昔は休日でも休日ではなく
ほとんど常に病院内で過ごしていました。
まったく外に出ることも無く、
いつも動物たちと一緒。
で、運動不足を実感し、
夜たまにジョギングを始めたものの、
原発後は中止。
50歳を越えた頃から
さらに
極度の運動不足を実感したのです。
緊急手術に備えて、
20年以上も
重いものも持たなかった。
身体の維持は、ヨガと瞑想だけ。
それで休日をしっかりと週一回作り、
朝のお散歩を開始。
人見知りなので、
人が誰も来れない所をお散歩します。
たまには長く歩くこともあります。
仕事が終わると夜に山に入り
朝方までお散歩します。
先日秋晴れの中、
少し長めにお散歩しました。
というか、走りました。
少し長めのコース。
これは少し前なので、まだ雪も氷もありません。
今は、雪と氷の世界になっています。
この日は、
写真の左手ずっと向こうに見える真ん中あたりの里から、
走ったり、歩いたり、
楽しみながらのお散歩。
ここまで来ました。

スタート地点は、この下の写真の矢印のあたり。
写真に見える山をすべて越えて、
一旦ここで休憩。
とても爽やかです。

この後、さらにいくつかの山を越えてから、
帰ります。
山など高尾山以外登ったことに無かったので、
初めて山に来たときには、
本当に大変でした。
体力的にも限界を越え、
帰れるかどうかもわからず・・。
今はすべてが気持ちよく感じます。
たまに自分の体力の限界を超えてみるので、
長く走ると疲れますが、
それも心地良く感じます。
内的な感覚は、
日に日に研ぎ澄まされていく感覚。
至福の時間。
山のお散歩での体験は
霊性の進化と覚醒の過程に似ています。
もし悟りが簡単なことであれば、
あえて
悟る必要もないでしょう。
とても難しいと言うことは、
それだけの価値があるということ。
でも、
一度霊性進化の道に入ると、
多くの困難を体験することになります。
多くの険しい道を登り、
崖を通り、
強風にさらされ、
呼吸も苦しくなったりすることもあります。
ブリザードで視界が無くなることも。
でも、
平地を楽に歩くのとは違い、
得られるものも大きくなります。
厳しい道を体験する過程で、
特に内面では、
心身の調和、
心身の浄化、
見えない世界との繋がりの強化
霊的感覚の繊細化、
直感の正常化、
忍耐力の強化、
正しい道を歩んでいると言う確信、
大小様々な気づき、
など。
それらが、
静かに
繊細に
そしてゆっくりと
内面にさまざまな変化として起こっていきます。
この地球では、
外面的な体験を通して
内面的な変化を作ることが可能です。
でも意識しないと、
外面の体験は
上手く内面の良い変化に効率的に結びつくことはありません。
物質世界では、
体験と成果が
わかりやすく結びつきます。
毎日走る練習をすれば、走るのが早くなっていく。
毎日ピアノの練習をすれば、ピアノが上手くなっていく。
でも、
霊的な世界では
体験と成果は
とても自覚しにくいものとなります。
それは、
顕在意識では
全体像は全く視れないからです。
そのため、
大きな忍耐と信頼が試されることになります。
でも、
森の中を歩きつづけていると、
森林限界を超えて
突然視界が開けて、
今まで歩いてきた道のりが一望できるようになるのと同じように
内面の視野が急に開ける時がきます。
これらの変化について、
またすこしずつ書いていこうと思います。
今日もありがとうございます。

人気ブログランキングへ
ほとんど常に病院内で過ごしていました。
まったく外に出ることも無く、
いつも動物たちと一緒。
で、運動不足を実感し、
夜たまにジョギングを始めたものの、
原発後は中止。
50歳を越えた頃から
さらに
極度の運動不足を実感したのです。
緊急手術に備えて、
20年以上も
重いものも持たなかった。
身体の維持は、ヨガと瞑想だけ。
それで休日をしっかりと週一回作り、
朝のお散歩を開始。
人見知りなので、
人が誰も来れない所をお散歩します。
たまには長く歩くこともあります。
仕事が終わると夜に山に入り
朝方までお散歩します。
先日秋晴れの中、
少し長めにお散歩しました。
というか、走りました。
少し長めのコース。
これは少し前なので、まだ雪も氷もありません。
今は、雪と氷の世界になっています。
この日は、
写真の左手ずっと向こうに見える真ん中あたりの里から、
走ったり、歩いたり、
楽しみながらのお散歩。
ここまで来ました。

スタート地点は、この下の写真の矢印のあたり。
写真に見える山をすべて越えて、
一旦ここで休憩。
とても爽やかです。

この後、さらにいくつかの山を越えてから、
帰ります。
山など高尾山以外登ったことに無かったので、
初めて山に来たときには、
本当に大変でした。
体力的にも限界を越え、
帰れるかどうかもわからず・・。
今はすべてが気持ちよく感じます。

たまに自分の体力の限界を超えてみるので、
長く走ると疲れますが、
それも心地良く感じます。
内的な感覚は、
日に日に研ぎ澄まされていく感覚。
至福の時間。
山のお散歩での体験は
霊性の進化と覚醒の過程に似ています。
もし悟りが簡単なことであれば、
あえて
悟る必要もないでしょう。
とても難しいと言うことは、
それだけの価値があるということ。
でも、
一度霊性進化の道に入ると、
多くの困難を体験することになります。
多くの険しい道を登り、
崖を通り、
強風にさらされ、
呼吸も苦しくなったりすることもあります。
ブリザードで視界が無くなることも。
でも、
平地を楽に歩くのとは違い、
得られるものも大きくなります。
厳しい道を体験する過程で、
特に内面では、
心身の調和、
心身の浄化、
見えない世界との繋がりの強化
霊的感覚の繊細化、
直感の正常化、
忍耐力の強化、
正しい道を歩んでいると言う確信、
大小様々な気づき、
など。
それらが、
静かに
繊細に
そしてゆっくりと
内面にさまざまな変化として起こっていきます。
この地球では、
外面的な体験を通して
内面的な変化を作ることが可能です。
でも意識しないと、
外面の体験は
上手く内面の良い変化に効率的に結びつくことはありません。
物質世界では、
体験と成果が
わかりやすく結びつきます。
毎日走る練習をすれば、走るのが早くなっていく。
毎日ピアノの練習をすれば、ピアノが上手くなっていく。
でも、
霊的な世界では
体験と成果は
とても自覚しにくいものとなります。
それは、
顕在意識では
全体像は全く視れないからです。
そのため、
大きな忍耐と信頼が試されることになります。
でも、
森の中を歩きつづけていると、
森林限界を超えて
突然視界が開けて、
今まで歩いてきた道のりが一望できるようになるのと同じように
内面の視野が急に開ける時がきます。
これらの変化について、
またすこしずつ書いていこうと思います。
今日もありがとうございます。
人気ブログランキングへ
コメント
コメント一覧
朝から続いているので午後から台所〜床〜窓〜何が出てくるかな〜〜
一つ一つ丁寧に挑戦致します😃
(^O^☆♪
思っているあいだは見つからないのでしょうね。
瞑想歴(自己流です)は長いのですが、私も長い間ずっとそうでした。
特別な境地へ至りたい、体験したい、自分は何者かでありたいと…、そんなエゴが、
払っても払っても湧いて出てきて、何度も自分に失望感を覚えました。
でも本当は ”nothing being everything” でした。
東京に暮らしていると、ついそのことを忘れてしまいそうになりますが、
私も、何でもない日常の1つ1つを丁寧に生きられたらいいな~と。
ひかたまの自然の風景写真がそれを思い出させてくれます。
いつもありがとうございます。