まずは、
当ブログ「最後の一頭 ゾウとクジラの絆」からの抜粋です。


米国アイオワ州で89年ぶりにハイイロオオカミが発見されました。
が、
射殺
最後の一頭だった可能性があります。

gray11The Guardian

米国ノースカロライナ州では
世界にたったの100頭しか生存していない貴重なアカオオカミ

次々と射殺

redwol11WildLifeExtra.com


ユタ州で目撃された貴重なハイイロオオカミも
射殺
このオオカミは、
グランドキャニオン近くで70年以上ぶりに確認された「エコー」と名付けられた、
とても貴重な個体だった
ことが判明しました。


射殺したハンターは、「コヨーテと間違えた。」と弁明しています。

wolf11 The HuffinghtonPost



まだまだありますが
このような話を聞くたびに本当に残念に思います。
人は何故、平気でこのような行為をしてしまうのでしょう。

ハンターの言葉は、
たいてい
「間違えて殺した。」
です。

この一言があれば、罪にならないのです。
罪にするには、
検察側が、ハンターがオオカミだと理解して意図的に射殺したことを証明しなければならないのです。
でも
「間違えた」と言えば無罪確定。

でも、別の証言では
あるハンターは「ただ動物を射殺することに喜びを感じる。」と言っています。



学術誌「Biodiversity and Conservation生物多様性と保護」に掲載された論文よると、

1993年から2013年にメキシコで射殺されたオオカミの55%は違法な射殺によるもの
アカオオカミの25%は、違法な射殺によるもの
1982年から2004年までに米国西部で亡くなったオオカミの12%は違法な射殺によるもの


これらは、
絶滅が危惧されている貴重な生き物では異常な数字です。

このままでは、
本当に絶滅してしまう。

オオカミが生態系のバランスに大きな役割があるのは、周知の通りです。

それは、巡り巡って、自分たちの首を絞めているようなもの。


「誤射」によって貴重な命を奪えるのは、
分離感が強いから。


自分と他人
自分と他の物は別という幻想。



分離感が強ければ、
他の生命が苦しんでも、
他の生命を殺しても、
自分とは関係が無い
自分には影響がない
と思ってしまう。

多くの人は意識の表層部分だけを利用しています。

表層世界にだけ意識の焦点を合わせていると、
すべてのものに制限を与え、
誇張され、
批判が生まれ、
執着が生まれ、
さらに
分離は強まり、
ますます本質から遠ざかります。


信頼感や和があれば、愛は大きくなる

その一方で、


不信感や分離感があれば苦悩は大きくなります。


そして、
その苦悩はすっかり忘れた頃にやってくる。
その苦悩の中から、大きな学びを得て、
分離感を無くしていくしかありません。





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