インド西部マハーラーシュトラ州。
ある農夫が、
収穫の終わったサトウキビ畑を翌年のために野焼き作業を行っていました。
畑に火が燃え広がった時、
猫が鳴き叫ぶような声が聴こえたのです!
農夫が急いで声のする方を確認すると、
4匹の生まれて間もないレパードの赤ちゃんたちが火の中にいたのです。
母レパードは、突然の火に驚いて、逃げてしまったようです。
通報によって動物保護団体ワイルドライフSOSと地元の森林局がすぐに救助に駆けつけました。
急性の火傷を負った赤ちゃんレパードたち。
WildLifeSOS
直ちに治療が施されました。
WildLifeSOS
WildLifeSOS
そして治療が終わり、
赤ちゃんレパードを探しに、母レパードが戻ってきた気配がしたのです。
母レパードは、とても心配したことでしょう。
WildLifeSOS
赤ちゃんレパードたちは、火傷以外に、健康上は問題ありませんでした。
WildLifeSOS
夜暗くなってから、
赤ちゃんレパードたちは無事に母レパードの元へ帰ることが出来ました。
あやうく突然の出来事で、4匹の赤ちゃんを失う寸前でしたが、
運よく無事に助かりました。
最近は、
レパードの本来の生息地を人間に奪われてしまったため、
このように畑の中で出産するケースも増えているのです。
「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」
これは有名な俳人である小林一茶の句ですが、
人が乗る御馬が通るから、雀の子供たちはのんびりしていると踏み潰してしまうぞ、という句です。
今回も
人が野焼きするから、レパードの子供たちはのんびりしていると焼き殺してしまうぞ、という人間の一方的な立場が似ています。
そう、
4匹のレパードの命が火事から救われた報道で、小林一茶を思い出しました。
「野火」と「4つの子供の命」というキーワードは、
小林一茶の人生にとって、もっとも重要なことだったからです。
そして、
一茶もまた、人間の身勝手さ、権力の身勝手さに翻弄された俳人でした。
「やれ打つな蝿が手をすり足をする」
これも打つ側の一方的な身勝手さを訴えています。
強い立場と弱い立場。
小林一茶は、長野県の貧しい農家に生まれました。
3歳で母を亡くし、
8歳で新しい義母を迎えましたが馴染めずに、
14歳の時に、唯一優しくしてくれた祖母が亡くなると義母のいじめはひどくなり、
15歳の時に御奉公に出されてしまいました。
その後、
52歳になってようやく結婚したものの、
長男、
長女、
次男、
と次々と病で亡くしてしまい、
その後、
妻、三男も亡くします。
一茶は、わずかな期間に
4人の子供と妻を立て続けに失ってしまったのです。
その後に再婚しますが、すぐに離婚。
再度結婚したら、一茶の体調が崩れてしまい、
さらに
家が野火で焼けてしまい、
その半年後に
焼け残った土蔵の中で生涯を閉じます。
4匹のレパードの赤ちゃんが無事に助かった報道を見て、
一茶が聞いたら、
人の一方的な横暴な行為を憐れむと共に、
救出された4匹の命を自分のことのように喜んだだろうな、
と思ってしまいました。
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ある農夫が、
収穫の終わったサトウキビ畑を翌年のために野焼き作業を行っていました。
畑に火が燃え広がった時、
猫が鳴き叫ぶような声が聴こえたのです!
農夫が急いで声のする方を確認すると、
4匹の生まれて間もないレパードの赤ちゃんたちが火の中にいたのです。
母レパードは、突然の火に驚いて、逃げてしまったようです。
通報によって動物保護団体ワイルドライフSOSと地元の森林局がすぐに救助に駆けつけました。
急性の火傷を負った赤ちゃんレパードたち。

直ちに治療が施されました。


そして治療が終わり、
赤ちゃんレパードを探しに、母レパードが戻ってきた気配がしたのです。
母レパードは、とても心配したことでしょう。

赤ちゃんレパードたちは、火傷以外に、健康上は問題ありませんでした。

夜暗くなってから、
赤ちゃんレパードたちは無事に母レパードの元へ帰ることが出来ました。

あやうく突然の出来事で、4匹の赤ちゃんを失う寸前でしたが、
運よく無事に助かりました。
最近は、
レパードの本来の生息地を人間に奪われてしまったため、
このように畑の中で出産するケースも増えているのです。
「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」
これは有名な俳人である小林一茶の句ですが、
人が乗る御馬が通るから、雀の子供たちはのんびりしていると踏み潰してしまうぞ、という句です。
今回も
人が野焼きするから、レパードの子供たちはのんびりしていると焼き殺してしまうぞ、という人間の一方的な立場が似ています。
そう、
4匹のレパードの命が火事から救われた報道で、小林一茶を思い出しました。
「野火」と「4つの子供の命」というキーワードは、
小林一茶の人生にとって、もっとも重要なことだったからです。
そして、
一茶もまた、人間の身勝手さ、権力の身勝手さに翻弄された俳人でした。
「やれ打つな蝿が手をすり足をする」
これも打つ側の一方的な身勝手さを訴えています。
強い立場と弱い立場。
小林一茶は、長野県の貧しい農家に生まれました。
3歳で母を亡くし、
8歳で新しい義母を迎えましたが馴染めずに、
14歳の時に、唯一優しくしてくれた祖母が亡くなると義母のいじめはひどくなり、
15歳の時に御奉公に出されてしまいました。
その後、
52歳になってようやく結婚したものの、
長男、
長女、
次男、
と次々と病で亡くしてしまい、
その後、
妻、三男も亡くします。
一茶は、わずかな期間に
4人の子供と妻を立て続けに失ってしまったのです。
その後に再婚しますが、すぐに離婚。
再度結婚したら、一茶の体調が崩れてしまい、
さらに
家が野火で焼けてしまい、
その半年後に
焼け残った土蔵の中で生涯を閉じます。
4匹のレパードの赤ちゃんが無事に助かった報道を見て、
一茶が聞いたら、
人の一方的な横暴な行為を憐れむと共に、
救出された4匹の命を自分のことのように喜んだだろうな、
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