神の詩 第五章十二節 26
続きです。
続きです。
執着は、
エネルギーを多大に浪費してしまいます。
「心を統一した者(ヨーガ行者)は、行動の結果を捨てて、究極の平安に達する。心を統一していない者は、欲望のままに行動し、結果に執着して束縛される。(十二)」
「見たり聞いたりした対象への感覚的快楽への渇望を克服することが離欲〔無執着〕(ヴァイラーギヤ)である。」
ヨーガ・スートラ第一章十五節
ヨーガ・スートラ第一章十五節
続きです。
執着は、
エネルギーを多大に浪費してしまいます。
愛着であれば、
その人がいることに常に感謝し、
何も要求しません。
その人がいなくなっても、
愛だけが残り苦悩は起こりません。
心の中は
自分よりもその人の幸せを願います。
その人がいることに常に感謝し、
何も要求しません。
その人がいなくなっても、
愛だけが残り苦悩は起こりません。
心の中は
自分よりもその人の幸せを願います。
長い目で見たら、
愛着や愛のある関係は、
至福をもたらし、
お互いに幸福になります。
愛着や愛のある関係は、
至福をもたらし、
お互いに幸福になります。
愛着には
わずかに執着がのこっていますが、
やがて
執着の消えた愛へと
昇華していくことが出来ます。
愛着や愛は、
エネルギーを増大させ、
内なる探究へと向けることが出来ます。
わずかに執着がのこっていますが、
やがて
執着の消えた愛へと
昇華していくことが出来ます。
愛着や愛は、
エネルギーを増大させ、
内なる探究へと向けることが出来ます。
愛着が、
愛に変容すれば、
人はもっと自由になります。
愛すれば愛するほど、
自由度は増していきます。
それは愛が、
執着とは無縁の源泉から湧いてくるからです。
愛に変容すれば、
人はもっと自由になります。
愛すれば愛するほど、
自由度は増していきます。
それは愛が、
執着とは無縁の源泉から湧いてくるからです。
「愛欲に駆り立てられた人は、罠にかかった兎のようにじたばたする。束縛の絆に縛られ、執着にこだわり、長い間繰り返し苦悩を受けるだろう。」
釈迦大師「ウダーナヴァルガ(自説経)」」
釈迦大師「ウダーナヴァルガ(自説経)」」
コメント
コメント一覧
部分的な愛は好き嫌いで、世界を二分しますから不自由です。
特定の対象と愛を切り離せると、愛だけを持っていられますが、やはり愛する対象を探してしまいます。
全体の一部から発する愛の対象はやはり全体の一部。
個を超えると、無条件、無制限。
有限の時空を超えた根源が確かにあるのですから遡って、
すべてを良しとして存在せしめた創造主は、まず空間をつくった。
創造自体が愛で、空間のなかを動かしているエネルギーは、愛によってもたらされる、意志というのか、人の思考の次元とは違うもの。
そんな仮定をして、確かめてみようと。