nādatte kasyacit pāpaṃ na caiva sukṛtaṃ vibhuḥ
ajñānenāvṛtaṃ jñānaṃ tena muhyanti jantavaḥ 5.15

「遍在者(主)は誰の善も誰の悪も受け取らない。知識が無智に覆われるので、人々は迷う。(15)」


続きです。


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超越した意識では、
すべての事象を
善眼と悪眼を超越した
「慈眼」
で観ていることになります。



普通の人の考える善悪は、
聖者にとって
何も違いが無いことを示した逸話を、
経典「涅槃経」
からご紹介しましょう。


八十歳を迎える釈迦大師は、
高弟アーナンダを連れて
最後の旅に出かけました。

マガダ国最大の都である王舎城の霊鷲山(ルビ:りょうじゅせん)を出発し、
ガンジス河を越えていく旅の先々で、
師は説法を行いました。

旅の途中のパーヴァー村で、
鍛冶屋の青年チュンダ(純陀)に法を説いたところ、
チュンダはとても感謝して、
大師たち一行を
翌日の朝食に招待しました。

この頃には
釈迦大師の功徳名声は広く世に広まっていて、
各地にいる高僧から王族までもが、
美麗を尽くした供養を捧げようと持参していました。

ところが大師は、
それらに感謝しつつも断って、
チュンダの招待に応じたのです。

大師は、
貴賎を問わない絶対平等の立場で
行動を続ける姿を
いつも示していました。


チュンダは、
村で一番の大師の在家信者でした。

彼は、
新鮮なキノコを採取して、
心を込めて料理「スーカラ・マッダヴァ」を作り、
師をもてなしました
(実はこのスーカラ・マッダヴァという料理に関しては、詳細は不明です。一説にはキノコ料理とされています)。


ところが、
大師はこの料理に毒があることを見抜きながらも、
感謝して食します。

そして師は、
チュンダに
他の者たちにはこの料理を提供しないように
とさりげなく伝えました。

食事の後、
大師たち一行は次の目的地に向かって出発します。

ところが、
大師は
道の途中で激しい腹痛と嘔吐、血便となり、
カクッター川の川辺で
休憩を取ることとなりました。


川辺で休まれる大師は、
高弟アーナンダに次のように伝えます。
「アーナンダよ。
人は、チュンダの料理のせいで私が亡くなったとチュンダを責めてしまうだろう。
でもそれは正しくない。
私は、チュンダの料理を最後の供養に選んだのだ。
私の生涯では、
二つの優れた供物が捧げられた。
この二つとも等しくとても優れた果報があり、
大いなる功徳があった。

その優れた二つの供物とは何かわかるか?

一つは、スジャータが持ってきてくれた粥であり、
それによって私は無上なる悟りの境地を達成した。

そしてもう一つが、この度のチュンダの料理である。
これによって私は涅槃の境地に入ることが出来る。

アーナンダよ、
もしもチュンダを憎むような者が現れたら、
チュンダは善き行いをしたことをよく諭すのだ」。


続きます。


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