先ほどの「霊長類の半数が絶滅の危機」の記述の補足です。
「花は年々開くとも、皆得悟するにあらず」
本来ならば、
花が開くという
自然界の移り変わりからでさえ、
宇宙の理を悟ることが出来るはず。
でも
花が開いても、誰もその本質を見ようとしないのは、
何故でしょうか?
そこには、思考の殻が形成されているのです。
私たちは、
物質世界に肉体を持って
言葉を使って物事を伝達する習慣が身についています。
例えば、
本も、文字を使って、思いを伝える手段になっています。
本は、紙とインクを使って文字を羅列したものであり、
その紙とインクに「思い」が在るわけではなく、
その文字列そのものに「思い」が在るわけではなく、
「思いを伝える道具」です。
「本当の思い」は、書いた人の心に在ります。
それと同様に、
「エネルギーの世界を伝える道具」として物質世界があります。
文字と同じように、
物質世界もその実像そのものではなく、
本当の実像は、エネルギー世界に在るのです。
この時には
物質が、
実は実像ではなく、
実像を伝える道具になっています。
でも、
物質世界に留まり、
文字を使って意思伝達を行う習慣になると、
物質が、
実像を伝える道具ではなくなり、
実像そのものと勘違いするようになってしまうのです。
一度そのような思考に囚われると、
もう物質世界に束縛された考えから抜け出すのは容易ではありません。
そこには、
卵に喩えると、
思考の殻が形成されます。
思考の殻は、自分自身の自我が創り出している実体の無いもの。
でも、
その中にいれば楽であるために
その殻からはなかなか出ることが出来なくなるのです。
思考の殻の中にいても、
言葉や文字が、思いを伝える道具であることは理解できます。
でも、
物質やこの物質世界が、実像を伝える道具であることは容易には理解できません。
禅は、
その殻を破るために
自然界の背後にある実像を見るための手法を
提案しています。
殻は破った瞬間に
消えて無くなります。
以前当ブログで
「老化の本当の意味とエネルギー」で
老化が肉体の劣化であるのは本質ではなく、
本当はエネルギー場が移行することが老化現象の本当の理由であることを書きました。
眠りについても、
思考の殻の中にいても、
肉体を休めるためと理解できますが、
肉体から高次の意識が離れたり、
エネルギー体から肉体へとエネルギーが充電されたり、
エネルギー体と肉体の相互の情報の交流が行われていることは、
容易には理解できません。
自分の脳や脾臓など、すべての肉体の細胞が、エネルギー体と常に交流しているなんて、
誰が想像できたでしょうか。
このような視点は、
思考の殻から出て、
物質世界が実像ではなく
本質を伝えるための道具であるというより広い視野に立てた時に明らかになります。
思考の殻を消すためには、
繰り返しの体験の中に培った
真実へ向かう強い思いと
ハートに内在する愛を強化すること
しかありません。
このことについては、
たくさんお伝えしたいことがありますので、
またゆっくりと書いていきたいと思います。
今日もありがとうございます。
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「花は年々開くとも、皆得悟するにあらず」
本来ならば、
花が開くという
自然界の移り変わりからでさえ、
宇宙の理を悟ることが出来るはず。
でも
花が開いても、誰もその本質を見ようとしないのは、
何故でしょうか?
そこには、思考の殻が形成されているのです。
私たちは、
物質世界に肉体を持って
言葉を使って物事を伝達する習慣が身についています。
例えば、
本も、文字を使って、思いを伝える手段になっています。
本は、紙とインクを使って文字を羅列したものであり、
その紙とインクに「思い」が在るわけではなく、
その文字列そのものに「思い」が在るわけではなく、
「思いを伝える道具」です。
「本当の思い」は、書いた人の心に在ります。
それと同様に、
「エネルギーの世界を伝える道具」として物質世界があります。
文字と同じように、
物質世界もその実像そのものではなく、
本当の実像は、エネルギー世界に在るのです。
この時には
物質が、
実は実像ではなく、
実像を伝える道具になっています。
でも、
物質世界に留まり、
文字を使って意思伝達を行う習慣になると、
物質が、
実像を伝える道具ではなくなり、
実像そのものと勘違いするようになってしまうのです。
一度そのような思考に囚われると、
もう物質世界に束縛された考えから抜け出すのは容易ではありません。
そこには、
卵に喩えると、
思考の殻が形成されます。
思考の殻は、自分自身の自我が創り出している実体の無いもの。
でも、
その中にいれば楽であるために
その殻からはなかなか出ることが出来なくなるのです。
思考の殻の中にいても、
言葉や文字が、思いを伝える道具であることは理解できます。
でも、
物質やこの物質世界が、実像を伝える道具であることは容易には理解できません。
禅は、
その殻を破るために
自然界の背後にある実像を見るための手法を
提案しています。
殻は破った瞬間に
消えて無くなります。
私たちは
地球上では大なり小なりある程度の固有の観念に囚われており、
自我意識が強い程、思考の殻は厚く狭くなり、
視野も狭くなっていきます。
あらゆる所、
あらゆる機会に、
思考の殻を破って神へ向かう入り口があるのに、
あらゆる機会に、
思考の殻を破って神へ向かう入り口があるのに、
気づかないのは
この自我によって作られた殻の中に留まっているからです。
この自我によって作られた殻の中に留まっているからです。
以前当ブログで
「老化の本当の意味とエネルギー」で
老化が肉体の劣化であるのは本質ではなく、
本当はエネルギー場が移行することが老化現象の本当の理由であることを書きました。
眠りについても、
思考の殻の中にいても、
肉体を休めるためと理解できますが、
肉体から高次の意識が離れたり、
エネルギー体から肉体へとエネルギーが充電されたり、
エネルギー体と肉体の相互の情報の交流が行われていることは、
容易には理解できません。
自分の脳や脾臓など、すべての肉体の細胞が、エネルギー体と常に交流しているなんて、
誰が想像できたでしょうか。
このような視点は、
思考の殻から出て、
物質世界が実像ではなく
本質を伝えるための道具であるというより広い視野に立てた時に明らかになります。
思考の殻を消すためには、
繰り返しの体験の中に培った
真実へ向かう強い思いと
ハートに内在する愛を強化すること
しかありません。
このことについては、
たくさんお伝えしたいことがありますので、
またゆっくりと書いていきたいと思います。
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コメント
コメント一覧
…物質世界がエネルギー世界を反映しているものであるならば、目を向けるべきは、
物質世界ではなくむしろエネルギー世界である。
…だから、瞑想や内観や想像力や夢の力etc. を総動員してエネルギー体に「愛」の周波数を
たくさん送り込む必要がある。
…人間には、そうやって現実世界(物質世界)や未来を別のものに置き換える能力がある。
その意味で、一人ひとりが創造に深く関わっている。責任がある。
創造する神を体現することを学ぶための仮想現実、それがこの物質世界なのだと。
ただの装置なのだと。学校なのだと。 …そういうことですね?
「ハートに内在する愛を強化するしかない」…と。
愛…、愛…。 やっぱりここなのですね。ここでいつも私は何度もまた振り出しに戻ったように
感じるんです、うまく言えませんが…。
頭が少し散らかってきました。
少し眠って、あちらで頭を(心を? 愛を?)整理してまいりますね(笑)
いつもありがとうございます。
先生を私のこの世のメンターに勝手に決定しました。
山から下りてきました。今年は雪が少ないです。
「エネルギーの世界を伝える道具として物質世界がある」これは、頭で考えて理解できるものでなく、
花の開花のように、あるとき突然の理解がやってきます。
頭より、心で整理してみましょう。
いまのまま進めば、近いうちによくわかる日が来ると思います。