牛のゴリアテちゃん。
生命力の強さから、
旧約聖書の「サムエル記」に登場するペリシテ人の巨人兵士の名前
「ゴリアテ」と名付けられました。
自分が犬だと思っています。
ゴリアテは、生まれてすぐに
虚弱なため
お母さんの母乳を吸う力がありませんでした。
現在の飼い主のシャーリー・ハブスさんが
出会った時は、
ゴリアテはやせ衰え、病気の状態でした。
そのため家に連れて帰り、
世話を始めました。
愛情いっぱいの世話によって
ゴリアテは体調を回復、
すくすくと育ったのです。
そして、
前から家にいるグレードデンのレオニダスちゃんと仲良しになりました。
そのために
自分も犬だと思っているようです。
犬のようにソファでくつろいでいます。
Shaylee Hubbs/countryliving.com
レオニダスとゴリアテ
Shaylee Hubbs/countryliving.com
Shaylee Hubbs/mymodernmet.com
ドッグフードも食べてしまいます。
Shaylee Hubbs/countryliving.com
すっかり犬の気分のゴリアテ。
犬とともに育ち、
牛を知らないと
すっかりと順応してしまいます。
犬になり、ドッグフードで育つ牛は、
本来の牛としての能力を充分に発揮することはないでしょう。
それはそれで、とても幸せなのかもしれません。
でも、
それが、
今の私たちの姿と被って見えてしまうのです。
私たちも
生まれ育った環境で、
心の在り方は大きく影響を受けます。
人の表層意識も、
社会環境に応じて簡単に影響され、順応してしまいます。
どんな社会でも、生まれ育てば、
それが当たり前になります。
だから、
子供の頃の生活環境、
人、
社会的環境、
そして
教育。
どれも、将来のその人の常識を形成する要因になります。
現代の先進国での教育は、
いまだに
富や社会的成功を得るための理論的な知識の習得が優先されています。
それは
教育によって
石ころを宝石と勘違いさせて
獲得競争させているようなもの。
そして、
富や名声には、緊張や心配が一緒についてくることは誰も教えません。
競争心が、心の毒になることも誰も教えません。
それは教える側が、
すでに緊張し、
心配し、
競争心が当たり前だという考えに毒されているから。
このような教育は、
本来の子供の意識の発達の妨げになります。
幼少時の教育は、
創造性を楽しみ、
人格や道徳心を学び、
競争心ではなく協調性の大切さを理解することを最優先にすべきなのです。
それが真の教育であり、
人々を幸せに導く社会を作ります。
犬になった牛も成長すれば、
いつかは
自分が牛だったことに気がつきます。
私たちも、
本来の能力を十二分に発揮するために
いつかは
曇りのない眼で
本来の自分を見なければならないでしょう。
今日もありがとうございます。
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生命力の強さから、
旧約聖書の「サムエル記」に登場するペリシテ人の巨人兵士の名前
「ゴリアテ」と名付けられました。
自分が犬だと思っています。
ゴリアテは、生まれてすぐに
虚弱なため
お母さんの母乳を吸う力がありませんでした。
現在の飼い主のシャーリー・ハブスさんが
出会った時は、
ゴリアテはやせ衰え、病気の状態でした。
そのため家に連れて帰り、
世話を始めました。
愛情いっぱいの世話によって
ゴリアテは体調を回復、
すくすくと育ったのです。
そして、
前から家にいるグレードデンのレオニダスちゃんと仲良しになりました。
そのために
自分も犬だと思っているようです。
犬のようにソファでくつろいでいます。

レオニダスとゴリアテ


ドッグフードも食べてしまいます。

すっかり犬の気分のゴリアテ。
犬とともに育ち、
牛を知らないと
すっかりと順応してしまいます。
犬になり、ドッグフードで育つ牛は、
本来の牛としての能力を充分に発揮することはないでしょう。
それはそれで、とても幸せなのかもしれません。
でも、
それが、
今の私たちの姿と被って見えてしまうのです。
私たちも
生まれ育った環境で、
心の在り方は大きく影響を受けます。
人の表層意識も、
社会環境に応じて簡単に影響され、順応してしまいます。
どんな社会でも、生まれ育てば、
それが当たり前になります。
だから、
子供の頃の生活環境、
人、
社会的環境、
そして
教育。
どれも、将来のその人の常識を形成する要因になります。
現代の先進国での教育は、
いまだに
富や社会的成功を得るための理論的な知識の習得が優先されています。
それは
教育によって
石ころを宝石と勘違いさせて
獲得競争させているようなもの。
そして、
富や名声には、緊張や心配が一緒についてくることは誰も教えません。
競争心が、心の毒になることも誰も教えません。
それは教える側が、
すでに緊張し、
心配し、
競争心が当たり前だという考えに毒されているから。
このような教育は、
本来の子供の意識の発達の妨げになります。
幼少時の教育は、
創造性を楽しみ、
人格や道徳心を学び、
競争心ではなく協調性の大切さを理解することを最優先にすべきなのです。
それが真の教育であり、
人々を幸せに導く社会を作ります。
犬になった牛も成長すれば、
いつかは
自分が牛だったことに気がつきます。
私たちも、
本来の能力を十二分に発揮するために
いつかは
曇りのない眼で
本来の自分を見なければならないでしょう。
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コメント
コメント一覧
やはり自然の中で育てるのがいちばんだと思います。
多様性と複雑さ、調和と循環、忍耐力と寛容、他力と謙虚さ…
1つの例外もなく「在るように在る」ということ…
自然はそれを教えてくれる最高の教師ですね。