神の詩 第一章第十四~十六節 7

続きです。
人の音は
内側から聴こえる音の他に
外側へ向けて発する音があります。
古代インドでは、
人の声は
最高性能を持つ楽器とされていました。
インド音楽の音域が、
人の発声できる範囲である三オクターブ以内に限定されていることや、
複数の音を同時に奏でる和音よりも旋律とリズムを優先しているのは、
人の声に最適な音楽に合わせてあることが理由です。
それは
西洋の交響楽などの聴かせる音楽と違い、
歌を歌う人と聴く人を霊的調和に導くため
という目的があるからです。
それは日本の和歌も同様です。

続きです。
人の音は
内側から聴こえる音の他に
外側へ向けて発する音があります。
古代インドでは、
人の声は
最高性能を持つ楽器とされていました。
インド音楽の音域が、
人の発声できる範囲である三オクターブ以内に限定されていることや、
複数の音を同時に奏でる和音よりも旋律とリズムを優先しているのは、
人の声に最適な音楽に合わせてあることが理由です。
それは
西洋の交響楽などの聴かせる音楽と違い、
歌を歌う人と聴く人を霊的調和に導くため
という目的があるからです。
それは日本の和歌も同様です。
特に
サンスクリット語では、
音声学(シクシャー)
がとても発達しています。
サンスクリット語では、
音声学(シクシャー)
がとても発達しています。
サンスクリット語の文字と単語、文章を発音する時に、
口の動きや舌の位置をコントロールすることにより、
体内からどのように空気の流れが起こるのか、
身体と口がどのように発する音に反響するのか、
発する言葉の強さや長さはどれが理想的なのか
が高度に体系的に示されています。
口の動きや舌の位置をコントロールすることにより、
体内からどのように空気の流れが起こるのか、
身体と口がどのように発する音に反響するのか、
発する言葉の強さや長さはどれが理想的なのか
が高度に体系的に示されています。
言葉一つで、
その人の使い方によって
世界が大きく変容する
と言われています。
そのため、
音声学は
「ドヴァニ・ヴィジュニャーナ:音の意識、音の心、音の効用」
とも呼ばれています。
その人の使い方によって
世界が大きく変容する
と言われています。
そのため、
音声学は
「ドヴァニ・ヴィジュニャーナ:音の意識、音の心、音の効用」
とも呼ばれています。
音声学をしっかりと学び、
常に意識することで、
最高の言霊に仕上がるのです。
自分の発する声が、
自分を癒すだけでなく、
人を癒し、
地球を癒し、
世界を癒していくことになります。
常に意識することで、
最高の言霊に仕上がるのです。
自分の発する声が、
自分を癒すだけでなく、
人を癒し、
地球を癒し、
世界を癒していくことになります。
それを示す神話もあります。
ヴリトラという悪魔が
インドラ神の力を真言で制御しようとします。
ヴリトラは、
祭祀を行い、
真言を唱えるのですが、
邪悪なことを考えるうちに
唱えている真言の抑揚を少し間違えてしまいます。
それによって、
効力が極めて弱くなり、
ヴリトラが不利な立場に陥ってしまったという話があります。
これは、
真言を発音と詠唱を正しく使えば、
効力が強まることを示した逸話です。
インドラ神の力を真言で制御しようとします。
ヴリトラは、
祭祀を行い、
真言を唱えるのですが、
邪悪なことを考えるうちに
唱えている真言の抑揚を少し間違えてしまいます。
それによって、
効力が極めて弱くなり、
ヴリトラが不利な立場に陥ってしまったという話があります。
これは、
真言を発音と詠唱を正しく使えば、
効力が強まることを示した逸話です。
日本も
言祝ぎ(ことほぎ)の国
と言われているように、
言葉の力、
言霊をとても大切にしている国です。
自分の発する言葉が、
霊力を持ち、
自分にも相手にも、
そして
宇宙にも影響を与えることを知り、
意識して言祝ぐことが
大切なことが知られています。
現代社会では
残念ながら忘れかけられています。
言祝ぎ(ことほぎ)の国
と言われているように、
言葉の力、
言霊をとても大切にしている国です。
自分の発する言葉が、
霊力を持ち、
自分にも相手にも、
そして
宇宙にも影響を与えることを知り、
意識して言祝ぐことが
大切なことが知られています。
現代社会では
残念ながら忘れかけられています。
そして
それは、
言葉だけでなく、
思いも強い力を持つことを知っていなければなりません。
「バガヴァッド・ギーター」の解説は
まだまだ始まったばかり。
700節中の
16節まで書きました。
16/700。
まだまだスタート地点近くです。
この聖典は
章を重ねるごとに
どんどんすごい内容になっていきます。
聖典は、
読んだら、
その倍の時間を使い考察し、
さらにその倍の時間を使い内観し、
瞑想し、
そして
実践していきます。
スタートからまだ初めの17節までで
脱落者が急増していますので
ペースが速いのでしょうか?
それとも
遅いのでしょうか?
直接お話しするのとは違いますね。
また少し休憩しましょうか。
第十七、十八節も
同じように時間をかけて解釈してみてください。
ヒントとしては
ここにも、
瞑想に関する重要なことが記されています。
次は
十九節に行きましょう。
「激しい音は天地に轟き、ドリタラーシュトラの息子達の心臓が引き裂かれんばかりに。(十九)」
この様子が何を表しているのかを
内観してみてください。
今日もありがとうございます。
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それは、
言葉だけでなく、
思いも強い力を持つことを知っていなければなりません。
「バガヴァッド・ギーター」の解説は
まだまだ始まったばかり。
700節中の
16節まで書きました。
16/700。
まだまだスタート地点近くです。
この聖典は
章を重ねるごとに
どんどんすごい内容になっていきます。
聖典は、
読んだら、
その倍の時間を使い考察し、
さらにその倍の時間を使い内観し、
瞑想し、
そして
実践していきます。
スタートからまだ初めの17節までで
脱落者が急増していますので
ペースが速いのでしょうか?
それとも
遅いのでしょうか?
直接お話しするのとは違いますね。
また少し休憩しましょうか。
第十七、十八節も
同じように時間をかけて解釈してみてください。
「弓の達人力ーシ王と大戦士シ力ンディ、ドリシタデュムナ、ヴィラー夕、無敵のサーティヤキ、(一七)」
「王よ、ドルパダ、ドラウバディーの息子達、腕達者なスパドラーの息子も、一斉に法螺貝を吹き鳴らした。(一八)」
ヒントとしては
ここにも、
瞑想に関する重要なことが記されています。
次は
十九節に行きましょう。
「激しい音は天地に轟き、ドリタラーシュトラの息子達の心臓が引き裂かれんばかりに。(十九)」
この様子が何を表しているのかを
内観してみてください。
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コメント
コメント一覧
本当にありがとうございます。
毎日ギーターの更新があっても、およそ2年かかるのですね。
森井先生、『お休み』を選択すると、どうなるのでしょうか?
しばらく、以前のひかたまに戻るのでしょうか?それとも、1日だけ以前のひかたまに戻るのでしょうか?週に1度くらいでしたら、息抜きに以前のひかたまに戻ってもいいなぁと、私は思います。
毎日の更新が当たり前ではないことも、忘れずにおります。
本(文字)では音声学を学ぶことが難しいです。体系化して学ぶには、文字は最適だとも思います。時折、直接お会いして文字では学べないことを教わり、それを持って帰り、ひとり本を片手に内観する。そんな学び方が理想です。
森井先生に出会って、独学で目的があやふやだった私の前に、しっかりとした光の道がひかれたような気がしています。その道は、外と内を結ぶもの。どちらへも無限に延びています。
最適化され、目の前に用意されたものを味わおうともせず、見えない何かを追い求めることのないように。今朝の更新から、そんなことを感じました。
勝手を申しました。今日も日常の中で、精進致します。先生からの宿題を内観しながら。
ギーターは、一度読むのに2年。基本が理解できるようになるには、まず6回読みますので、12年。(ちゃんと読み、理解し、内観し、瞑想し、実践した場合)
これはパーンダヴァ兄弟たちの森の中(自分の中への探求)で費やした時間となります。
アルジュナはさらに12年自主的に修行しています。
今回の記事を読んで、また万葉集を紐解いてみようという気持ちが出てきました。
非常に興味深いです。
声の疑問が少しだけ
紐解かれた感じです。
集中出来る時間帯に
読ませて頂いているので
私にはペースが早いですが
投稿を楽しんでいます✨
先生、一休みしながらお願いいたします。(笑) 石の上にも24年。石が窪んで私のお尻の形に馴染むまで。
ライフワークとして、真剣ですが楽しみながら、ギーターと共に私という世界を体現していきます。
面白くなってきたぞー
(最近は、あわうたに取り組んでいます)
この年齢で、そういうものに巡り合えた事に感謝かも、だって、大方、あっつ、それ知ってるというか、少ししか知らないのにそうなり、全然知らないものには興味が湧かない。
それに、どんなに頑張っても、頂上に行かない、行けないというのもいいかも。だって、兄弟、その他、ライバル視されること多かったので、あほらし、と頑張るのをやめてきたかも。
ひかたまのみなさんは、遥か山の上の方達ばかりなので、自分がみじめ心&怠け心を出さなければ、マイペースで楽しめる。
(知らなかったことを知り&出来ないことができるようになる。)
>>AUMのような聖音が
善い目的にも悪い目的にも使えるように、
のところで、
昔は、あわうたでしたか、一般の人には禁止されていましたが、近年、解放されたとき、世の中の波動が、上がって来たので、可能になった気がしました。
あわうたは、歌う自分にも良いが、その音を外に発することも世の中が良くなると聞き、小躍りして嬉しくなったときもありましたが、今は、自分のすべきことをきちんとと、出ないとよい波動を外には難しいと。
昨日、奥の細道を読みたくなり注文しました。
発した言葉と、心が一致してないと、聞いていて不快感があります。文字からもですが、その一番が自分にです。苦笑です。なので、努力するしかないのです。
だって、出来上がった見本に出会ってしまったので。それが、人が生まれてきた目的なきがしますので。
これからもよろしくお願いいたします。
ここに書かれているのは、情報ではなく、実践を伴う智慧の言語化したものですので、死を超えて持ち越せるものです。いつからでも遅いことはありません。
死を超えて持ち越せるのものとのお言葉は、暗く深く、冷たい井戸の底でふと見えた、水面に反射する流れ星のようです。
心がふっと暖かくなり希望が湧き、輝きを増すようです。
ただただ「そこ」へ至りたい。
すでに「在る」ものを感じたい。
遍在する真理に触れたい。
愛と調和を深く知り、この星に貢献したい。
まずは目の前のひとつずつを丁寧に。
いつも支えてくださってる方へ感謝を伝える。
ご恩返しもしたい。
それらすらも自分のエゴなのかもしれない。
そういった事に思慮を巡らせ、眠くなり、目覚ましをかけて。そして眠ろうとする。
寝転び、楽な姿勢で布団をかぶり、ほかほかと体感を楽しむ。
そういった一コマも限りある人生の中、とても愛おしいものなのかもしれない。
夜の虫達が幻想的な空の下、今日も美しい音を奏でています。
ありがとうございます。