以前当ブログで
「 聴こえない音を聴くための方法」
について書きました。
今日は、日常で人の話をよく聞くことについて。
この写真は、先週です。.。゚+.(・∀・)゚+.゚
今年は暖冬で雪がとても少ないです。
この日はうっかり靴を忘れたまま登ってしまいました。
(・◇・)ゞ
私は、休みの日は、いつも高山の中にいて
自然界と一体化して、
あらゆることに耳を傾けています。
これは、耳を充分に使いこなすよい機会となります。
五感の中で最後まで残るのは、
音を聴く能力なのです。
今日の話は、人の話を聞くことについて。
人の話を聞くときに、三通りの人がいます。
一つは、「人の話を全く聞かない人」。
二つは、「人の話を聞いて、従う人」。
三つは、「人の話を聞いた上で、自分自身の心の声に従う人」。
ほとんどの人は、
一番目と二番目です。
一番目の「人の話を全く聞かない人」は、
とても大きな損をしています。
他の人の話は、語り手自らの体験の分かち合い。
その体験を聞くことにより、
聞き手の心をも刺激してくれる可能性を秘めているからです。
話を聞かなければ、
自分の心をさらに大きく開く機会が閉ざされてしまう。
講演会など、たくさんのお金を払って人のお話を聞くのも、
それに従うためではなく、
自分の心を刺激するためですよね。
そして、
二つ目の「人の話を聞いて、従う人」は、
これは、
自覚のないままで誰かに依存する状態へとなってしまいます。
自分自身が決定すべき時に、
他人の意見によって決めてしまうことは、
自分自身の知性の放棄を意味します。
一度他人に頼ってしまうと、
次第に、盲目的に頼るようになってしまいます。
どうしたらよいか、
どうしたらいけないか
をアドバイスしてくれる人に
全面的に頼ってしまうようになるのです。
しかも、
自分ではその依存状態に気が付いていない。
自覚が無いだけに、そこから抜け出すことは出来ません。
これは本来、自分のハートで決めること。
でも、
依存状態になると、次第にハートは硬化します。
そうなると、
人に言われた言葉を、表面的に受け取るようになってしまいます。
自分自身のハートも使えなくなり、
人に言われた言葉も、すべて表面的となり、
その本心まで理解しようとはしなくなります。
ビジネスでの決定だけでなく、
日常生活の方針や
時には、
身体の不調の時でさえ、
他人からのアドバイスに頼るようになっていくのです。
自分自身の身体に耳を傾けることは、
人の話に耳を傾ける前に
もっと重要な事なのに。
広い視野を持った本当のアドバイスでは、
こうしなさい、
あのようにしなさい
などという命令で言うことはありません。
それは、
聞き手のハートに宿る自由意思を無視した命令になってしまうからです。
本当のアドバイスが出来る人は、
もっと建設的な気づきを与えるようなアドバイスをします。
つまり、
聞き手のハートの奥を
愛をこめて刺激することが目的となります。
時には、インドのアシュラムに入った人がよく経験するように、
グルから冷たく突き放したような試練を与えられることもあるかもしれません。
でも
それが
聞き手の硬化してしまったハートにショックを与えて
自立性を刺激して、
ハートを再び柔らかくするための
いい機会になることもあるのです。
それはグルだけではなく、
友人や
ビジネスの相手だったり、
たまたま出会った人からの
話の中に出てくるかもしれません。
いつでも必要なタイミングで出てきます。
昔北米の先住民のところに
宣教師たちがキリスト教を布教しにやってきました。
宣教師は、長い時間をかけてキリスト教を説明し、
先住民族たちは、その話を根気よく聞きました。
そして、
それを自分の中でよく消化した上で、
やはり
自分たちの信じる大霊への信仰を確信したのです。
一方、ほとんどの宣教師たちは
先住民の話には聞く耳持ちませんでした。
「人の話を聞いた上で、自分自身の心の声に従う先住民」
と
「人の話を全く聞かない宣教師」
もし先住民たちが、
今の現代人がネット情報に頼りきってしまっているように
「人の話を聞いて、従っしてまう人」だったら、
すべての智恵も
すべての文化も
根底から破壊されてしまったことでしょう。
でも、
先住民たちは、
常に自分のハートに決断することが出来たので、
何があってもゆるぎない決断と共に
心の平安があったのです。
人の話をよく聞く、
そして
それを踏まえた上で
自分自身の心の声に従うことは
多くの人が考えているよりも
とても重要なことです。
すべての事を、
自分自身の心に持ち帰り、
そこでよく消化し、
自分自身ですべてを決め、
自分自身の心に従うように。
人の話をよく聞くことは、とても大切です。
でも、
それを深く洞察することなく従ってはいけません!
よく人の話を聞くことは、
とてもよいことです。
でも、
それは従うためではなく
自分自身の心の中で洞察するためにあるのです。
本物の聖者は、ヒマラヤの奥地だけにいるものではありません。
自分の心の奥地にちゃんといるのです。
知りたいことがあれば、
わざわざヒマラヤまで行かなくても
まずはハートに住む聖者に聞いてみましょう。
今日もありがとうございます。
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「 聴こえない音を聴くための方法」
について書きました。
今日は、日常で人の話をよく聞くことについて。
この写真は、先週です。.。゚+.(・∀・)゚+.゚
今年は暖冬で雪がとても少ないです。
この日はうっかり靴を忘れたまま登ってしまいました。
(・◇・)ゞ
私は、休みの日は、いつも高山の中にいて
自然界と一体化して、
あらゆることに耳を傾けています。
これは、耳を充分に使いこなすよい機会となります。
五感の中で最後まで残るのは、
音を聴く能力なのです。
今日の話は、人の話を聞くことについて。
人の話を聞くときに、三通りの人がいます。
一つは、「人の話を全く聞かない人」。
二つは、「人の話を聞いて、従う人」。
三つは、「人の話を聞いた上で、自分自身の心の声に従う人」。
ほとんどの人は、
一番目と二番目です。
一番目の「人の話を全く聞かない人」は、
とても大きな損をしています。
他の人の話は、語り手自らの体験の分かち合い。
その体験を聞くことにより、
聞き手の心をも刺激してくれる可能性を秘めているからです。
話を聞かなければ、
自分の心をさらに大きく開く機会が閉ざされてしまう。
講演会など、たくさんのお金を払って人のお話を聞くのも、
それに従うためではなく、
自分の心を刺激するためですよね。
そして、
二つ目の「人の話を聞いて、従う人」は、
これは、
自覚のないままで誰かに依存する状態へとなってしまいます。
自分自身が決定すべき時に、
他人の意見によって決めてしまうことは、
自分自身の知性の放棄を意味します。
一度他人に頼ってしまうと、
次第に、盲目的に頼るようになってしまいます。
どうしたらよいか、
どうしたらいけないか
をアドバイスしてくれる人に
全面的に頼ってしまうようになるのです。
しかも、
自分ではその依存状態に気が付いていない。
自覚が無いだけに、そこから抜け出すことは出来ません。
これは本来、自分のハートで決めること。
でも、
依存状態になると、次第にハートは硬化します。
そうなると、
人に言われた言葉を、表面的に受け取るようになってしまいます。
自分自身のハートも使えなくなり、
人に言われた言葉も、すべて表面的となり、
その本心まで理解しようとはしなくなります。
ビジネスでの決定だけでなく、
日常生活の方針や
時には、
身体の不調の時でさえ、
他人からのアドバイスに頼るようになっていくのです。
自分自身の身体に耳を傾けることは、
人の話に耳を傾ける前に
もっと重要な事なのに。
広い視野を持った本当のアドバイスでは、
こうしなさい、
あのようにしなさい
などという命令で言うことはありません。
それは、
聞き手のハートに宿る自由意思を無視した命令になってしまうからです。
本当のアドバイスが出来る人は、
もっと建設的な気づきを与えるようなアドバイスをします。
つまり、
聞き手のハートの奥を
愛をこめて刺激することが目的となります。
時には、インドのアシュラムに入った人がよく経験するように、
グルから冷たく突き放したような試練を与えられることもあるかもしれません。
でも
それが
聞き手の硬化してしまったハートにショックを与えて
自立性を刺激して、
ハートを再び柔らかくするための
いい機会になることもあるのです。
それはグルだけではなく、
友人や
ビジネスの相手だったり、
たまたま出会った人からの
話の中に出てくるかもしれません。
いつでも必要なタイミングで出てきます。
昔北米の先住民のところに
宣教師たちがキリスト教を布教しにやってきました。
宣教師は、長い時間をかけてキリスト教を説明し、
先住民族たちは、その話を根気よく聞きました。
そして、
それを自分の中でよく消化した上で、
やはり
自分たちの信じる大霊への信仰を確信したのです。
一方、ほとんどの宣教師たちは
先住民の話には聞く耳持ちませんでした。
「人の話を聞いた上で、自分自身の心の声に従う先住民」
と
「人の話を全く聞かない宣教師」
もし先住民たちが、
今の現代人がネット情報に頼りきってしまっているように
「人の話を聞いて、従っしてまう人」だったら、
すべての智恵も
すべての文化も
根底から破壊されてしまったことでしょう。
でも、
先住民たちは、
常に自分のハートに決断することが出来たので、
何があってもゆるぎない決断と共に
心の平安があったのです。
人の話をよく聞く、
そして
それを踏まえた上で
自分自身の心の声に従うことは
多くの人が考えているよりも
とても重要なことです。
すべての事を、
自分自身の心に持ち帰り、
そこでよく消化し、
自分自身ですべてを決め、
自分自身の心に従うように。
人の話をよく聞くことは、とても大切です。
でも、
それを深く洞察することなく従ってはいけません!
よく人の話を聞くことは、
とてもよいことです。
でも、
それは従うためではなく
自分自身の心の中で洞察するためにあるのです。
本物の聖者は、ヒマラヤの奥地だけにいるものではありません。
自分の心の奥地にちゃんといるのです。
知りたいことがあれば、
わざわざヒマラヤまで行かなくても
まずはハートに住む聖者に聞いてみましょう。
今日もありがとうございます。
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コメント
コメント一覧
耳に意識をあてた事がないです。
普段の生活の中で…目に見える物と音の波動が大半を占めています。
私はそれをどこで感じているんだろう。
心で感じる訓練をしないと駄目ですね。
頭を閉じて目を閉じて耳を閉じて口を閉じて喉を閉じてお腹を閉じて…そうしたら心に耳を澄ませて声が聴こえるかも知れない。
初めて見る空の色
何色って言うのですか?
とてもいいです。
雲海が厚くなると、下界の音は遮断されます。
空は、とっても濃い青です。写真だと、雪山の白さによって、さらに濃く写ってしまいます。ちょうどサングラスをかけた時と同じような濃い色になります。
ネット上に情報が溢れかえる社会では、どれが信頼できる情報なのかを判断するのは容易
な事ではありません。情報の「真偽」はもちろんあるはずですが、それに加えて、自分の
偏った見方が引き寄せてしまう情報というのが本当に曲者だなと、最近つくづく感じています。
知らぬ間に自分の中に形成された「不健全なフィルター」が自動的に情報を取捨選択して
しまう事の怖さです。それだと、どんどん誤った方向にエスカレートして行ってしまいますよね。
先生の言う 「情報をいったん持ち帰って自分自身の心で聴く」 ということを、もっと意識的に
やらないとな~と思いますし、自分の中にある 良心や真実を 「感じ取る力」 というものを、
もっと信頼してあげようと思いました。
>先住民族たちは、その話を根気よく聞きました。
>そして、
>それを自分の中でよく消化した上で、
>やはり
>自分たちの信じる大霊への信仰を確信したのです。
わたしたちは聞いているつもりでも、心の中で
自分の価値判断の声を重ねてしまったりして
「聞く」と同時に判断までしてしまうことが多いと思います。
「聞く」「消化する」「判断する」
このプロセスをひとつひとつ丁寧に行うために
いつも自分を無垢な状態にしておきたいなと思いました。
「聞く」時には真摯に聞く、これを心がけてみたいと思います。
ありがとうございました。
手稲山が灯を灯したよう。
何の前触れだろう。
薄暗い朝…霙の波の上を歩く。
仕事でカートを出しに外に行ったらゴゴーと雷の音…。
上も下も閉じて、薄暗くしてハートに意識を集中してみた。
少しづつハートを感じれるようになってくる。静寂だけれどわくわく…中心に私がいる…アァ楽だ…幸せだ…下にきた意識もハートに持ってくる…今まで思い悩んでいた事が解決。
朝の霙が真ん丸の白い小さな塊になって泥水の中でも楽しそう。
ハートを使いすぎたのか痛いです。
でも嬉しい。
ハートで生きるってとても愛に溢れるんですね。
ありがとう先生💗
ずっと依存体質で、人に合わせて生きてきたので、何かを決断するときは自分はどうしたいかという思いよりも、人にどう思われるかを基準に決めて生きてきました。
コピーしていたこの記事を読み返してみて、今、やっと意味が分かりました。
先生ありがとうございます。
これからは自分の声をよく聴いて決めていきたいと思います。
╰(*´︶`*)╯♡
うっかりしすぎでしょう😆(でも凄すぎます)
(ここはツッコまずにはいられません)
>人の話を聞くことについて。
私の場合、人の話を聞いた上で、そこに
妙な色のグミみたいに変な味つけをしてしまっている気が💦
結局、聞いていないのと同じような……(苦笑)
>自分自身の心の声に従うことは、多くの人が考えているよりもとても重要なこと。
そもそも、他人のブログにコメントを書いたことが殆どなく、SNSも全くやらない人間が、
こうしてコメントを書いたり、先生と顔見知りの方しかいないFBに見ず知らずの私がコメントを書いていることがナゾです。(ホントに 笑)
縁に導かれ、ナニモノかに書かされているのでしょうか、
それとも心の声に従っているからなのでしょうか⁉️…(笑)
いつもありがとうございます。