昔の記事の
再掲です。
とりとめのない戯言。
言い訳、隠蔽、虚偽報告、コンニャク問答、ご飯論法、きな粉餅論法、改竄、誤魔化し、無責任、裏工作、特定利益誘導、権力の私的利用、・・・・
再掲です。
とりとめのない戯言。
言い訳、隠蔽、虚偽報告、コンニャク問答、ご飯論法、きな粉餅論法、改竄、誤魔化し、無責任、裏工作、特定利益誘導、権力の私的利用、・・・・
ご飯論法とは
「朝ご飯は食べましたか」という質問を受けた際、
パンを食べたにもかかわらず
「ご飯(米)は食べていない」と答える
質問に対して、論点をずらして真実をうやむやにする手法。
きな粉餅論法とは、
一人しかいなかった部屋の中に、一つあったきな粉餅がなくなっていました。
部屋の中にいた人に「あなたがきな粉餅食べたのですか?」と聞くと、
「記憶にない」と言う。
「だけど、きな粉が口のまわりについていますよ?」とさらに追及すると
「この口のまわりのきな粉については現在調査中」と答え、
証拠が無い場合に絶対に罪を認めない手法。
コンニャク問答とは、
勝手な思い込みで、真面目な質問に対して、とんちんかんな返事をして、問答を終わらせること。
あまりに異常とか
あまりに幼稚
と思う人はきっと多くいるはず。
でもこれ
国家の中枢で日常的に行われているであろうこと。
組織になると
一人一人に悪意が無くても
組織を守ったり、
自分の身を守ったり、
人間関係や利害関係を守るために
事実を隠蔽したり
正しい行動をしようとしたものを排除したりと
結果的に
悪意のあるような行動をしてしまうことはよくあることです。
一人一人がとてもいい人であっても
組織になると
このようなことは普通に起こります。
「ア・フュー・グッドメン」(A Few Good Men)
という映画がありました。
数少ない良心の男たちという意味です。
米国海兵隊基地内で一人の海兵隊員が殺されます。
「規律を乱す者への暴力的制裁」として
殺されたのです。
真実を証言しようとした中佐は自殺。
大佐の命令に忠実に従った隊員たちは
除隊させられます。
これで真実は葬り去られました。
権力があれば
何でも自分の思い通りにできるのです。
この時の弁護士(トム・クルーズ)が
真実を知りたいと大佐(ジャック・ニコラス)に言います。
大佐は次のように答えます。
「You can't handle the truth!」
(貴様に真実を扱える力は無い!)と。
いまの社会では
このようなことが蔓延しています。
真実に忠実であれば排除され、
隠蔽する者たちが正当化される。
隠蔽すれば
当事者以外誰も真実を知らず
ごまかせてしまう・・・。
私たちの社会では
何か悪いことをしたら罰せられる
という固定観念が定着しています。
だから罰せられないように隠すか
事実を捻じ曲げればいいということが
普通に行われてしまいます。
こればかりは
法律や規律で公正化できるものではなく、
一人一人の精神性に頼るしかありません。
すべて真実の元にさらけ出していいのかどうかは
議論の分かれるところですが、
真実を隠すことによって
著しく被害をこうむる人がいる限りは
問題点を明らかにすべきではないでしょうか。
さまざまな出来事の中には
すべての人に利益をもたらす
善意を持った嘘
というのも存在しますから
一概に真実をすべてさらけ出すことが最善とは限りません。
本当に見極めなければならないのは
狭い見識の中での善と悪ではなく
それに関わる当事者たちの
「思い」「動機」
であるべきです。
これが
波動の高いものかどうかが最も重要です。
現代社会では
真実に従って素直に生きるよりも
自分や自分の属する小さな集団の利益を優先的に考えることの方が
正当化されている社会であることは間違いありません。。
競争社会の弊害、物質至上主義、金権崇拝主義、利己主義社会の風潮でしょうか。
そんなことで
人工的に、
表面的に
物質的に
仮の幸せを作って
本当に幸せなのでしょうか?
岩や木が実在する実体であるように
波動を高いものにするには
どうすればいいでしょう?
それには
人が勝手に決めた社会のルールよりも
まずは
自然の摂理を優先すること
自分の純粋なハートの声をよく聴くこと
素直に自然体で生きること
が大切です。
これによって
真実を扱う力は養われ、
さまざまな分野にこびりついた歪みは
正され
真実が尊重されていくはずです。
素直に生きている人を
集団で攻撃するような社会であってはいけない。
私たちは
この地球でさまざまなことを学びます。
だから
さまざまなことが起こります。
そして
その起こった事象がどんなものであれ、
価値あるものに変容する力
が
私たちの魂には備わっているのです。
その力は
思いと言葉と行動を
波動の高いものにする時に
最大限の能力を発揮します。
その力を使うために
地上にいることを
忘れてはならないと思います。
今日もありがとうございます。
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一人一人に悪意が無くても
組織を守ったり、
自分の身を守ったり、
人間関係や利害関係を守るために
事実を隠蔽したり
正しい行動をしようとしたものを排除したりと
結果的に
悪意のあるような行動をしてしまうことはよくあることです。
一人一人がとてもいい人であっても
組織になると
このようなことは普通に起こります。
「ア・フュー・グッドメン」(A Few Good Men)
という映画がありました。
数少ない良心の男たちという意味です。
米国海兵隊基地内で一人の海兵隊員が殺されます。
「規律を乱す者への暴力的制裁」として
殺されたのです。
真実を証言しようとした中佐は自殺。
大佐の命令に忠実に従った隊員たちは
除隊させられます。
これで真実は葬り去られました。
権力があれば
何でも自分の思い通りにできるのです。
この時の弁護士(トム・クルーズ)が
真実を知りたいと大佐(ジャック・ニコラス)に言います。
大佐は次のように答えます。
「You can't handle the truth!」
(貴様に真実を扱える力は無い!)と。
真実を知ったところで
巨大な権力を持つ組織の中では
完全に無力だ
という意味です。
今の政治でも
国民は真実を知る必要はない
という姿勢が一般的になりました。
(国民に真実を扱える力は無い!)というのが
今の内閣の本音でしょうか。
のり弁当のような黒塗り一色の公開文書が
それを物語っています。
という意味です。
今の政治でも
国民は真実を知る必要はない
という姿勢が一般的になりました。
(国民に真実を扱える力は無い!)というのが
今の内閣の本音でしょうか。
のり弁当のような黒塗り一色の公開文書が
それを物語っています。
いまの社会では
このようなことが蔓延しています。
真実に忠実であれば排除され、
隠蔽する者たちが正当化される。
隠蔽すれば
当事者以外誰も真実を知らず
ごまかせてしまう・・・。
私たちの社会では
何か悪いことをしたら罰せられる
という固定観念が定着しています。
だから罰せられないように隠すか
事実を捻じ曲げればいいということが
普通に行われてしまいます。
こればかりは
法律や規律で公正化できるものではなく、
一人一人の精神性に頼るしかありません。
すべて真実の元にさらけ出していいのかどうかは
議論の分かれるところですが、
真実を隠すことによって
著しく被害をこうむる人がいる限りは
問題点を明らかにすべきではないでしょうか。
さまざまな出来事の中には
すべての人に利益をもたらす
善意を持った嘘
というのも存在しますから
一概に真実をすべてさらけ出すことが最善とは限りません。
本当に見極めなければならないのは
狭い見識の中での善と悪ではなく
それに関わる当事者たちの
「思い」「動機」
であるべきです。
これが
波動の高いものかどうかが最も重要です。
現代社会では
真実に従って素直に生きるよりも
自分や自分の属する小さな集団の利益を優先的に考えることの方が
正当化されている社会であることは間違いありません。。
競争社会の弊害、物質至上主義、金権崇拝主義、利己主義社会の風潮でしょうか。
そんなことで
人工的に、
表面的に
物質的に
仮の幸せを作って
本当に幸せなのでしょうか?
岩や木が実在する実体であるように
思いにも感情にも
エネルギーという実体があります。
思いも
愛のような高い波動のものから
憎しみや妬みのような低い波動のものまで
さまざまです。
そもそも
人の「魂」は
波動がとても高いので、
人は
高い波動に包まれると心地よく感じます。
つまり
思いも
言葉も
行動も
波動の高いものにすることが
人間は最も真から幸福に感じるのです。
エネルギーという実体があります。
思いも
愛のような高い波動のものから
憎しみや妬みのような低い波動のものまで
さまざまです。
そもそも
人の「魂」は
波動がとても高いので、
人は
高い波動に包まれると心地よく感じます。
つまり
思いも
言葉も
行動も
波動の高いものにすることが
人間は最も真から幸福に感じるのです。
波動を高いものにするには
どうすればいいでしょう?
それには
人が勝手に決めた社会のルールよりも
まずは
自然の摂理を優先すること
自分の純粋なハートの声をよく聴くこと
素直に自然体で生きること
が大切です。
これによって
真実を扱う力は養われ、
さまざまな分野にこびりついた歪みは
正され
真実が尊重されていくはずです。
素直に生きている人を
集団で攻撃するような社会であってはいけない。
私たちは
この地球でさまざまなことを学びます。
だから
さまざまなことが起こります。
そして
その起こった事象がどんなものであれ、
価値あるものに変容する力
が
私たちの魂には備わっているのです。
その力は
思いと言葉と行動を
波動の高いものにする時に
最大限の能力を発揮します。
その力を使うために
地上にいることを
忘れてはならないと思います。
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コメント
コメント一覧
このコロナ騒動の(支配層達の)最終的な目的は、管理社会、人口削減、更には地球温暖化防止なのでしょうか?
毎日ありがとうございます😊🥰😍
いろんなことがつながって上手く循環していくように思いますが、
大きな組織の中にいることで、その一つのエネルギーが、
せっかくの良い想いが、多数にかき消される風潮も
また現実にあるだけに、苦しむ若い者もおります。
けれど、くじけず、いろんな状況でそのモチベーション保って毎日を繋げていくことこ
大事ですよね。
スリー・ラマナ・マハリシ
はほとんど話をすることなく、
沈黙の力によって
人々に真理を教えていました。
昔は習いものは、習うより慣れろとか、師匠から教わるのではなく見て(側にいて)盗む?ものとか聞きますが、スリー・ラマナ・マハリシの時代は、それに近い状況だったのではと思います。人々の霊性が今より高かったのかなと。分かりませんが。
現代は、先ずそこの状態にまで、行く必要、行ってる必要が、必須条件である気が致します。
ここしばらく、バガバッド・ギーターの本に目を通していませんでしたが、又、必要な気がして読みましたら、
なんと、微笑が、嘲笑になっていました。意味が全く違ってしまいますね。
今日(昨日)、「奇跡の脳」タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている(ジル・ボルト テイラー著)を、まだ、紹介動画しか見ていませんが、左脳が、脳梗塞で働きがストップして、右脳のみで、体感したことは、それはすべては繋がっていて、愛そのものとわかったと衝撃的に著者の脳科学者が語っています。
MARTHさんが、今、言われていますが、森井先生も、みなさん、覚醒された方々は右脳も、左脳もバランスよく最高に、働いていらっしゃるのかと思います。
森井先生は、特に、沈黙を通して。
瞑想状態は、左脳がお休みし右脳が有意な状態になりこちらで言われている無言の状態に近くなり、愛が発動かと思います。思いました。
ひかたまにいらっしゃる方は、左脳は十分働けて、今度は右脳をと。私は、右脳も、左脳もこれからです。
知力には責任が伴い、そうしたことで魂を磨く砥石にするように生まれてきたのかなとも思います。綺麗に磨かれて気持ちよく肉体を脱ぎたいので。いま・ここ。大切に生きていきます。
……という事件を起こしました。
自分が怒鳴った相手は、私の母親(91)の担当介護士です。
バガヴァット・ギーターを勉強している人が
「怒鳴るのかよ…」と思いましたが、後の祭りです。
もう腹の虫が収まらないので、その施設の本部に連絡して、
担当者を替えてもらうよう、請願する予定です。
さらに、Youtubeでこの「怒鳴っちゃった事件」を拡散する…
と通達しました(脅迫だろ)
土曜日なので本部は休みらしく、通話できないので
来週に持ち越しです。
一晩寝て、気分をリフレッシュしてから、考えてみます。
とりあえず、訴えたい要旨(各論)と、概要(総論)を
文書にまとめて、FAXで本部に送り、それをもとに
電話で応対する、という計画をたてました。
まあ、こういうことをやると、必ず自分の方にも、
カルマの跳ねっ返りがあると思います。
しかし、そんな心配をせず、「率直に訴えたいことを
述べる」というふうに、意識を純粋化することが
最善の方策だと思いました。
とにかく、泣き寝入りはいやだな、と思いましたので…
フォッ、フォッ、フォッ、フォッ(わらうなって)
矢作先生のHPに載っている、「登山録」、とか「自転車の走行記録」とか、見るとすごいです。
あんなふうに細かく着実に記録していけるとは、超人的です。
今年の、単独冬山登山(18日間)もすごいです。
それらは、本当に中今を生きていないと、出来ない芸当だと思います。
確か矢作直樹先生は、自動車免許は持っていないかもしれません。
目を大きく開け、身震いするのは、「よくあること」の集まりの一人一人の心意気に対して。悪いとも良いとも仕方ないとも、そうしかないな、あきらめ、隠蔽工作名人、なんでもよいが、そんな諸々を「普通」としてしまった心意気。恐ろしいです。
次のアドレス全部を囲んで、サイトで開くと見れます。
https://www.jw.org/ja/ライブラリー/聖書/スタディー版聖書/各書/
また初めて読むかたへ を見ていただければ 将来の救出策がわかります。
読み進めて行くうちに涙が止まりませんでした。
魂に響きました。
「価値あるものに変容する力」が、私達の魂には備わっているとの
お言葉に心から有難く思いました。
そして、この力を使うためにこの地上にいるのですね。
内なる魂に耳を傾けて行きたいと思います。
瞑想による一人一人の意識の解放が真の自由をもたらし,この中で平等や対等が観えて来る気がします
あまりにもシンプルだから,複雑に慣れた意識は理解不能に陥るのかもしれません。