今日のテーマは
「死」の真相 です。

1月は超多忙のため
何回かに分けて書いていきます。
表題に
1/5としましたが、
5回になるのか3回なのか10回なのか
まだ決めていません。
普段から、多くの死と向き合っているので、
時間があれば、何回でも書けそうなテーマです。
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特殊な記憶を持ったまま生まれてきた長所を生かして、
「死」というものに
さまざまな視点から
しっかりと向き合ってみます。


死とは何でしょうか?
何を基準に死とするのでしょうか?


医学的には、
呼吸が停止し
心臓と脳の機能が停止し
瞳孔が開く。

これが一般的な「死」とされてきました。

でも、医学の発展に伴って、
脳の機能が死んでしまっても
人工心肺装置により、身体だけ生かすことができるようになりました。
「脳死」です。

脳死も、
臓器移植が出来るようになってから、
どこからが本当の「死」なのかという議論が起こりました。


臓器を取り出す時に、
出来るだけ新鮮なうちに臓器を取り出したい側と
完全に死んでから臓器を提供したい遺族側とでは
各々の立場によって
死の定義の線引きが異なってしまうのです。

もし、
死が明確に定義されていなければ、
生きている人から臓器を取り出したと言うことになりかねません。



でも
いまだに結論はいまだ出ていません。

「死」が定義出来ないのです。


いまや宇宙のさまざまな法則までもが、
数式によって定義できるほど
学問が発達していますが、
もし「死」が存在するのであれば
どうして明確な定義ができないのでしょうか?



「死」は、
よく命が無くなること、
命が消えること、
とも言います。

でも、
本当に命って消えて無くなるのでしょうか?



日本では、
「この世を去る」とか「天国へ旅立つ」、「逝く」、「冥土へ旅立つ」、「帰らぬ人となる」、「黄泉に赴く」
などという表現も使われます。

そこには、死の概念はありません。

別の世界へと行くことが示されています。


生きていなければ、
去ることも旅立つことも出来ないのです。




死は無い。

これは、視野を拡げて見た場合、
とても正しい見解だと思います。



私たちは、今、肉体を持って、生きています。

肉体を構成するすべての細胞は、
絶え間なく
細胞の死と再生を繰り返しています。


ずっと生き続けている細胞など、
どこにもありません。

肉体は7年あれば、
その間に、すべての細胞が死に、
新しいものと入れ替わっています。

物理的には、すべてが7年で一新されるのです。
すべての細胞が入れ替わっても
自分は自分のままとして認識しています。


もし「死」という概念が存在するのであれば、
私たちは、
常に細胞レベルで、
原子レベルで、
さらにもっと小さな微粒子レベルにおいても
極微レベルの「死」が起こりつづけながら
生きているのです。



毎日
身体の内部では
無数の細胞の死と
無数の新しい細胞の誕生によって
あたかも同じ肉体があるかのように
支えられているのです。


蛍光灯の光は、
高速で点滅と点灯を繰り返していますが、
私たちの物質世界の目には、
スイッチが入っている間は
ずっと点灯しているかのように思っているだけなのです。

蛍光灯の光は、
私たちが
肉体的な微細な死と誕生を常に経験しながら生きているのと
同じこと。


このように
精妙なレベルにまで私たちの視点を動かすと、
死は存在しない、
または
肉体が在る間は微細なレベルで死と誕生を繰り返している
ということになります。


これらは、
瞑想やヨガの技法によっても
体感することは可能です。

さらに、最近の学問でも、
それを裏付ける理論が次々と出てきています。


量子物理学では

微細なレベルにおいて、
ちょうど物質になったり、
エネルギーになったりする状態の境界が存在することがわかってきました。

仏教では
色とは眼に見えるものという意味ですので、
「色即是空、空即是色」の境界線です。

さらに、万物は根本的に光で構成されていることもわかってきました。

 
真空と呼ばれた無の空間は、
何も存在しない「無」ではなく、
実際には予想を超えた膨大なエネルギーの場であり、

この場にある無数の素粒子の一部が
一瞬物質化して不可視のエネルギーに変わる現象が起きていることが
最近になって
学術的にも理解されてきたのです。


この一瞬表れる粒子は「仮想粒子」と呼ばれ、
その物質化する寿命は
1秒の1兆分の1のさらに100億分の1
と推定されています。
 
私たちの物質世界のあらゆるものは、
この「無」の空間に
ほんのわずかな時間だけ物質化表現される仮想粒子が
意思の力で集合し、
電気的平衡状態を保ちながら物質として顕現されている状態なのです。


つまり実際には、
物質的な視点だけから見れば、
物質として存在しているとも、
存在していないともいえるのです。


それは、
映画がスクリーンに点滅するコマ映像を投影することで、
あたかも本物のように鑑賞することが出来るのと似ています。

スクリーン上には現実の世界は無いにもかかわらず
あたかも現実世界のように鑑賞してしまいます。
 
実在世界が現実だと仮定したら
物質世界は、仮想粒子を使って投影する映画のようなもの
といえます。

「色即是空、空即是色」


だから、
私たちの肉体も、
この宇宙も
あらゆるレベルで絶え間ない「死」と「誕生」を繰り返していると言えます。




次に意識のレベルから見てみましょう。


続きます。


参考文献:「君が代」ヒカルランド刊

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