jñānena tu tad ajñānaṃ yeṣāṃ nāśitam ātmanaḥ
teṣām ādityavaj jñānaṃ prakāśayati tat param 5.16

「真我を知って無智を破壊した時、彼等の知識は太陽のように、至高者を照らし出す。(16)」



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続きです。



私たちの真我は、
いつでも
自我が無智に気付くように、
さまざまな形でサインを送ってくれています。



「法華経」には、
「法華七喩(ルビ:ほっけしちゆ)」
という七つの喩え話が収録されています。


これは、
法華経の教えを誰にでもわかりやすく理解してもらうために、
七つの喩え話にして、
仏の法を説いたものです。


その中に
「衣裏宝珠(ルビ:えりほうじゅ)の喩え」
という話が出てきます。


ある貧しい男が諸国を放浪していました。
男は持ち金がほとんどなく、
とても苦しい状態でした。

旅の途中で、
男は旧友とばったり出会い、
その友人宅に一晩泊めてもらうことになりました。

男はそこでたくさん酒を飲み、
酔いつぶれてしまいます。

実は友人は、
その男の旅を援助するために、
高価な宝石をあげるつもりでいました。

けれど、
酔いつぶれている男に宝石を渡しても、
失くしてしまうかもしれません。

そうこうしているうちに、
急用が出来て、
出かけなければならなった友人は、
寝ている男の衣の裏に宝珠(とても貴重な宝石)を縫い付けてから、
出かけていきました。

注意深く衣を扱えば、
すぐに宝珠がわかるようにしたのです。

翌朝、
目を覚ました貧しい男は、
それに気づかず友人宅を出て、
衣食を求めて再び諸国を放浪しました。

結局、
自分の衣に縫い付けられた宝珠に気づかず、
旅先でお金に困窮し、
相当な苦労を重ねることになったのでした。




この話の男とは、
無智の中にいる人。
友人とは、
その人の真我です。

宝珠とは、
真我の叡智。

日常を丁寧に生きていれば、
無智から脱出する叡智が
自分の中に内蔵していることを示しています。


神の霊光を物質世界の光に喩える例は、
聖書でも随所に出てきます。


続きます。







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