神の詩 第五章十二節 17
続きです。
「心を統一した者(ヨーガ行者)は、行動の結果を捨てて、究極の平安に達する。心を統一していない者は、欲望のままに行動し、結果に執着して束縛される。(十二)」
続きです。
心の作用3:
錯覚(ヴィカルパ)
錯覚(ヴィカルパ)
「実体がなく、単に言葉だけを聞いて生ずる心象は、言葉と概念による錯覚である。」
ヨーガ・スートラ第一章九節
ヨーガ・スートラ第一章九節
誤解には、
対象となるものが存在し、
その認識が間違ってしまうことで発生しますが、
錯覚は
その実態すら存在しません。
言葉から妄想が拡がった結果、
心に印象が生じてしまう状態です。
対象となるものが存在し、
その認識が間違ってしまうことで発生しますが、
錯覚は
その実態すら存在しません。
言葉から妄想が拡がった結果、
心に印象が生じてしまう状態です。
私たちは
見たことのないものや
体験したことの無いものも、
ある程度は
言葉で理解することが出来ます。
でも、
そこにフィルターがかけられると、
実像から離れた虚像が形成されていきます。
見たことのないものや
体験したことの無いものも、
ある程度は
言葉で理解することが出来ます。
でも、
そこにフィルターがかけられると、
実像から離れた虚像が形成されていきます。
現代社会では、
SNSによるコミュニケーションが発達した結果、
言葉による錯覚で
人間関係が悪化する事象が
よく起こるようになりました。
言葉は、
発信した人の言葉が
その思い通りに読み取られることはなく、
読んだ人の心の状態に応じて
解釈が変化してしまうからです。
SNSによるコミュニケーションが発達した結果、
言葉による錯覚で
人間関係が悪化する事象が
よく起こるようになりました。
言葉は、
発信した人の言葉が
その思い通りに読み取られることはなく、
読んだ人の心の状態に応じて
解釈が変化してしまうからです。
世界各地の聖典では、
比喩的な表現がとても多く見られますが、
そこに出てくる表現は、
本質を理解できない限りは、
錯覚しか認識されません。
続きます。
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コメント
コメント一覧
「誤解」と「錯覚」
・・・・これぞ誤解?!
・・・・いや錯覚?!
錯覚と捉えた方が救われる思いのする
他人(ひと)とのSNS
SNSに関しては
社会に対する影響力は多大であり
私は個人的にも感謝頻りではありますが
それ故に功罪の存在も免れ得ないのですよね。
聖典は普遍性をもって
真理(と信ずるもの)を
著し伝えようとせんがために
比喩的表現をとる
ことばの錯覚による誤解を回避させんがためにも。
思いの力が強目の方で、時折その力は「怒り」という表現で他者へと発振されます。おじいちゃんがいらっしゃると、お店の中がピリピリとしています。
女性スタッフの皆さんは、近付こうとしません。怒られるから、嫌なのだそうです。
私は、一見理不尽な怒りを振り撒くおじいちゃんが、飛び跳ねるお魚さんのようにみえます。水しぶきが時折頬に飛んで来ますが、「今日も元気だなぁ…」と嬉しくなります。
心の在り方を教わる、生きた先生です。
こちらに不手際があれば、反省し改善します。おじいちゃんが怒っているかどうかは、おじいちゃんの選択だと思うので、お好きなようにして頂いたらよいと思います。
怒っているかどうか、怒られたかどうかは、どちらでも良く、その波をきっかけとして、そこに私という意識の領域の有無を知ることが出来ます。
どちらが正しいではなく、そのとき意識的に選択し、留まろうとする領域は、矛盾しているように聞こえますが、場でも極でもありません。
意識の中でさえ、言葉として結晶化している、動かずにいる場をすり抜けます。重なってさえいませんが、それは常に共に在ります。意味不明ですが、確かに在るということだけは分かるのです。
今日も、おじいちゃんは、怒りという現れを持って、私を深い意識の海に誘って下さいます。揺り起こされた強い意思は、内なる探求へ留まる錨へと姿を変えます。水をワインに変えるように。
私ほど不可解で不思議な世界はありません。
この働きとは、何ぞや。今夜も聖典に、今日の私を見つけます。ありがとうございます。