神の詩、
難しくてついていけないという意見ばかり
寄せられるようになりました。
真理を探究する人は
少ないのですね。
なので、今日は
休憩。
マルミミゾウ。
別名は、シンリンゾウ。
英語では
アフリカン・フォーレスト・エレファント(アフリカの森のゾウ)です。
Wikipedia
アフリカ大陸西部から中部の森に生息しています。
Wikipedia
マルミミゾウの体は
サバンナに住むゾウよりも一回り小柄です。
ubc.ca
マルミミゾウは、
今この瞬間も
象牙目的の密猟によって次々と殺されています。
この図は、
1950年代と現代のマルミミゾウの生息数の比較です。
ほんのわずかな期間に激減してしまったのが
わかります。
rainforesttrust.org
1950年代には まだ60万頭以上いました。
それが、
1993年には 50万頭
2012年には 10万頭
2016年には 7万頭
そして今も
人はマルミミゾウを殺し続けているのです。
過去30年だけみても
86%減少という
衝撃的な数字。
完全に近いうちに絶滅するペースとなっています。
すべてのゾウが
地球上から消えようとしています。
いまだに主要原因は
象牙を取るための殺戮です。
いまだに象牙大好き国民である日本人が
大きく関わっていると言われています。
もしも
うまく殺戮を完全に止められたとしても
マルミミゾウは
繁殖速度が遅いために
2002年の数まで戻るのには
約1世紀が必要です。
従来の動物保護では、
生息数が多かったため
今いる個体を保護する「生まれてから死ぬまで」が主体となってきました。
生息数が少なくなってしまった現在の動物保護では、
種としての
「生から生へと繋いでいく」
という生の循環を視野に入れた保護が必要になりました。
現在、
コロナの影響で
このような報道は減っていますが、
私たちにできることはあります。
「象牙商品」を拒否すること。
「多くの人に危機的な状況を知ってもらうこと」
今日もありがとうございます。
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難しくてついていけないという意見ばかり
寄せられるようになりました。
真理を探究する人は
少ないのですね。
なので、今日は
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マルミミゾウ。
別名は、シンリンゾウ。
英語では
アフリカン・フォーレスト・エレファント(アフリカの森のゾウ)です。

アフリカ大陸西部から中部の森に生息しています。

マルミミゾウの体は
サバンナに住むゾウよりも一回り小柄です。

マルミミゾウは、
今この瞬間も
象牙目的の密猟によって次々と殺されています。
この図は、
1950年代と現代のマルミミゾウの生息数の比較です。
ほんのわずかな期間に激減してしまったのが
わかります。

1950年代には まだ60万頭以上いました。
それが、
1993年には 50万頭
2012年には 10万頭
2016年には 7万頭
そして今も
人はマルミミゾウを殺し続けているのです。
過去30年だけみても
86%減少という
衝撃的な数字。
完全に近いうちに絶滅するペースとなっています。
すべてのゾウが
地球上から消えようとしています。
いまだに主要原因は
象牙を取るための殺戮です。
いまだに象牙大好き国民である日本人が
大きく関わっていると言われています。
もしも
うまく殺戮を完全に止められたとしても
マルミミゾウは
繁殖速度が遅いために
2002年の数まで戻るのには
約1世紀が必要です。
従来の動物保護では、
生息数が多かったため
今いる個体を保護する「生まれてから死ぬまで」が主体となってきました。
生息数が少なくなってしまった現在の動物保護では、
種としての
「生から生へと繋いでいく」
という生の循環を視野に入れた保護が必要になりました。
現在、
コロナの影響で
このような報道は減っていますが、
私たちにできることはあります。
「象牙商品」を拒否すること。
「多くの人に危機的な状況を知ってもらうこと」
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コメント
コメント一覧
理解できてないこともあるとは思いますが
とても興味深いですし 自己探究のためにとっても
必要です
もう少しいろいろ教えていただきたいのですが、膨大なすぎて終わらなくなりそうですよね
このようなお話を聴ける機会は本当にありません。
どうぞよろしくお願いいたします。
真理の探究は生きる意味を探求すること
容易く得られなくなっているのは、内観し時間を掛けてゆっくり自分の身体に浸透させてゆく必要があるのでしょうね。
本来は長い道のりのところをそれでも早く知らせようと先生がしてくださっている
。それなのに手っ取り早く得られる情報を好み、探求することをあきらめる方が多いとは。
更新を楽しみにしている者としては残念です。
人は簡単に得られる利益を優先にして、存在の意味を知ろうとしないからマルミミゾウのように犠牲になっていくわ動物が増えて
しまう。激減してから気づいても回復するのは簡単にはいかない。
手遅れにならないためにどうしたら良いか。深く考えています。。
真理を追求せず、目の前の不安や、欲求の為に歯止めが効かない…という状況。💦😭
少しずつでも良き道を歩いて行けるよう、未来の子どもたちのためにバガバッド・ギーター〜神の詩の探求講義を続けていく必要があると思います。
よろしくお願いします。
『ヴァガバッド・ギーター』を一通り読んで間もない頃に始まった連載でしたので、
懇切丁寧な説明を受けることができてなんてラッキーなんだろうと喜んでおりました。
不定期でも構いませんので、続けて頂けたらとても嬉しいです。
このコメント欄では、みなさん真摯な方ばかりのような気がしますが、
別途、先生に意見を告げるルートがあるのでしょうか?
或いは、クリック数を気になさらないで欲しいです。
休憩の日は、復習と自習にあててます。
どこまでも、ついていきます~~
先生のことばはとてもあたたかくてやさしいです。
真理はすべて自分の中にあるかと思います。
きっかけを通してそれに気づくか気づかないか、なのでしょうね。
先生の動物や植物に関するお話も大好きです。
これからもいろいろなことを教えてくださいね。
今朝も更新、ありがとうございます。
記事の内容はゾウについてですが、ギーターのようにそれを象徴的に、霊的に解釈しようとしている私がいます。そういった意味においては、ギーターの更新が続いている感覚でおります。そこに違いはありません。
毎日、毎瞬、新たなギーターが刻まれています。だから私は、ギーターがお休みの日もギーターの中におります。そう決めたからです。
言葉の上では、今に全てがあり、真理の探求こそが真理と私を分離するものであり、それを手放したとき、正に今があるだけなのだと、何処かの誰かが書いた本を読んで真理を知った気になっています。
楽な方を選び、安易な自己肯定。精神世界に都合のよい解釈と言葉を求め、それを隠れ蓑に、向き合うことから避けていた本当の私と片時も離れない決意。
この深くからわき起こる衝動に、意識を合わせています。妙な言い方ですが、行為ではないのです。
目に映るもの、耳に届くもの。表面的に変化しているものを追いかけることに夢中になっていました。今もそれは変わりませんが、同じものを見つめながら、全く違う世界を同時に見はじめています。
現実世界と呼ばれる聖典を紐解く為に、ギーターを実践し、そこに私を見つけます。今日も共にあって下さい。
他の記事でも変わることはありません。
今、ここで丁寧に私達を導いてくださる先生と、共に歩むことを決めたひかたまの
皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです。
バガヴァット・ギーターの解釈に必要な、「精神の統一」が
得られていません。
それでほとんど、流し読みするようにして、拝見しております。
私は現在、地球上で人類のジェ○サ○ドが始まったと解釈していて、具体的には五年から十年以上の長期に渡る「惑沈計画」だと考えています。
そうでなければ辻褄の合わないことが多すぎるので、突飛な空想なのかも知れませんが、今の私にはそう考えるほかありません。
すでに人類の虐○は過去数千年以来、様々な形で行われていて、
近代では、石油化学的薬物療法、ワクチン接種、農薬散布、化学肥料、遺伝子組み換え作物、外科手術、輸血、などの形で直接または間接に、現在進行形で行われています。
私は現在は周囲の高齢者に対して、枠賃接種をやめるよう説得し始めていますが、なかなか効果が上がっていないため、正しい資料作りをはじめています。
90歳の自分の母親も、どうせ死ぬんだから、どうでもいいよ、と言っているので(笑)なかなか、むづかしいです(悲)
そして、そのための情報が、もっと当然に日常生活の中に溢れていて欲しいと思います。
印鑑、三味線の撥、アクセサリーなど、どれも高級品であることが、密猟者を生産していることでもあるということを。
密猟の犠牲となるマルミミゾウ(動物)たちの、カナシミと苦しみの感情と感覚の、いかに惨惨たるものかを、思い遣る心と魂を、呼び覚ましてください。
幼き子供の頃には、あらゆるもののいのちが大切で愛おしかったことを・・・(すべて繋がっていることを知っていたことを)。
現在の大自然に組み込まれている弱肉強食のサイクル以外の殺生・殺戮に目を背けずに行くときであると感じています。
感情は理性よりも下位のもののように思われがちですが、人間を含む動物の感情は、いのちのもとのエネルギーであることもまた真実です。
この記事を読み、泪に溢れたとしても、それは理性でコントロールできなかったのでは無く、魂が、いのちの愛しさ・尊さを、知っているから、であると思って頂きたいと思います(自己弁護ではございません)。
アリャリャ・・・図らずして、シェアリングを❗
と、なっておりますので、そのようにさせて頂きたいと思います。
森井先生、いつもありがとうございます(*˘︶˘*).。.:*♡
思い出すのも・・・なので断熱させて頂きますm(_ _;)m
今日の内容も、ヒトとして心に響きます。
このままでは文脈が妙ですし、かと言って、思い出すのも危ういので、前半以前については、仕切り直ししたいので。
先の2コメントの顔文字が送信前とは異なった形で送信されていて、おマヌケなこととなっておりますことを、お詫び申し上げます。
先生の解釈を拝見し、先生の表現や言葉が自分の中に自然と染みてきます。
生きる上で最も大切な探求であり、先生にギーターのエッセンスを教えていただける大変貴重な場所ですので、どうか細くでもよいので続けて頂きたいです。宜しくお願い致します。
意味が解らなくても「触れる」ことだけでも大切。
是非続けてください。
よろしくお願いします。
人間界の不協和音の原因が理解できない人は、まだ象牙製品を求めるのでしょう。
象牙もしかり、多くに問題の存在理由を理解する意味でも、ギーターに触れることは大切だと思います。
感謝。
さすが、としちゃん。そうなのです。外界のすべての出来事は、霊的解釈をすべきです。そればわかれば、行動が大きく変わり、負のカルマが消えていきます。
これからも、たくさんのことを教えて下さい。内観して気付いたこと、コメントします。自己満足にならないように。
『あるヨギの自叙伝』を少しずつ読み進めています。聖人の人間的な内面の葛藤と成長の様子は、ある意味においてはギーターのようです。拝読しながら、畏れ多いですが共に成長している気持ちでおります。
ひかたまにおいても同じですが、もっとひかたまの方が直接的に指導をいただいている感覚です。勝手に森井先生を師と仰いでおります。
最近先生と先生のご著書に巡り合ったことからこちらのブログにたどり着きました。
最初から神の詩の解説を遡って読んでいっているので、遅いですが、ここまでの内容をブログで発信いただき、本当に有り難く感じております。
真理を追求すること、私はよく真っ暗闇に放り込まれたように感じることがありますが、それでも、止めたくないです。
このような場をあらためてありがとうございます。