南インドの聖者スリー・ラマナ・マハルシは、
この沈黙の力を
最も人々に示した聖者の一人でした。
この沈黙の力を
最も人々に示した聖者の一人でした。
スリー・ラマナ・マハリシ
はほとんど話をすることなく、
沈黙の力によって
人々に真理を教えていました。
はほとんど話をすることなく、
沈黙の力によって
人々に真理を教えていました。
基本的に
言葉はほとんど無く、
沈黙によって伝わらない相手にだけ
少ない言葉を発していました。
言葉はほとんど無く、
沈黙によって伝わらない相手にだけ
少ない言葉を発していました。
そして
その沈黙を受けるために、
無数の人々が師の元に集まるようになり、
次第にコミュニティは大きくなり、
人生最後の二十年ほどは
最も崇められた沈黙の聖者として
多くの人の尊厳の的となりました。
その沈黙を受けるために、
無数の人々が師の元に集まるようになり、
次第にコミュニティは大きくなり、
人生最後の二十年ほどは
最も崇められた沈黙の聖者として
多くの人の尊厳の的となりました。
師は、
言葉と想念を超越した状態が沈黙であり、
その大切さを語っています。
言葉と想念を超越した状態が沈黙であり、
その大切さを語っています。
「恩寵の最高の表現は沈黙である。沈黙が最高の教えとなる。」
「沈黙は完全な教えである。」
「師が沈黙していれば、弟子の心は自然と浄化される。」
沈黙は
最高のイニシエーションであり、
沈黙による伝授で、
弟子の意識は変容していきます。
最高のイニシエーションであり、
沈黙による伝授で、
弟子の意識は変容していきます。
もう一つ
「薫習」
という言葉を覚えておくとよいでしょう。
「薫習」
という言葉を覚えておくとよいでしょう。
薫習とは、
虫よけのお香を衣服につけておくと、
その香りが衣服に移ることをいいます。
虫よけのお香を衣服につけておくと、
その香りが衣服に移ることをいいます。
薫習は、
師と弟子の間にはとても大切なことです。
優れた師の傍らにいれば、
その波動、
その思いが
いつのまにか薫習して
自分の身についていくのです。
また
これは
自分自身でも行うことができます。
いつでも優しい気持ちでいたり、
口から発する言葉遣いを美しくしたり、
ハートの思いを愛で満たせば、
その波動が
自分の細胞、器官、骨の隅々にまで浸透していきます。
そして
その波動は
外へと放たれて、
他の存在にも薫習していくのです。
師と弟子の間にはとても大切なことです。
優れた師の傍らにいれば、
その波動、
その思いが
いつのまにか薫習して
自分の身についていくのです。
また
これは
自分自身でも行うことができます。
いつでも優しい気持ちでいたり、
口から発する言葉遣いを美しくしたり、
ハートの思いを愛で満たせば、
その波動が
自分の細胞、器官、骨の隅々にまで浸透していきます。
そして
その波動は
外へと放たれて、
他の存在にも薫習していくのです。
「薫陶」
という言葉もあります。
という言葉もあります。
これは
もともとの意味は、
お香を焚きながら土をこねて陶器を作ることによって、
その香りを入れ込むことです。
そこから転じて、
優れた指導者の波動によって、
周囲の人々が感化されて成長していくこと
を意味するようになりました。
もともとの意味は、
お香を焚きながら土をこねて陶器を作ることによって、
その香りを入れ込むことです。
そこから転じて、
優れた指導者の波動によって、
周囲の人々が感化されて成長していくこと
を意味するようになりました。
この薫陶という言葉を覚えておくだけでも、
自分に善い波動を意識することが出来るようになっていきます。
自分に善い波動を意識することが出来るようになっていきます。
アルジュナとクリシュナの沈黙には
このような深い意味が隠されています。
このような深い意味が隠されています。
沈黙が支配した時に、
心の動揺が鎮まり、
消えます。
群衆の中でも、
沈黙だけが唯一
自分が完全に一人になれる方法です。
心の動揺が鎮まり、
消えます。
群衆の中でも、
沈黙だけが唯一
自分が完全に一人になれる方法です。
アルジュナは、
戦争前の両軍の兵士たちの間に立つという殺気立つ空気の中で、
唯一自分だけでいられる方法が
沈黙であったのです。
そして
その沈黙を助け、
導いたのが師となるクリシュナでした。
戦争前の両軍の兵士たちの間に立つという殺気立つ空気の中で、
唯一自分だけでいられる方法が
沈黙であったのです。
そして
その沈黙を助け、
導いたのが師となるクリシュナでした。
「沈黙がもたらす成果は何か?と問われれば、「自己制御、真の勇気、持久力、忍耐強さ、尊厳、敬虔さだ。」と答える。沈黙は、人格の基礎である。」
オヒイェサ、北米ダコタ・スー族
オヒイェサ、北米ダコタ・スー族
ここでアルジュナは、
クリシュナのことを
ゴヴィンダ
と呼んでいます。
ゴヴィンダとは、
完全な叡智によって悟りの境地にいる者、
人に叡智を授ける者(ゴーは叡智という意味)。
さらに、
ゴーヴィには
全世界を守る力
という意味があります。
クリシュナのことを
ゴヴィンダ
と呼んでいます。
ゴヴィンダとは、
完全な叡智によって悟りの境地にいる者、
人に叡智を授ける者(ゴーは叡智という意味)。
さらに、
ゴーヴィには
全世界を守る力
という意味があります。
ちなみに
クリシュナは、
クリシュ(存在)、ナ(祝福)
を合わせた言葉で、
信じる者に祝福を与える者
という意味があります。
この神の名前自体が
強力なマントラになっています。
イエス・キリストのキリストChristも
クリシュナに由来するものと思います。
この節の
hrsikesam 感覚の主
と
govindam 感覚を制する者
gudakesah 無智を止める者
と
parantapah 敵を滅する者
どれも美しい韻をふんでおり、
それらの奏でる歌は、
tusnim 沈黙
を強調する音の仕組みが作られています。
私のブログでは
いままで誰もが語らなかったことを
少しずつ
開示していきます。
ヴァガバッド・ギーターは、
多くの専門家たちによって解説されてきましたが
まだまだ奥が深いのです。
でも
自分自身による日々の探求がなければ
理解できません。
クリシュナは、
クリシュ(存在)、ナ(祝福)
を合わせた言葉で、
信じる者に祝福を与える者
という意味があります。
この神の名前自体が
強力なマントラになっています。
イエス・キリストのキリストChristも
クリシュナに由来するものと思います。
この節の
hrsikesam 感覚の主
と
govindam 感覚を制する者
gudakesah 無智を止める者
と
parantapah 敵を滅する者
どれも美しい韻をふんでおり、
それらの奏でる歌は、
tusnim 沈黙
を強調する音の仕組みが作られています。
私のブログでは
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少しずつ
開示していきます。
ヴァガバッド・ギーターは、
多くの専門家たちによって解説されてきましたが
まだまだ奥が深いのです。
でも
自分自身による日々の探求がなければ
理解できません。
次は
「バーラタ王よ、この時、両軍の聞で落胆するアルジュナに、クリシュナは微笑んで次のように言った。(十)」
ここもよく内観してください。
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コメント
コメント一覧
クリシュナは
沈黙したアルジュナ、我欲、邪心を完全に消し去ったアルジュナに、純粋にクリシュナのみを信じて、真理を求める
真の探求者の心、姿を見、
微笑んだ。
この神の詩と森井先生の解説のおかげで、毎日、気づきと解放が起きます
本当にありがとうございます。
実際に先生の薫習や薫陶を体験できれば良いのですが、なかなかそれは叶いません。でも、こうやってインターネットを通して教えをいただき、本来一対一の関係であるものが、こうしてたくさんの方との学びを共有できるのですから、おもしろい時代になったものです。
さて、「バーラタ王よ、この時、両軍の聞で落胆するアルジュナに、クリシュナは微笑んで次のように言った。(十)」
アルジュナほどの人でも、かつて、あるいは過去生、もしかすると集合意識さえ含む、悪しき自我に忸怩たる思いを感じることと、沈黙の中で師にゆだね、自らも真我とともにあることを決意し神との合一を望む間(両軍)で、後者に向かう決意と希求をした時に、師であるクリシュナが微笑んだ。
この「微笑んだ」ことがとても意味深く響きました。私事ですが、昨夜恐ろしく睡魔がやってきて、やや早めに眠り、今朝は4時に起きました。朝焼けが北の空に美しく広がっていました。この美しい景色を微笑みだと感じたのです。
大自然の中はもとより、日常においても「何か」を見せてくれる時はあるのですね。求めていればくるもの、それが自然や師の恩寵です。
盲目であるドリタラーシュトラには目覚める時が来るのでしょうか?
盲目の王にも目覚める時が来ます。
マハーバーラタの戦争の後しばらく経って、真我を求める意識が芽生え、夫人と共に森の中へと入っていきます。
この意志と行為は、来世に持ち越せるものです。
それはよかったです。希望が持てます!
心からそう思いました。
私が心待ちにしていた微笑みの章節に考えていたよりも早く辿り着いて
とても嬉しいです。
「バーラタ王よ、この時、両軍の聞で落胆するアルジュナに、クリシュナは微笑んで次のように言った。」
神の子供であり人として身につけられる徳性をほぼ身につけた
アルジュナにとって親族や師に向かわなければならないこと、
そして武芸に秀で、クリシュナを味方につけたことで、
戦いが始まれば必ず勝利(殺害)することは、目に見えるようであったと思います。
その苦悩たるや人類の考えうる最も過酷なものだと思います。
クリシュナは微笑んで
そんな過酷な苦悩にすら
「苦しまなくていい、苦悩は幻なのだから」
と言っているように思います。
そしてそれは全人類へのメッセージとして
このアルジュナの苦悩ですら苦しまなくて良い。
アルジュナほどの苦悩を持っていないのならば、もちろん、苦しまなくて良い。
クリシュナの微笑みは、いつも誰にでも向けられていると信じています。
師が微笑んだという事は沈黙から満足できる同調を確認できた。
長い沈黙はアルジュナが言い訳を、正当化を放棄した。
完全に善を受け入れる準備が整ったという事でしょうか。
これからも導きをよろしくお願いいたします。
感謝いたします。
今日もサンスクリット語⁉︎の原文までお教えて頂き、
「神々のうた」として、韻を踏んでいるところまで教えていただけて、目から鱗でした。
ありがとうございます。
そして、、、
この節についても、内観が必要なんだなぁ、、、と一言一句意味のあることを思い出させて頂きました。
普通に読んだらサラッと読み飛ばす部分です(笑)
そして、このような短くて一見平凡な文章ほど、
内観して意味を捉えることが、難しいと感じます^ ^(笑)
これも、成長していくことで、
徐々に汲み取れるんでしょうね、、、
精進します、、、。
ここの文章は、クリシュナさんが微笑んだ、というところがポイントのような気がしました。
ただ、何を微笑んだのか、
微笑む、という意味はどんなことなのか、。。
、微笑むことで免疫があがる
微笑むことで瞑想が安定する
途中で送信してしまいました。
申し訳ございません。
・微笑むことで免疫が上がる
・微笑むことで瞑想が安定する
・どんな時も師匠達は、微笑みで弟子達を見守ってくれている
・微笑む余裕を日常生活に持つ
・微笑みは聖者の特性の一つ。そのため、微笑むことを真似することで、聖者に近づける、、、
・微笑むことで状況を俯瞰することができる。だからいつも微笑む余裕を忘れないで・・・
微笑み、、、深いです。
また、内観してみます。
そして、森井先生の解説と照らし合わせ、
読み解いていくコツを掴みたいです。
いつもお導きいただき、感謝いたします。
サラッと読みたい!物語として読みたい!
と 内観しながらもそう思う自分がいます。
でも…自分自身による日々の探究がなければ理解できない、のであれば
やるしかありませぬ。
サラッとだと すぐに忘れています。
1章24、25節にも『バラタ王』出てきました。
敵も味方もバラタ族の者たちですよ、の念押し。
クリシュナの宇宙意識は 気づかぬうちにバラタ王にも波及しているんですね。
きれいねっとさんの本だと 嘲笑 という言葉。
シュローカ本だと ほほえんで、にっこり笑い、という訳。
意味が 違ってきますね、トゲが入ってきます。
でもこれは、サンジャヤさんが説明している言葉。
サンジャヤさんはあるがままをみられる、と前に読んだと思います。
フリーシケーシャ という言葉がシュローカ本では使われていますので
クリシュナという宇宙意識の力によって自分自身の内側を俯瞰できるようになったアルジュナだけれど、そこにはまだ自分の偏見や頭を使った知識が入っているよ、と。
ひかたま にたどり着いたやったー!で終わりかと思ったら
まだまだですよ。奥は深いのです。と言われている感じがいたします。
内観も間違ってもいい。その時はそれが100%。
でも、皆様のコメントから学び、気づき、があります。
ありがたいことです。
先生の導きと皆様のコメント、そして自分の内観、をあきらめないで続けたいきたいです。
その沈黙の行間を感じることが私たちの気づきになるという事ですね。
まさに、この場面を内観することで私たちも微笑みに包まれ安心を得ることができます。
ありがとうございます。
お導きを有難うございます。
毎朝、起きてすぐに
ブログを拝見してから、
内観瞑想するのが習慣になり
ブログ更新を楽しみにしております。
私が内観して思ったことは
バラタの王(となる)アルジュナも敵も
同じバラタ族で、
元は一つ
インドの正式名称 バーラタ
バー 神 ラタ 愛
サティア サイババ大師が
出身を聞かれたときに
○○州とは答えずに、
バーラタとお答えになったように
善悪 二元性ではなく
全ては一つのものから
生まれた現れで、幻想である。
本当は、全て神の愛である
沈黙の中で、
あまりにも多くの
敵
何代にもわたって作られた
概念、想念、欲、嫉妬
習慣などを見渡して
これらに打ち勝つことの
大変さに、ほとほと
気落ち 落胆している
アルジュナ
でも、霊的成長を果たして
神の愛 バーラタ王に
なれることがわかっている
クリシュナは
アルジュナに微笑んで
勇気づけている。
以上です。
今後とも宜しくお願い申し上げます🤲
だから,もっと丁寧に先生の解説と合わせて瞑想も熟考も必要なのですがシェアしてくださいと問われると応えたくなるのです。なので、私の今の理解の範囲は初心者ですがざっくりと、クシュリナ神はアルジェナが自分だと思っていた自我を失う恐怖から抜け出したことを見越して微笑して喜んでいるのではないかと思います。神のメッセージの視点での「見ざる。言わざる。聞かざる」です。字が間違っていたらごめんなさい。この様に伝えたい言葉を文章にするのも私には大変ですが勉強になります。機会をありがとうございます。
もう逃げることができず、一歩も後戻りできない極限状態で、アルジュナはクリシュナとともに沈黙し、師の恩恵を受け、心が静まり、意識の変容が起こり、ニュートラルな意識状態になります。
極限状態で静謐さが拡がるとき、準備が整い、真我の扉が開かれ、永遠の光がアルジュナに射し込みます。
そして、至高の存在の声が聞こえてきます。
「バーラタ王(世界の王)よ」と語りかけるクリシュナに深い深い慈愛を感じます。
九節で、『tusnim 沈黙 を強調する音の仕組みが作られています。』とありましたが、どこに着目すると強調の仕組みだとわかりますか?
最後の、ha でしょうか?
しかし未だアルジュナが、どうしようもない深い悲しみから完全に癒されていなくても、この先に続く扉を沈黙により開いたのだと思います。
そこにはクリシュナを信頼し、ただ純粋な状態であるアルジュナがあるのではないかと感じました。
そして、かつて
「最強の軍隊を選ぶか、それとも武器を持たず戦いもしない私一人を選ぶか」
という選択でアルジュナはクリシュナを選びましたが、何故かそのエピソードを思い出しました。
アルジュナには、クリシュナに対する確固たる信頼があり、それによりこの先不可能と思えることを可能に、幻想に打ち勝っていけるのだろうと思います。
そしてそんなアルジュナを見てクリシュナは微笑んだのかな、と感じました。
私の中ではクリシュナは常に微笑みをたたえているイメージなのですが、今回は改めてクリシュナの「微笑み」が印象的でした。
皆さんの深い洞察が素晴らしいですね。
いつもありがとうございます。
同族どうしの戦いを前にして、動揺し苦悩し「戦わない」とクリシュナに告げたアルジュナは、クリシュナの導きによる「沈黙」で心が鎮まり、クリシュナの導きの言葉・叡智を冷静に理性的に受けとめることができる状態となった。
クリシュナは、アルジュナの一連の真摯な学びの姿勢を、導き育む弟子への愛から微笑ましく思った。その思いを心の内に留めておくこともできたが「微笑んだ」のは、アルジュナの張りつめた状態をほぐし、場をなごませる意図もあった。そして、アルジュナが置かれている状況はさほど動揺し苦悩することでもないということを暗に示した。これらのことについて、人智を遥かに超えた神の領域から、この後語られていく。
いつもありがとうございます。
バガヴァッド・ギーターの詳しい解説、とても嬉しいです。毎回とても楽しみにしております。
バラータ王よ、とクリシュナは呼びかけます。
・バラータ族の長のアルジュナ
・人間の善性を代表する者
として呼びかけていると思いました。
両軍とは 陰と陽、善と悪、作用と反作用などの
両極を表していると思います。
そして
その間・・とは、中庸、中和、真ん中。
落胆する・・とは 地に足をつける
一旦振り出しに戻り上がっていく
人の霊性が芽生え成長する時には
神への信頼、困難、悲しみが条件であることからも
この落胆は、霊性の進化、成長を表します。
エネルギーとして見るならば、アルジュナは第三子ということで、第三チャクラを現しているとすると
第三チャクラはチャクラの中ででもサイズが大きく
思考や感情の消化、排泄などに関係していて
器官で言うと
肝臓、膵臓、消化器系、自律神経、胆嚢を司るところであるので
落胆するというのも、自分自身に落ち着くという意味であり、自分自身とは神を宿した自分であるので、
アルジュナは神の道を歩き始めたと言えます。
そこで、クリシュナは沈黙を破ります。
師匠と学びの者、互いの長い間の沈黙により
アリジュナの意識は師クリシュナの意識になり
不二の法門に入る境地に至ったことがクリシュナには
分かりました。
そして、沈黙を終え、導きの言葉を伝えようと微笑みます。
以上のように思いました。
一歩一歩、前進します✨🙏
を促す音霊の韻
a amがリズミカルに
組み込まれていますね。
阿吽 AUM
に通ずる
沈黙への誘い
もっとわかると嬉しいです。
今後もご指導を
宜しくお願い申し上げます🤲
『バーラタ王』=無智から目覚め、すべてを俯瞰する者でありながらも、認識を俯瞰することが出来ずにいる状態。
目覚めと無智が混在し、どちらとも選択出来ず、再び二元性と感覚の世界へと引き戻されてしまうアルジュナ。
脱却にとらわれるアルジュナに、クリシュナという悟りの境地から、『気付き』という福音が届く。
微笑みとは、自我から生まれる喜怒哀楽の喜びではなく、沈黙し瞑想の中にあるものがつかんだ光明という智恵のことではないかと。自らの最奥より現れ出る言葉を越えた祝福そのもの。
ほどけ、開く様。
としちゃんさんのコメントいつも楽しみにしています。
としちゃんさんがコメントすると、翌日に先生が再開する。
お二人で計画してる?
何の計画も持ち合わせておりません。たまたまですよー
でも、この問いかけは私に向けられている(私にも向けられている)と真っ正面から受け止めて、仕事しながらでも常に何処かで内観しています。たとえ返信が遅れて先に更新があったとしても、その向き合った過程は今にあります。
今回も二度ほど書こうとしてやめ、ようやく言葉になりましたが、私にはこのように観えたというだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。先生は優しいので、みなさんに同じ眼差しを向けて下さっていますよ。
クリシュナは、アルジュナがこれ以上なく落胆しているところでも、微笑んでいる。
アルジュナがこれから向かうのが、クリシュナの状態。
クリシュナの微笑み(光)が受け取れ始めるところに、アルジュナが到達した。
諸々、大変ありがとうございます。
クリシュナと共に在るわたし、になる沈黙は、
瞑想の時を持つことと繋がっているように思います。
森井先生、お導きくださいましてありがとうございます。
大いなる存在へ戻る(目覚める)一歩へ。
「サンジャヤ(が言った)」の文言が抜け落ちていることに気づきました。
でも、抜け落ちていることを指摘したいのではなく、そこに気づいたことが嬉しいのです。
それは詩節の受け止め方の質がちょっと変わってきたということだから。
「サンジャヤ(が言った)」の文言がない状態で読んでいたときは、単なる状況描写にみえていたので、サンジャヤが言おうが言うまいがお構いなしだった……
でも、今は違います。この文言にちゃんと反応している自分がいます。
「サンジャヤ(が言った)」の文言は、純粋にありのままを観る公平な内観(サンジャヤで象徴)によって、盲目の心(ドリタラーシュトラで象徴)を明らかにしている。
なーんていいながら、ドローナがサムスカーラの象徴だと気づいたと思ったら、サラッと先生の解説(2巻p53)に、ドローナ(過去世からの性質)と書いてありましたよ、と。(笑)
しかもアンダーラインまで引いてありましたよ、と。(かなりイタイひとだわ~苦笑)
このパターンは、よくやらかしていますね。
(*´Д`)
詩節と先生の解説が、まだ私の中でピタッとハマっていないのでしょう。
先生の解説を読みこなすだけでもかなりの知性が必要だと、今になって身に沁みております。
続きます。
だからついつい、
カウラヴァ軍(無数の兵士たちは心の潜在印象の象徴)を指揮する軍師ドローナ(サムスカーラのいわば代表格みたいなもの?とみた)に
援護を求めて=引きずられてしまう。
(1-2の「近づいて」のくだり)
私の場合、思考ばかりしている癖は、サムスカーラに依るところが大きいと思います。
もう、自動運転モードで思考が立ち上がってきますから。
この先、
パーンダヴァ兄弟(12+1年に渡るサマーディに達した精神修養=ヨーガの科学)で
カウラヴァ軍(サムスカーラ)を駆逐(消す)していくのですね。
人知れず、地味にひっそりと……(´∀`*)
いつもありがとうございます。
因みに……
1−47の箇所は、ローマナイズされた原文の方から、
「サンジャヤが言った」の文言が抜け落ちていました。笑