神の詩 第五章十二節 24



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「心を統一した者(ヨーガ行者)は、行動の結果を捨てて、究極の平安に達する。心を統一していない者は、欲望のままに行動し、結果に執着して束縛される。(十二)」


続きです。



毎日の修練を続けるには強い意志が必要です。



「絶えず精進し、常に努力し取り組む、思慮深い者は、涅槃に達する。」
釈迦大師「ウダーナヴァルガ(自説経)」



周梨槃特(シュリハンドク)という男が、
兄に誘われて
釈迦大師の元に出家しました。


兄は賢く聡明でしたが、
弟の槃特は、
自分の名前も書くことが出来ず、
師の説法を聴いても
全く理解することも出来ず、
修行の作法も覚えることが出来ませんでした。


それでも
槃特は、
悟りを求める意志だけは
とても強いのでした。



師の元で何年経っても、
弟の槃特は
修行の成果は全く上がりませんでした。


そんな弟の様子を見ていた兄は
ついに
怒り出しました。

兄は、
「お前は何をやっても満足に出来ることは何一つない。このままここにいても人生を無駄に過ごすだけだ。僧を辞めて、里へ帰れ。」
といいました。



兄の忠告を聞いた槃特は、
自分の才能の無さに絶望し、
師の元から去ろうとしました。


その時に、
師がやってきて
槃特に言いました。



「何をそんなに悲しんでいるのだ。悲しむ必要は無い。
自らの愚を知る者は、真の知恵者だ。
世の中には、自分が賢いと思っている愚か者がたくさんいる。
自分の愚かさを理解することは、悟りの一歩となる。」



釈迦大師は、
槃特に一本の箒と塵取りを渡すと、
「塵を祓わん、垢を除かん」
と唱えながら、
毎日掃除に専念しなさいと伝えました。


槃特は、
その日から毎日毎日精舎をひたすら掃除に専念しました。
最初のうちは、
「塵を祓わん、垢を除かん」
という短い言葉でさえ
覚えることが出来ませんでした。


数年が経ち、
槃特は
師に
「どうでしょうか。綺麗にしました。」
と伝えます。




師は一言

「駄目だ。」

と答えます。


槃特は、
さらに黙々と掃除に専念します。









二十年が経ちました。





師は、
一度だけ
次のように言いました。

「おまえは、何年掃除しても上達しないが、
上達しないことを気に留めずに、
一心によく同じことを続けている。
掃除が上手くなることも大切だが、
一つの作業を根気よく続けることが、
一番大切だ。
これは他の弟子よりも優れていることだ。」



槃特は、
ある時、
ふと
汚れているのは、
精舎ではなく、
人の心であることに気が付きました。


すると
師の教えがよく理解できるようになり、
ついには
悟りを開き、
釈迦十大弟子と言われる高僧の一人、
周利槃陀伽(しゅりはんだか)
として名を連ねることになりました。



槃特にとってのアヴィヤーサ(繰り返しの内的世界の実践)は、
瞑想ではなく、
掃除でした。


これは
一心に継続するアヴィヤーサが
いかに大切であるかを物語っています。




続きます。








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