新年あけましておめでとうございます。
引き続きお引き立ていただきますようお願いいたします。
皆様のご健康とご多幸をお祈りし、
新年のご挨拶とさせていただきます。

今年は猪の年。
「前進如猪」 前進すること猪のごとし
という言葉があります。
お賽銭
初詣に行って
お賽銭を投げてきた方も多いと思います。
でも
そうではありません。
お賽銭は、
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皆様には、
健やかに新春を迎えられたことと、お慶び申し上げます。
健やかに新春を迎えられたことと、お慶び申し上げます。
また、
日頃から温かいご支援ご協力を賜り、心からお礼申し上げます。
昨年は
このブログと書きおろしを加えた本
「光の魂たち 動物編」
「光の魂たち 植物編」
が発刊されました。
今年は
「光の魂たち 山岳編」
がスタート準備に入っています。



本年も
日頃から温かいご支援ご協力を賜り、心からお礼申し上げます。
昨年は
このブログと書きおろしを加えた本
「光の魂たち 動物編」
「光の魂たち 植物編」
が発刊されました。
今年は
「光の魂たち 山岳編」
がスタート準備に入っています。



引き続きお引き立ていただきますようお願いいたします。
皆様のご健康とご多幸をお祈りし、
新年のご挨拶とさせていただきます。

今年は猪の年。
「前進如猪」 前進すること猪のごとし
という言葉があります。
イノシシが勢いよく前に突進してくるように
目標に向かって真っすぐに、
勇気を持って精進する姿を表している言葉です。
今年は
猪が突進する時のように
多くの破壊も
多くの前進もあり、
多くのことを成し遂げる礎の年となることでしょう。
今年は
猪が突進する時のように
多くの破壊も
多くの前進もあり、
多くのことを成し遂げる礎の年となることでしょう。
お賽銭
初詣に行って
お賽銭を投げてきた方も多いと思います。
お祈り料として
お賽銭を払っている感覚でいる人もいるようです。
お賽銭を払っている感覚でいる人もいるようです。
でも
そうではありません。
お賽銭は、
元々は
お金に「穢れ」を移して
その人の身代わりとして神前に投げることで
穢れを払うためにあると言われています。
それによって
お賽銭を投げた人は
祓え清められたことになります。
その祓え清められた心身で神前に立ち
お祈りします。
お金には
いろいろな使い方があるものです。
銭形平次は、お金を投げて
柿を真っ二つにしていましたね。
(*´∇`*)
絵馬
絵馬を書くときには
形式に囚われることなく
他の人の真似をする必要もなく、
自由に書きましょう。
かならず
真心をこめることが大切です。
真心からの思いを奉納することが
本来の目的ですから。
柏手
初詣で参拝するときに
柏手を打つ意味は皆さんご存知だと思います。
これは両手(二つの極)を合わせる深い意味のほかに
柏手によって
空気に神聖なバイブレーションを作り出すことで
神の力を引き寄せるためのもの。
古くから伝わる「魂振り」の儀式の一種です。
平安時代に、
恋人に向けて袖を振る習慣も
相手の心を引き寄せるためのものであり、
魂振りに由来するものでした。
昔から
旅に出る人を送るときに
大きく手を振るしぐさも
魂振りに由来するといわれています。
手を大きく振って
空気にバイブレーションを作ることで
旅の道中に神の力の加護がありますようにとの思いを
込めたのです。
も ちろん
手をただ振るだけではなく
すべての仕草は
そこに心を込めてこそ
効力は発揮します。
初詣に行かれる方は
ぜひ
しっかりと
心込めて柏手を打ち
心をこめて両手を合わせてきてください。
年賀状
暮れの最も忙しい時期に
やらねばならない一仕事です。
年賀状の起源は
古く
平安時代にあるようです。
明治6年には、郵便はがきの発行が始まりました。
明治20年(1887年)頃までには、
年賀状による新年の挨拶が一気に広まったようです。
そしていまでは
年賀状も印刷が一般的となり、
最近では
宛名書きもコンピューターなどで機械化され
形式だけのものが
増えてきました。
年賀状の形骸化です。
そんな時に
SNSが一般的になったことから
年始の挨拶も
年賀状からメールやSNSに変わりつつあります。
今後も大きく変化していくのでしょう。
日本の文化だからと
形骸化したまま
ずるずると慣習に従うのではなく
原点に戻って
年賀状の意味を考える必要はあると思います。
「伝統文化」は
決して
形骸化してはいけないもの。
形骸化して
本質が消えてしまった伝統や文化であれば
きっぱりと止めるのもいいと思います。
もしくは
新たに命を吹き込むこともいいと思います。
いずれにしても
本当に必要なことであれば
必ずまたより良い形で
芽が出てきます。
本当に
大切なのは
年賀状の受け渡しという物質的なものではなく、
それを通して行われる
心の交流が本来の目的です。
心をこめた新年の挨拶は
直接の挨拶、もしくは書簡によるものがベストですが、
年賀状であれ
SNSであれ、
お互いに親愛の心があって
丁寧に見ていくと
どのような方法であっても
その心が伝わるものです。
今後は
形式だけの全く心を込めない機械的な挨拶は衰退し、
本当に挨拶したい人だけが
心をこめて
自分に合ったやり方で
行うことでいいのではないでしょうか。
本年もよろしくお願いいたします。
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お金に「穢れ」を移して
その人の身代わりとして神前に投げることで
穢れを払うためにあると言われています。
それによって
お賽銭を投げた人は
祓え清められたことになります。
その祓え清められた心身で神前に立ち
お祈りします。
お金には
いろいろな使い方があるものです。
銭形平次は、お金を投げて
柿を真っ二つにしていましたね。
(*´∇`*)
絵馬
日本ではかなり昔から
馬は神様の乗り物である
とみなしてきました。
馬は神様の乗り物である
とみなしてきました。
祈願や祭礼の際には、
古い時代には
歴代の天皇は実際に
神の使いである神馬(しんめ)とされる本物の馬を
神社に奉納していました。
神さまに来ていただくために
乗り物を差し出すという意味が込められていました。
古い時代には
歴代の天皇は実際に
神の使いである神馬(しんめ)とされる本物の馬を
神社に奉納していました。
神さまに来ていただくために
乗り物を差し出すという意味が込められていました。
それが時を経るにしたがって、
本物の馬の代わりに
木や土などで製作した神馬を使うようになり、
平安時代になると、
さらに簡易化されて
馬の絵を奉納するようになっていきました。
それが
現在の絵馬に受け継がれています。
本物の馬の代わりに
木や土などで製作した神馬を使うようになり、
平安時代になると、
さらに簡易化されて
馬の絵を奉納するようになっていきました。
それが
現在の絵馬に受け継がれています。
絵馬を書くときには
形式に囚われることなく
他の人の真似をする必要もなく、
自由に書きましょう。
かならず
真心をこめることが大切です。
真心からの思いを奉納することが
本来の目的ですから。
柏手
初詣で参拝するときに
柏手を打つ意味は皆さんご存知だと思います。
これは両手(二つの極)を合わせる深い意味のほかに
柏手によって
空気に神聖なバイブレーションを作り出すことで
神の力を引き寄せるためのもの。
古くから伝わる「魂振り」の儀式の一種です。
平安時代に、
恋人に向けて袖を振る習慣も
相手の心を引き寄せるためのものであり、
魂振りに由来するものでした。
昔から
旅に出る人を送るときに
大きく手を振るしぐさも
魂振りに由来するといわれています。
手を大きく振って
空気にバイブレーションを作ることで
旅の道中に神の力の加護がありますようにとの思いを
込めたのです。
も ちろん
手をただ振るだけではなく
すべての仕草は
そこに心を込めてこそ
効力は発揮します。
初詣に行かれる方は
ぜひ
しっかりと
心込めて柏手を打ち
心をこめて両手を合わせてきてください。




年賀状
暮れの最も忙しい時期に
やらねばならない一仕事です。
年賀状の起源は
古く
平安時代にあるようです。
平安時代の頃には
年始に、
親族やお世話になった親しい人たちの家をまわって挨拶をする習慣がありました。
年始に、
親族やお世話になった親しい人たちの家をまわって挨拶をする習慣がありました。
江戸時代になると
「飛脚」のシステムが広く使えるようになりました。
そこで
遠くにいて新年の挨拶に行けない場合や
交友関係が広く年始回りができないひとたちの間で
飛脚による新年の書状を送ることによって
挨拶代わりとすることが増えていきました。
そして
明治4年に、郵便制度が開始され、「飛脚」のシステムが広く使えるようになりました。
そこで
遠くにいて新年の挨拶に行けない場合や
交友関係が広く年始回りができないひとたちの間で
飛脚による新年の書状を送ることによって
挨拶代わりとすることが増えていきました。
そして
明治6年には、郵便はがきの発行が始まりました。
明治20年(1887年)頃までには、
年賀状による新年の挨拶が一気に広まったようです。
そしていまでは
年賀状も印刷が一般的となり、
最近では
宛名書きもコンピューターなどで機械化され
形式だけのものが
増えてきました。
年賀状の形骸化です。
そんな時に
SNSが一般的になったことから
年始の挨拶も
年賀状からメールやSNSに変わりつつあります。
今後も大きく変化していくのでしょう。
日本の文化だからと
形骸化したまま
ずるずると慣習に従うのではなく
原点に戻って
年賀状の意味を考える必要はあると思います。
「伝統文化」は
決して
形骸化してはいけないもの。
形骸化して
本質が消えてしまった伝統や文化であれば
きっぱりと止めるのもいいと思います。
もしくは
新たに命を吹き込むこともいいと思います。
いずれにしても
本当に必要なことであれば
必ずまたより良い形で
芽が出てきます。
本当に
大切なのは
年賀状の受け渡しという物質的なものではなく、
それを通して行われる
心の交流が本来の目的です。
心をこめた新年の挨拶は
直接の挨拶、もしくは書簡によるものがベストですが、
年賀状であれ
SNSであれ、
お互いに親愛の心があって
丁寧に見ていくと
どのような方法であっても
その心が伝わるものです。
今後は
形式だけの全く心を込めない機械的な挨拶は衰退し、
本当に挨拶したい人だけが
心をこめて
自分に合ったやり方で
行うことでいいのではないでしょうか。
本年もよろしくお願いいたします。
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コメント
コメント一覧
昨年一年間で、ブログや書籍や講演などで、森井先生からどれだけたくさんのことを、教えていただいたことでしょう。心より感謝しています。
本当にありがとうございますm(__)m
今年もよろしくお願い致します。
良い年になりますように😊
あっという間に既に1/4ですね。
今年も今日な記事を楽しみにさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
貴重な記事を・・・
でした。
良い年になるといいですね。