きれいねっと刊行の
「君が代から神が代へ」
序文からの抜粋です。
この本では、
「死」「老」「病」「生」について
新しい角度から見ています。
今日のお試し読みは、
序文からの一部抜粋です。
・・・
ひとたび自然界の中に入ってみると、
そこにはとても美しい光景が広がっています。
「君が代から神が代へ」
序文からの抜粋です。
この本では、
「死」「老」「病」「生」について
新しい角度から見ています。
今日のお試し読みは、
序文からの一部抜粋です。
・・・
ひとたび自然界の中に入ってみると、
そこにはとても美しい光景が広がっています。
自然界においては、
死は次の生へと繋ぐものとしての役割を十分に果たしています。
死があって、
生が成り立っています。
死は次の生へと繋ぐものとしての役割を十分に果たしています。
死があって、
生が成り立っています。
しかし、
私たちの住む現代社会では、
日常生活から死を排除してしまいました。
都会に入ると、
どこを見渡しても
「死」
はありません。
人は病院でそっと息を引き取り、
裏口から退院します。
火葬場も人目のつきにくい場所にあります。
路上に動物の死骸があればすぐに排除されます。
樹木は朽ちる前に切り倒され
ゴミとして廃棄されます。
現代人にとって、
「死」はもはや身近な出来事ではなくなってしまったのです。

そして、
このことによって、
死に対する大きな誤解が生まれ、
人々の意識に定着してしまいました。
私たちの住む現代社会では、
日常生活から死を排除してしまいました。
都会に入ると、
どこを見渡しても
「死」
はありません。
人は病院でそっと息を引き取り、
裏口から退院します。
火葬場も人目のつきにくい場所にあります。
路上に動物の死骸があればすぐに排除されます。
樹木は朽ちる前に切り倒され
ゴミとして廃棄されます。
現代人にとって、
「死」はもはや身近な出来事ではなくなってしまったのです。

そして、
このことによって、
死に対する大きな誤解が生まれ、
人々の意識に定着してしまいました。
「死」に対する誤解。
現代では
物質世界だけに囚われているうちに
死はすべての終わりを意味するようになり、
死によって何もかもなくなってしまうという
非常に狭い視野に限定した概念が
当たり前のようになりました。
そしていま、
人は、
死の本質を理解することなく
死を受け入れられずに
過剰に怖れるようになっています。
物質世界だけに囚われているうちに
死はすべての終わりを意味するようになり、
死によって何もかもなくなってしまうという
非常に狭い視野に限定した概念が
当たり前のようになりました。
そしていま、
人は、
死の本質を理解することなく
死を受け入れられずに
過剰に怖れるようになっています。
さらに、
逆の方向に考える人たちも出てきました。
死をとても軽く捉え、
命に対して敬意を払わない人たちです。
どちらも、
死を真正面から見ていないことによる弊害と言えるでしょう。
逆の方向に考える人たちも出てきました。
死をとても軽く捉え、
命に対して敬意を払わない人たちです。
どちらも、
死を真正面から見ていないことによる弊害と言えるでしょう。
この世に生きているうちがすべて、
死んだらお終いという誤解が生まれ、
それゆえ
刹那的な快楽を追求し、
精神的なものよりも
物質的なものを優先するような風潮が生まれました。
死んだらお終いという誤解が生まれ、
それゆえ
刹那的な快楽を追求し、
精神的なものよりも
物質的なものを優先するような風潮が生まれました。
死を否定することで起こる大きな弊害は、
政治や経済をはじめ、
あらゆる分野において浸透し、
政治や経済をはじめ、
あらゆる分野において浸透し、
歪みを作り出しています。
本来は
本来は
生と死は
自然の流れの中で美しく循環すべきものなのに
人だけが
死を排除して
生に異常な執着をして
それを社会の中で正当化してしまいました。
医療分野においても、
個人の尊厳よりも、
ただ死なせないことが優先されてしまった結果、
特に
終末医療に関しては、
真の医療からはかけ離れてしまっている状況です。
意識が無くても
身体のあちこちにチューブを埋め込み
薬漬けにして
人工呼吸器を取り付けて
ただ生かしておく。
心臓さえ動いていれば
「負け」ではない・・・
こんな人間の尊厳を無視した行為が
当たり前の「医療」になっているのです。
自然界に反する行為が
心にも歪みを与えてしまうことさえも
気がつかずに…
人の活動に伴って起こっている地球環境の破壊も、
動物たちの絶滅も、
人々が浅い意識状態のままで、
「死」を誤解してしまったことに根本的な原因があります。
死を理解しないまま誤解することで、
自然界の法則に逆らってでも「死」を回避することを第一目標にしていると
人は破滅的な行動が可能になってしまうのです。
動物たちの絶滅も、
人々が浅い意識状態のままで、
「死」を誤解してしまったことに根本的な原因があります。
死を理解しないまま誤解することで、
自然界の法則に逆らってでも「死」を回避することを第一目標にしていると
人は破滅的な行動が可能になってしまうのです。
「死」を正しく理解し
怖れを消すことで
「生」を充実させることが出来ます。
コメント
コメント一覧
まだありがたくも両親健在ですが、老いてゆく姿をみせてくれることが
私自身にとっても、我が子たちにとってもありがたいと思うこの頃です。
今年の初めに夫を亡くしました。
ぐるぐるループに入り込んで気落ちしています。
死を悪いものに捉えているためです。
美しい循環であること、心に響かせたいです。
【私たちの住む現代社会では、
日常生活から死を排除してしまいました】
【死を真正面から見ていないことによる弊害】
ホント、ホント、とうなずきながら、
かく言う私も、
あまり大きな声では言えない生活実態なので、
ヒソヒソ、コソコソと小さい声でコメントします‥‥??
面白いことにここ20年余?
う~ん、もう少し前からかな~?
本も何冊か出ていますが、
お腹の中にいた時の記憶、産まれてくる前の記憶を思っている子供達、
小学生から高校生、大学生に至るまで、とっても増えています。
でもこれまた面白いことに、子供達の身近にいるはずの
多くの教員、大人達はほとんど知りません。
子供達は賢いので、相手を見て話しますから。
コロナの過剰報道で
いきなり「死が身近になった」
恐怖心でいっぱいの子供達、大人達。
その中には、
胎内記憶を持っている子供達も当然含まれています。
恐怖心でいっぱいの子供達、大人達が
【「死」を正しく理解し
怖れを消すことで
「生」を充実させることが出来ます】
と
私も心から願い、祈っています。
理想の死に方を家族で語りあうのもいいのかな〜って思います。
唯一出来ないことは、死ぬことだけ。
うーん…
これ以上の不幸って、あるのだろうか?
毎日、憂鬱かも知れない。
手塚治虫さんの火の鳥で、そんなストーリーを読んだ記憶があります。また読みたくなったなぁ。
先生の本、大切に感じる部分に折り目をつけてたら、ほとんど全部のページが折り込まれてます。何処が大切なのか分からなってます。(笑)
死と向き合うことは、生と向き合うことでもあるのですね。生き方が一変します。
今日も教えて下さって、ありがとうございます。