jñānena tu tad ajñānaṃ yeṣāṃ nāśitam ātmanaḥ
teṣām ādityavaj jñānaṃ prakāśayati tat param 5.16


「真我を知って無智を破壊した時、彼等の知識は太陽のように、至高者を照らし出す。(16)」



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続きです。






パタンジャリ大師は
ヨーガ・スートラの中で無智について次のように述べています。
「無智とは、無常を常、不浄を浄、苦を楽、自己ではないものを自己とみなすことである」
(ヨーガ・スートラ第2章5節)


この節でサンスクリット語の「無智(ajnanam)」の前に
「tat」とあるのは、
無智が真我からは離れたものであるということを表現するためです。



私たちは、
無智によって光を遮り、
本当の自分を忘れています。




タイのある寺院に、
とても美しい黄金の仏像があります。

そして、
その傍らには、
小さなガラスケースの中に
粘土のカケラが展示されています。



1950年代に、
この寺院は高速道路建設のために移転することになりました。
寺院には、
古くから祀られている粘土でできた巨大な仏像がありました。

移転に伴って、
巨大な粘土の仏像をクレーンで持ち上げたところ、
予想外の重さで、
粘土の像の一部が、
ひび割れてしまったのです。


その後、
天候が悪くなったこともあって、
その日の作業は一旦中止となり、
仏像には大きな布の覆いが被せられました。


翌朝未明に、
寺院の管長が、
仏像のひび割れを確認しに行きました。

管長は、
覆いの中に懐中電灯を持って入り、
仏像を照らしてみました。

すると、
ひび割れの隙間から、
金色に輝く物体が見えたのです。

管長は、
急いでノミと金槌を持って戻ると、
粘土を慎重に剥がしていきました。


粘土の中にあったのは、
なんと黄金色に輝く仏像でした。

何時間もかけて、
すべての粘土を取り除くと、
あまりに神々しい黄金の仏像が姿を現したのです。

タイは
16世紀から数百年に渡って
ビルマと戦争をしており、
ビルマの軍隊がこの寺院を攻めてきたときに、
このかけがえのない黄金の仏像が略奪されないよう、
泥を塗り固めて
泥の像と偽って守ってきたのです。



でもその後、
それを知る僧侶たちが皆ビルマ軍に殺されてしまい、
その仏像の秘密を知る者は
誰もいなくなってしまいました。

こうして、
泥で塗り固められたままになっていた仏像が、
移転をきっかけに
再びその輝きを取り戻したのです。



私たちも、
この泥で塗り固められて保護された黄金色に輝く仏像のようなものです。


今こそ、
本当の自分を見つけ、
輝く時です。


私たちの魂は、
至高霊の分け魂であり、
霊光を放つ能力が内包されています。


瞑想は、
心と魂が強化されるだけでなく、
身体も若々しく強化されます。


黄金の仏像に塗り固めた粘土を取り除く、
最も優れた方法の一つなのです。


ちなみに、
多くの寺院で仏陀の像が黄金色の金箔を施されているのは、
入滅前の釈迦大師が
黄金色に光り輝いていた
という記録に基づくものです。



「明暗偕ならず。一は強く、一は弱し。」(空海/性霊集 第八)
明るさと暗さは共存できない。一方が強くなれば、一方が弱くなる。




人のエネルギーの流れは、
一つの方向に向かいます。

光の方向に向かうことも出来れば、
闇の方向に向かうことも出来ます。

一つの対象を愛することも出来れば、
憎むことも出来ます。

一つの事象を許すことも出来れば、
恨むこともできます。


両方同時に向かうことは出来ないのです。
どちらに向かうのか選ぶのは自分自身ですが、
向かうべき方向は明らかです。



次は

「至上霊に知性と心を固定し、至上霊に全信頼を捧げ、至上霊との合一を願う者は、知識で穢れを祓い落とし、二度と戻ることのない境地に至る。(17)」



今日は
久しぶりにギーターの講演会です。
今日の話を聞いた人は
聖典をいままでよりも
はるかに深く、広く
読み解けるようになります。




皆さまにお会いすることを楽しみにしています。

第四巻第五巻
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