デルス・ウザーラ
シベリアの大自然の中で自由に生きた後で
文明によって殺された実在の人物です
シベリアの厳しい大自然の中で
自然に敬意を表しながら
自然と調和して生きてきた一人の男デルス・ウザーラの半生を
黒澤明監督は
ソ連・日本の合作として映画化しました。
黒澤監督は、
この話の企画を30年間ずっと温めてきて
自殺未遂の後で
ようやく実現した渾身の作品です。
自然とは何か、
人と自然の関係とは、
文明とは何か、
心に響く実話に基づいた話です。
ストーリーは次の通りです
(ストーリーを知りたくない人はこの先読まないでください。)。
ロシアの地質学者のアルセーニエフは、
当時ソビエト連邦にとって地図上の空白地帯だったシホテ・アリン地方の地図製作の依頼を政府から受けました。
彼は、コザック兵たちで編制された探検隊を率いてその地に赴きます。
この探検隊との出会いによって
アルセーニエフのガイドとして同行することになります。
デルスは、
太陽を一番の人として、
すべての存在、
火も水も、
シベリアトラも鳥も
すべて人として対等に
そして
敬意を払い、
接していました。
動物の足跡からその状態もわかり、
風や湿度の様子で気象も予測できます。
自然と一体化して暮らすデルスのおかげで
探検隊は、
自然の猛威から何度も助けてもらいます。
猛吹雪に襲われた時にも、
的確なデルスの行動によって
アルセーニエフは命を助けてもらいます。
また
デルスは自分たちが作った小屋を立ち去るときに
次に来るであろう見知らぬ人のために
薪やマッチなどを置いて
残してあげていました。
自然の中で生き抜く中で
どんな存在に対しても優しく接する習慣がついていました。
自然とあらゆる存在に敬意を持ち、
シベリアの大自然を熟知し、
自然と調和をとりながら
その中で力強く生きているデルスは
アルセーニエフの心に響く存在となり、
やがて
無二の親友となっていきます。
そして
シベリアの大自然の中で自由に生きた後で
文明によって殺された実在の人物です
シベリアの厳しい大自然の中で
自然に敬意を表しながら
自然と調和して生きてきた一人の男デルス・ウザーラの半生を
黒澤明監督は
ソ連・日本の合作として映画化しました。
黒澤監督は、
この話の企画を30年間ずっと温めてきて
自殺未遂の後で
ようやく実現した渾身の作品です。
自然とは何か、
人と自然の関係とは、
文明とは何か、
心に響く実話に基づいた話です。
ストーリーは次の通りです
(ストーリーを知りたくない人はこの先読まないでください。)。
ロシアの地質学者のアルセーニエフは、
当時ソビエト連邦にとって地図上の空白地帯だったシホテ・アリン地方の地図製作の依頼を政府から受けました。
彼は、コザック兵たちで編制された探検隊を率いてその地に赴きます。
アルセーニエフ隊が、
夜営をしている所に
一人の猟師がやってきました。
夜営をしている所に
一人の猟師がやってきました。
彼の名は、デルス・ウザーラ。
シホテ・アリン地方のゴリド族出身で、
デルスは、妻や息子たちを天然痘で亡くしてから、
天涯孤独の身となり
文明からは一歩離れて
シベリアの自然の中で暮らしていました。
文明の利器は、
唯一父から譲り受けた古い銃でした。
デルスは、シホテ・アリン地方のゴリド族出身で、
デルスは、妻や息子たちを天然痘で亡くしてから、
天涯孤独の身となり
文明からは一歩離れて
シベリアの自然の中で暮らしていました。
文明の利器は、
唯一父から譲り受けた古い銃でした。
この探検隊との出会いによって
アルセーニエフのガイドとして同行することになります。
デルスは、
太陽を一番の人として、
すべての存在、
火も水も、
シベリアトラも鳥も
すべて人として対等に
そして
敬意を払い、
接していました。
動物の足跡からその状態もわかり、
風や湿度の様子で気象も予測できます。
自然と一体化して暮らすデルスのおかげで
探検隊は、
自然の猛威から何度も助けてもらいます。
猛吹雪に襲われた時にも、
的確なデルスの行動によって
アルセーニエフは命を助けてもらいます。
また
デルスは自分たちが作った小屋を立ち去るときに
次に来るであろう見知らぬ人のために
薪やマッチなどを置いて
残してあげていました。
自然の中で生き抜く中で
どんな存在に対しても優しく接する習慣がついていました。
自然とあらゆる存在に敬意を持ち、
シベリアの大自然を熟知し、
自然と調和をとりながら
その中で力強く生きているデルスは
アルセーニエフの心に響く存在となり、
やがて
無二の親友となっていきます。
そして
無事にシベリアの厳しい冬を乗り越えて、
アルセーニエフたち探検隊は任務を果たし、
ウラジオストクの街へ帰ります。
この時にアルセーニエフは、
デルスも一緒に都会へ来て楽に暮らすことを提案します。
でも、
デルスは自然と共にいることを選びます。
アルセーニエフたち探検隊は任務を果たし、
ウラジオストクの街へ帰ります。
この時にアルセーニエフは、
デルスも一緒に都会へ来て楽に暮らすことを提案します。
でも、
デルスは自然と共にいることを選びます。
アルセーニエフは、
デルスとの再会を約束して別れます。
そして、五年後
アルセーニエフは再びシホテ・アリン地方へと任務でやってきます。
そこでアルセーニエフは
デルスと再会することになりますが
すべての状況は大きく変わっていました。
アルセーニエフは、
再びデルスと行動を共にします。
悪質な中国人猟師たちによる落とし穴の罠や
山賊の襲撃など、
自然に敬意を払うことのないお金儲け目的の人種が
この地に入り込んでいました。
さまざまな困難に陥りながらも、
今回もデルスの活躍により
探検隊は無事に任務を果たしていきます。
でも、
デルスは
年老いていました。
野生の感も判断力にも衰えが見え始め
視力も落ちていました。
デルスは公園の木を伐採し
警察に逮捕されてしまいます。
文明的な生活が便利で
自然界へ帰るデルスにも文明の利器を持たせた結果が
裏目に出てしまいました。
デルスとの再会を約束して別れます。
そして、五年後
アルセーニエフは再びシホテ・アリン地方へと任務でやってきます。
そこでアルセーニエフは
デルスと再会することになりますが
すべての状況は大きく変わっていました。
アルセーニエフは、
再びデルスと行動を共にします。
悪質な中国人猟師たちによる落とし穴の罠や
山賊の襲撃など、
自然に敬意を払うことのないお金儲け目的の人種が
この地に入り込んでいました。
さまざまな困難に陥りながらも、
今回もデルスの活躍により
探検隊は無事に任務を果たしていきます。
でも、
デルスは
年老いていました。
野生の感も判断力にも衰えが見え始め
視力も落ちていました。
ある日、
探検隊は、野性のトラと遭遇します。
デルスは、
そこでついトラを撃ってしまいます。
森の神の化身としてのトラを
不用意に撃つことなど、
いままでのデルスでは考えられない行動でした。
デルスは、
探検隊は、野性のトラと遭遇します。
デルスは、
そこでついトラを撃ってしまいます。
森の神の化身としてのトラを
不用意に撃つことなど、
いままでのデルスでは考えられない行動でした。
デルスは、
「トラを殺したことによって森の精霊たちが怒る。」
と軽はずみな行動に出てしまったことを激しく後悔します。
さらに、
完璧なほどの銃の腕前を誇っていたデルスも
歳と共に急速に視力が低下した影響で、
狙った所に正確に撃つことが出来なくなり
猟師としての自信までも完全に失ってしまいます。
何もかもうまくいかない自分に腹を立て
どんなことにも怒りっぽくなってしまいます。
完璧なほどの銃の腕前を誇っていたデルスも
歳と共に急速に視力が低下した影響で、
狙った所に正確に撃つことが出来なくなり
猟師としての自信までも完全に失ってしまいます。
何もかもうまくいかない自分に腹を立て
どんなことにも怒りっぽくなってしまいます。
もう
猟師としてシベリアで生きることはできないのかもしれない。
失意のどん底にいたデルスは
アルセーニエフの申し出によって、
都会ハバロフスクの彼の家で一緒に暮らすことにしました。
猟師としてシベリアで生きることはできないのかもしれない。
失意のどん底にいたデルスは
アルセーニエフの申し出によって、
都会ハバロフスクの彼の家で一緒に暮らすことにしました。
デルスは、
慣れない都会で
アルセーニエフの優しい妻とデルスのことが大好きな息子とともに暮らし始めます。
厳しい自然界とは違い、
飢えや寒さもない何不自由のない都会での生活。
でも、
デルスは
銃を撃つこともできず
自然と対話することも無くなり
星空を見ながら外で寝ることもできない。
薪や水までお金を出して買わなければならない生活が
すべてを自然の恵みから授かってきたデルスには理解できません。
暖炉の薪を調達しようと慣れない都会で
アルセーニエフの優しい妻とデルスのことが大好きな息子とともに暮らし始めます。
厳しい自然界とは違い、
飢えや寒さもない何不自由のない都会での生活。
でも、
デルスは
銃を撃つこともできず
自然と対話することも無くなり
星空を見ながら外で寝ることもできない。
薪や水までお金を出して買わなければならない生活が
すべてを自然の恵みから授かってきたデルスには理解できません。
デルスは公園の木を伐採し
警察に逮捕されてしまいます。
デルスには
何もかも不自然な規則で制約された都会の暮らしには
限界が来ていました。
アルセーニエフも、
デルスをこれ以上都会に留めることは
よくないことを理解します。
せめて
デルスが森へ戻っても
不自由の無いようにと
旅立ちの日に
衰えた視力でも猟ができるように
アルセーニエフは、
最新式の銃をデルスにプレゼントします。
その後
すぐに
アルセーニエフに連絡が入ります。
「あなたの名刺を持つ男が死体で発見されました」という内容でした。
何もかも不自然な規則で制約された都会の暮らしには
限界が来ていました。
アルセーニエフも、
デルスをこれ以上都会に留めることは
よくないことを理解します。
せめて
デルスが森へ戻っても
不自由の無いようにと
旅立ちの日に
衰えた視力でも猟ができるように
アルセーニエフは、
最新式の銃をデルスにプレゼントします。
その後
すぐに
アルセーニエフに連絡が入ります。
「あなたの名刺を持つ男が死体で発見されました」という内容でした。
街を出ようとしたデルスは、
贈られた最新式の銃を持っていたために
強盗に遭い、
銃を奪われ、
殺されてしまったのです。
文明によって助けてあげたはずの銃がきっかけで
デルスは殺されてしまいました。
自然界では
どんな時にでも無駄に生き物を殺すことはなかったデルス。
自然界の摂理から離れてしまった都会の怖さを理解していませんでした。
アルセーニエフは贈られた最新式の銃を持っていたために
強盗に遭い、
銃を奪われ、
殺されてしまったのです。
文明によって助けてあげたはずの銃がきっかけで
デルスは殺されてしまいました。
自然界では
どんな時にでも無駄に生き物を殺すことはなかったデルス。
自然界の摂理から離れてしまった都会の怖さを理解していませんでした。
文明的な生活が便利で
自然界へ帰るデルスにも文明の利器を持たせた結果が
裏目に出てしまいました。
そして
デニスが埋められた墓の場所は
後日
木をすべて伐採され
開発されて
墓がどこだったのかさえ
わからなくなってしまいます・・・
黒沢明監督は、デルスについて次のように語っています。
「デルスのように自然の中でたったひとり暮らしている人間、
自然をとても大事にし、
尊敬し、怖れも持つ。
その態度こそ、
いま世界の人々がいちばん学ばなければならないところです。」
現在でも
デルスの生まれ故郷の人たちは
自然を尊び
シャーマニズムを信仰し
特に火と水には畏敬の念を持つ民族として知られています。
自然界の火水(かみ)。
デルスの生き方は
自然を尊いものとし
すべての生き物、すべての存在に敬意を払い
必要最低限生きていくのに必要なものだけを自然から利用させてもらう。
まるで
昔の日本人
昔の世界各地の先住民のような生き方です。
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自然をとても大事にし、
尊敬し、怖れも持つ。
その態度こそ、
いま世界の人々がいちばん学ばなければならないところです。」
現在でも
デルスの生まれ故郷の人たちは
自然を尊び
シャーマニズムを信仰し
特に火と水には畏敬の念を持つ民族として知られています。
自然界の火水(かみ)。
デルスの生き方は
自然を尊いものとし
すべての生き物、すべての存在に敬意を払い
必要最低限生きていくのに必要なものだけを自然から利用させてもらう。
まるで
昔の日本人
昔の世界各地の先住民のような生き方です。
多くの人が神性さを見失っているのは、
本物の自然界との正しい関係を自ら断ち切ったことが大きな原因です。
本物の自然界との正しい関係を自ら断ち切ったことが大きな原因です。
太陽の暖かさと心の温かさ、
大空に広がる空気と肺の空気、
母なる海の水と身体の水分、
河の水流と血液の流れ、
身体を構成する素材と大地も、
全く同じものであることを理解していない人がほとんどなのです。
大空に広がる空気と肺の空気、
母なる海の水と身体の水分、
河の水流と血液の流れ、
身体を構成する素材と大地も、
全く同じものであることを理解していない人がほとんどなのです。
英語では、
自然のNatureも、
自分の中にある本性のNatureも
同じ単語で表されます。
これは
本来一致していなければならないものだからです。
自然のNatureも、
自分の中にある本性のNatureも
同じ単語で表されます。
これは
本来一致していなければならないものだからです。
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コメント
コメント一覧
扉が開いても出て行こうとしないでしょう。
支配されることに慣れて
それに安心を覚え
開かれた世界を恐怖とさえ思ってしまう。
信じる力や勇気で
一歩を踏み出せますように🏃🚶🕴️
黒澤監督は、こんな作品を手掛けていらっしゃったのですね。知りませんでした。
言葉が見つかりません。先生がおっしゃる様に、今、私の在り方と向き合うほかありません。
先生が日々更新して下さる記事に触れながら、時に書籍と往き来しながら気付きをいただいております。
不思議なもので、そこから学んだ直後、それを知らずにいたらどう捉えたらいいのか分からないであろう出来事に直面したりします。現実という世界の出来事が、後付けでやって来るのです。
同時に複数の書籍を読み進めて行くと、お互いが補完しながら理解が深まって行くこともしばしばです。今でしか理解出来なかったであろう情報が、過去から今に浮かび上がって来ているみたいに。でも、今しかないのでしょうね。
暫く、彼の人生に思いを馳せてみます。
ありがとうございます。
この猛吹雪の無言の延々と続くシーン、すごいですよね。壮大な映画なので、いつか映画館のスクリーンで見たいと思っています。そして、なによりもこの2人の主役アクター、特にデルス役はよくぞ見つけたなぁと感動しました(黒沢監督の映画は、俳優が素晴らしすぎるので何度も繰り返し見てしまいます)。
この映画で、我が身のことのように共感したシーンがあるのですが、それはデルスが町に住み始めて「水を買う」ことに納得できず怒りをあらわにするシーンです。
わたしが5年間暮らしたド田舎から東京に戻ってきたとき、まさに「これから水を買わないといけないの!?」と、カルチャーショックを受けたからです。田舎では、毎週末、湧き水を汲みに行くのが習慣になっていて、美味しい水は汲みに行くもの、になっていたからです。
ペットボトルの飲料水を買うことに違和感を覚える人は、都市部にはいないかもしれません。でも本当は、デルスがいうように、水にお金を払うこと自体、おかしなことなのだと思います。命=水は、自然がすべての命に平等に与えたはずのものですから。
先生は、デルスとアルセーにエフの中間点?もしくはどちらの要素も持っているかもしれませんね^^