シャーマンシリーズの再掲です。
精霊の歌とおまじないの歌
ある南米のシャーマンの実話
ある女性が、
重度の病にかかり、
食事ものどを通らず、
自宅で死を待つのみという危篤状態でした。
家族が葬式の準備を始めた時、
あるシャーマンが訪ねてきて、
女性を診てあげようと申し出ました。
家族は、
どうせ死ぬのなら、
やるだけのことはやってあげようと、
そのシャーマンに治療を頼みました。
シャーマンは、
意識もほぼ消えかけているその女性の口に
薬草を入れてから、
精霊の歌を歌い始めました。
「出ていけ 出ていけ
胃の痛みよ 空に飛んで行け~・・・」
しばらく歌うと、
シャーマンは女性に
「今、何が見える?」
と聞きました。
「天使が見える。」
と女性は答えました。
シャーマンはさらに精霊の歌を歌います。
そして、
また何が見えるかと女性に聞きました。
「今度は聖母マリア様が見える。」
と女性が答えると、
さらに精霊の歌をしばらく歌うと、
シャーマンは、
「もうすぐ治るよ。」
と言って、
その場を立ち去りました。
その後
女性は奇跡的回復を見せたのです。
おっ、
この精霊の歌は・・・。
どこかで聞いたフレーズ・・・。
「ちちんぷいぷい
痛いの 痛いの 飛んでけ~」
ととても似ているのでした。
私たちにもおまじないとして、
形骸化してしまった精霊の歌があったのです。
でも
誰も本気には歌わない、
子供をあやすだけのジョークのようなおまじないになっています。
ここで、
精霊の歌がどれほど大切なものか、
その一端をご紹介しましょう。
アメリカ南西部のある州では、
ナバホ族のシャーマンが
「病院内においてアメリカ先住民の治療を行っても良い」
という規則があります。
シャーマンは、病院での治療に加えて、
薬草を与えたり、
精霊の歌を歌います。
ベッドサイドで歌姫のような声のシャーマンに精霊の歌を歌ってもらったら、
おじさんたちは、たちどころに病気も治ってしまうかもしれません。
でも、ジャイアンだったら・・・。
冗談はさておき、
ナバホ族のシャーマンは、
儀式用の聖歌をたくさん持っています。
重要な聖歌だけでも、
十数種類もあります。
その歌の一つを完全に習得するには、
数年はかかると言われています。
ナバホ伝説のシャーマンの一人ホスティーン・クラーは、
部族で一番多くの歌をマスターしていました。Wikipedia
その彼でさえ、
九日間歌い続ける聖歌「Yeibichai」を習得するのには
26年間かかった
と述べています。
たった一曲に26年も費やす・・。
一つの歌は、
何百何千という詩で構成され、
歌うのに何日も費やすほどの非常に長いものもあるのです。
一患者にとっては、
普通の歌にも聞こえてしまいがちですが、
精霊の歌はシャーマン自身のみならず、
治療対象者やそれを取り囲むすべての「存在」を治療意識へと導く、
とても大切で聖なる祝詞なのです。
普通の歌でも、
歌詞を忘れてしまうのに、
膨大な言葉を正確に把握しているのは、
すごいことです。
その一つ一つの言葉、節、句に深い意味が込められ、
エネルギー世界での力を持っています。
同じように、
長い年月を最も原型を留めたまま受け継がれてきたものに
インドのヴェーダがあります。
これは
古代の聖賢たちが神から受け取った啓示を聖歌の形式にしたもの
であり、
十万もの句で構成された聖歌を、
数千年の間文字に記すことなく正確に口伝されてきました。
古代から伝えられてきたこの聖典を初めて文字にされたのは、
紀元前三千年頃の聖賢ヴィヤーサの口述を記録したもの。
このヴェーダも
一文字、一節、一音など
すべてに深い意味と祈りが込められています。
すべての言葉に無駄がなく、
心が込められ、
エネルギーを持っている。
私たちが、日常で何かをする時に、
シャーマンのような純粋な意識の中でおこなっているでしょうか?
清らかな心の中で、
活きた精霊の歌が響いているのでしょうか?
それとも
日常の雑念の中で、
形骸化した「ちちんぷいぷい」と共に行動していないでしょうか。
現代社会では、
ほとんどの人が「ちちんぷいぷい」と共に在るのではないでしょうか。
それは何故?
楽だからです。
シャーマンたちは、
日常をいつでも自ら厳しい自己統制を行っています。
それは
治療家として必要なことであり
さらに
人として必要なこと。
他の伝統医療を見て見ましょう。
たとえば、
チベット医学
チベットでは脈診を行う治療家の心得が、
「四部医典」の末尾のテキスト「タントラ」に書かれています。
脈診は、
チベット医学にとても重要な役割を担っています。
医師も患者も、
脈診を行う前には、
心も身体も清めておかなくてはなりません。
食事も、栄養不足や栄養過多に気をつけ、脂っこいものや、冷たすぎるもの、過剰な刺激物などは控えなければなりません。
食べ慣れていないものを食べてはいけません。
お酒も控えます。
性行為もしてはいけません。
睡眠不足もだめ。
しゃべり過ぎもだめです。
怒ったり、人の悪口を言ったり、心配したり、
と心を乱す思いも禁止です。
このように心身を整えた上で、
日の出とともに脈診を行うこととされています。
つまり、
患者側は、脈診前だけでよいのですが、
医師側は仕事をしている限り、
ずっとこの規律を守ることになります。
シャーマンの言霊の活きた「精霊の歌」と
おまじないの言霊が形骸化した「ちちんぷいぷい」
なんという大きな差なのでしょう。
でも、
「ちちんぷいぷい」でも、心を込めれば、
再び
精霊の歌に変容出来ます。
本来、
すべての言葉に
意味があり、
祈りがあり、
心が込められている。
私たちの人生のすべての瞬間も
意味がありることを理解し、
祈りがあり
心を込めたものとすることで
大きく
世界は変わります。





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コメント
コメント一覧
国会議事堂からも霊的なエネルギーのない浅はかなことばが生まれ消えています。残念です。
祈りも同じです。
身体と魂の制御統一の準備の連続とは、輪廻としてなんと美しい歩みでしょう。
美しいブログ、真にありがとうございます。
精進させていただきます。✨✨✨
ハートが満たされ、マインドが癒やされる(ヨロコンだり、解放されたり、浄化されたり)・・・歌詞と音律のエネルギーが素粒子として存在するから、私たち人間を含めた動物も植物も全ての生物も、鉱物も、水も火も土も大気もすべて素粒子でつくられているから、同じものだから繋がっているから、響き合えば愛のエネルギーがひろがる。
だから、ほんとうは、うたってゆきたい🌟
ほんもののうたを🌟
おひさまの光のもとに、もう一度、姿をみせて、精霊のお歌さんたち🌟
このお話は、ギーター2章14、15節を読み解くヒントの様に感じました。
クンティとは純粋な知性の象徴。この段階で感情にとらわれ、苦悩するアルジュナに中立から俯瞰することの大切さを再度伝える為、クンティの子と呼び掛けることで、感情を俯瞰する視座へと導く。
呼び掛け=ちちんぷいぷい=中立から俯瞰する為の外側からの導き
感覚、感情を認識し、それを眺める意識に気付いたとき、沸き起こる感覚(エネルギー)、それに付随して生まれる感情(喜怒哀楽)が対象であり、自らではないことを知る。
これら、個としての自らの意思、行為や選択の及ぶものではなく、流れゆく一連の作用、働き、力として俯瞰する視座に留まり続けるものは、死=物質的快楽にとらわれ苦楽から逃れられないもの=霊的な死、から解放される。
霊的進化の道に入り、思考や感情が個としての自らが生み出しているという幻想に気付いた状態。