには、
過去の意識に囚われない純粋な感覚を
大切にしなければなりません。


子供の頃は、
何を見ても、
何をしても、
世界が輝いて見えたはずです。

大人になると輝きが色あせてくる。
そして、
表面的な喜びに変わってしまう ……。

それは、
人生の中で多くの知識や経験、偏見や概念を身に着けてしまったからです。

言葉の世界という表層意識の中に囚われてしまったからです。


今まさに、
この世界に生まれたばかりであるかのように無垢な状態で、
自由で純粋にいることができたら、
それは
霊性進化の正しい道を歩んでいるということに他なりません。


輪廻転生して生まれ変わってくるときに、
一度すべての記憶を失うのは、
この言葉を超えた純粋な感覚を繰り返し学ぶためでもあるのです。



私たちは自然界の中で、
静寂の中で、
もう一度、
言葉を超えていかなければなりません。

言葉を超えた静寂の中に身を置けば、
純粋な感覚が蘇ってくるはずです。


そして、
純粋な感覚でいるとき、
いつもの感覚とは違う精妙な感覚と喜びのエネルギーが、
自分の内側の奥深いところから湧いてくるのを
感じることができます。



「言葉を超えた世界」を体験から学ぶことは、
とても重要なことです。

言葉を超える領域を体験する最も良い方法は、
大自然の中に入っていくことです。

その中でも、
それを最も効率よく、
強烈に体験できるのが、
「山」なのです。



人が一つのことに集中する時、
時間も空間も超え、
言葉をも超える瞬間があります。

その瞬間を迎えたとき、
静寂な感覚が始まり、
新鮮なエネルギー、
自分の中から湧き出てくる光を
感じるはずです。


外側の世界で、
肉体を使った体験を通して、
自分の中にある内在神の領域に入る体験。

それを体験すれば、
私たちが地上に来た真の目的も理解できるようになります。


本書は、
人と自然界を繋ぎ、
魂を美しく磨き上げ、
自然と一体化するための書です。

読み終えた後には、
ぜひ自然の中へ入っていただきたいと思います。







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