神の詩 第二章第十六~十七節 6

他にも
たくさんあります。
次は
よく内観して
ぜひ
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ある程度
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「実在しないもの(肉体)は存在せず、実在するもの(アートマン・真我)は消滅しない。真理を知る人々はこの両方の事実を理解している。(十六)」
「この万物に遍在するものは不滅であることを知れ。誰もこの不滅であるものを破壊することができない。(十七)」
エネルギーを見る練習
次にエネルギーを見る練習をしてみましょう。
人のオーラは、
各段階のエネルギー表現媒体がそれぞれの波動に応じて放射しているエネルギーのことをいいます。
慣れるとある程度は誰でも視ることが出来るようになります。
人のオーラは、
各段階のエネルギー表現媒体がそれぞれの波動に応じて放射しているエネルギーのことをいいます。
慣れるとある程度は誰でも視ることが出来るようになります。
1. 部屋を薄暗くして、両手の指先が互いに向き合うようにします。
2. 顔の前60cmの位置を保つ。背景は無地の白い壁で行うとよいです。
3. 目をリラックスさせて、指先の1-2cm先の空間を眺めます。
4. 指先を近づけて、それから離します。
5. 右手をやや上に、左手をやや下に、左右別の指先同士が向き合うようにして眺めます。
どうしても見ることが出来ない人は、
お風呂場をやや暗くして
湯船に浸かりながら練習してみてください。
お風呂場をやや暗くして
湯船に浸かりながら練習してみてください。
また、
自分の手指では見ることが出来ない人でも、
樹木の幹の部分のオーラを見れる人もいますので、
こちらも試してみることをお勧めします。
自分の手指では見ることが出来ない人でも、
樹木の幹の部分のオーラを見れる人もいますので、
こちらも試してみることをお勧めします。
エネルギーを見る練習 回答
指や手の周りに靄(もや)のようなものを見ることが出来ます。
最初はほとんど無色、
慣れてくると急に色が見えてきます。
最初は、色は一瞬だけで、
すぐにもやもやに戻ります。
最初はほとんど無色、
慣れてくると急に色が見えてきます。
最初は、色は一瞬だけで、
すぐにもやもやに戻ります。
指と指を近づけると、
指先の靄が向き合う指先の靄と引付け合うのが見えます。
指先の靄が向き合う指先の靄と引付け合うのが見えます。
指をずらすと、
向き合った指先同士に靄のつながりが移っていくのが見えます。
向き合った指先同士に靄のつながりが移っていくのが見えます。
ムドラ
生命エネルギーを身近に利用する楽しい方法の一つをご紹介しましょう。
それはムドラMudraです。
サンスクリット語で、
象徴表現、
印
というような意味があります。
ヨガでは、
あの寺院に行くと仏像たちがやっている様々な手のポーズのことを示します。
日本では、
印相とか印契(いんげい)などと呼ばれます。
ムドラには数百種類の型があります。
同じ名称のムドラでも伝えられた流派によって
微妙に異なるものもあります。
さらに
わずかに指の位置を変化させる方法も多く存在します。
サンスクリット語で、
象徴表現、
印
というような意味があります。
ヨガでは、
あの寺院に行くと仏像たちがやっている様々な手のポーズのことを示します。
日本では、
印相とか印契(いんげい)などと呼ばれます。
ムドラには数百種類の型があります。
同じ名称のムドラでも伝えられた流派によって
微妙に異なるものもあります。
さらに
わずかに指の位置を変化させる方法も多く存在します。
ハタ・ヨガなどでは
全身を使うムドラがありますが、
ここでは
手指を使うムドラ(ハスタ・ムドラ)の例をご紹介します。
さらに
手の他にも足のムドラ(ハーダ・ムドラ)、
目のムドラ(チャクシュ・ムドラ)
などもあります。
全身を使うムドラがありますが、
ここでは
手指を使うムドラ(ハスタ・ムドラ)の例をご紹介します。
さらに
手の他にも足のムドラ(ハーダ・ムドラ)、
目のムドラ(チャクシュ・ムドラ)
などもあります。
ムドラは、
指先に流れるエネルギーを利用して
生体のエネルギーの流れをスムーズにして、
意識の集中と調和を図ります。
指先に流れるエネルギーを利用して
生体のエネルギーの流れをスムーズにして、
意識の集中と調和を図ります。
基本の象徴
人間の手指には、
人体と同様に五大要素に象徴される部分があります。
それは次の通りです。
人体と同様に五大要素に象徴される部分があります。
それは次の通りです。
親指は空。他の四大元素を包括する虚空を意味します。
人差指は風
中指は火
薬指は水
小指は地
また人体を象徴することもあります。
親指は真我、宇宙意識、五蘊では「識」の象徴です。
人差し指は個人の意識、五蘊では「行」の象徴です。
中指は自我、五蘊では「想」の象徴です。
薬指は心の幻影。五蘊では「受」の象徴です。
小指は、現世での行動と態度。五蘊では「色」の象徴です。
ムドラの基本
ムドラの基本は火であり、
真我を象徴する親指にあります。
基本的にすべてのムドラは、
親指
が他の指や手の部位のいずれかの部位に軽く触れていることが多いのです。
これは生命エネルギーを、
親指を通して流すためです。
真我を象徴する親指にあります。
基本的にすべてのムドラは、
親指
が他の指や手の部位のいずれかの部位に軽く触れていることが多いのです。
これは生命エネルギーを、
親指を通して流すためです。
ムドラをやる時には、
静寂な場所を選び、
瞑想状態になることが望ましいといえます。
静寂な場所を選び、
瞑想状態になることが望ましいといえます。
基本は、1時間続けて行うことですが、数分でも構いません。
特別指示が無ければ、両手同時に行います。
ムドラの意味
ムドラは、プラーナ(生命エネルギー)を自覚し、
流れをコントロールする役割があります。
それは
霊的進化のための手段の一つですが、
同時にプラーナの流れを補助するので
健康維持にも利用されます。
流れをコントロールする役割があります。
それは
霊的進化のための手段の一つですが、
同時にプラーナの流れを補助するので
健康維持にも利用されます。
Purana Mudraプラーナ・ムドラ
親指、薬指、小指の先端を軽く合わせます。これは全身のエネルギーを流し、充電する若返りのムドラです。重症な病気の人にもよいムドラです。
Anjali mudraアンジャリ・ムドラ
心臓の前で左右の掌を合掌して、両親指が軽く胸に触れるようにします。インドでは挨拶や敬意を表すときにも使用します。これによって、右脳と左脳の調和が起こります。神を向かえるために、額の上で行うこともあります。
Jnana Mudra ジナーナ・ムドラ Chin mudraチン・ムドラ
親指と人差し指の先が触れるようにして輪を作ります。中指・薬指・小指は、まっすぐに伸ばします。足を組んで座って、膝の上に手を乗せるとよいです。肩と上腕の力を抜きます。これによって、脳の活性を高め、思考力と記憶力を高めます。さらに調和と至福を体験しやすい状態にして、真我への理解を深めます。瞑想前の集中力を高めるのに効果があります。手のひらを下に向けた状態をジナーナ・ムドラ、手のひらを上に向けて膝の上に置いた状態をチン・ムドラといいます。
このムドラは、いくつか別の名称でも呼ばれており、また人差指の先端が親指のどこに触れるかによっても、それぞれ意味があります。
他にも
たくさんあります。
「実在しないもの(肉体)は存在せず、実在するもの(アートマン・真我)は消滅しない。」
肉体や心、高次元の精神は、不滅の実在するもの(アートマン・真我)そのままではなく、表現媒体である実在しないものを通して見ています。
その背後に存在するものこそが不滅の実在するものであり、人間の本質である真我から出ているものです。
エドガー・ケイシーは次のように述べています。
「肉体とは、すべての時空間を旅する時に利用する魂の乗り物でしかありません。」
一本の電源に、
電球とヒーター、モーター、ラジオを繋いだとしましょう。
電球とヒーター、モーター、ラジオを繋いだとしましょう。
ここに電気を通すと、
電球は光り、
ヒーターは熱を出し、
モーターは動力として動き、
ラジオは音が出ます。
しかしながら、
光りや熱、動力、音は、
いずれも
電気そのものではありません。
電球は光り、
ヒーターは熱を出し、
モーターは動力として動き、
ラジオは音が出ます。
しかしながら、
光りや熱、動力、音は、
いずれも
電気そのものではありません。
目には見えない電気が、
それぞれの表現媒体の性質に応じて、
五感を通して知覚できる各々の現象を生じさせたわけです。
電気は、
これらの現象の背後に存在する共通した本質として存在しています。
それぞれの表現媒体の性質に応じて、
五感を通して知覚できる各々の現象を生じさせたわけです。
電気は、
これらの現象の背後に存在する共通した本質として存在しています。
同様に
人間も、
肉体や心のどれでもなく、
その背後に存在する真我こそが
人間の本質です。
人間も、
肉体や心のどれでもなく、
その背後に存在する真我こそが
人間の本質です。
これを基本として物事を考えないと、
真我を
ある特定の現象と結びつけて考えてしまう
という間違った概念が
生まれてしまうので
注意していただきたいと思います。
真我を
ある特定の現象と結びつけて考えてしまう
という間違った概念が
生まれてしまうので
注意していただきたいと思います。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」コリント人への第二の手紙4-18
「わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。」コリント人への第二の手紙5-6
次は
「この肉体は有限であると言われるが、ここに宿る者(アートマン)は永遠・不滅で無限である。だから戦え、アルジュナよ。(十八)」
「アートマン(真我)を殺害者と考える者も、殺されると考える者も、どちらも無智で
ある。アートマンは殺すことも殺されることもない。(一九)」
「アートマンは生まれることも、死ぬこともない。始まりも、終わりもない。不生・永
遠・不変であり、太古から存在する。肉体が殺されても、アートマンは殺されない。
(二十)」
「アルジュナよ、アートマンは不滅・永遠・不生・不変であると知る者は、誰かを殺し
たり、誰かに殺されたりすることができようか。(二十一)」
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コメント
コメント一覧
いつもありがとうございます。
私も光る魂を実感できるまで、楽しみながらトレーニングしていきたいと思います。
今の私の進化の定義は、より多くの人やエネルギーを愛せるようになれる事だとしています。
愛せるサイズが大きくなる度に、今まで自分が大切にエネルギーを注いでいたものを、手放さなければならなくなる為、ためらいがあります。
思春期に自分が自分では無くなるような不安で、なかなか一歩が踏み出せなかった躊躇が、今までで一番大きかったと思います。
実際は無くなる訳では無いのですが何回繰り返してもためらいます。
成長の実感が大きな喜びなので毎回頑張っていますが、物質が仮想の世界だと思えるまでは、本当に難しかったです。
おそらくクリシュナもこの事を言っているのかなと思いました。(まだ私では理解できない高次元のレベルでしょうが)
引き続きご指導をどうかよろしくお願いいたしますm(_ _)m
我々すべてに宿るアートマン(真我)は、我々を生み出した大元である神と呼ばれるものの一部だから、殺されることも殺すこともなく、太古からずっと存在しているから生まれることも死ぬことも、始まりも終わりもない。
今、自分が大いなる存在の一部だったことに、心が震えるような喜びがじわじわと湧き出しています。
ありがとうございます。
今の気持ちを、どうか日常でも忘れずに生きたいです。
発信源となる手指を持ち、生命を癒やしていきたい。思考や感情に囚われずに〜。生命の素晴らしさを大切にして。
内観したことを文章にしようとすると言葉につまってしまい、まだまだ自分の知識として定着していないなあと感じていますが、頑張って書いてみます。
実在するものはアートマンのみであり、アートマンのみが存在し、それが全てに浸透しているなら、私たちが目にするものや区別しているものは、幻ということになります。
そうだとすると、実在の世界では、「殺す」とか、「殺される」という言葉を使うこと自体が矛盾しており、殺す者も、殺される者も存在することはありえないことになります。
しかし、私のような普通の人間にしてみれば、確かに、私以外の人、モノ、植物、動物、鉱物などが存在していますし、殺す者も殺される者もいます。では、私みたいな、アートマンの知識を教えてもらっても、実在を認識することができない者はどうすればいいのか。意識が進化すればそれがわかりますよと言われても、それが難しいし、今生で達成できる可能性も少ない。
アルジュナにアートマンの知識を授けた後に、クリシュナが「だから戦え」といっていますが、なぜ、「だから」なのか?
非常に悩みましたが、次のように内観しました。
アートマンの知識を知ったなら、今置かれている環境の中で、自分の本分(ダルマ)を無心で果たしていくしかない。なぜなら、それが、人間が意識を進化させていくことができる唯一の方法である。だから、逃げることなく、自分のダルマを果たせ。
このように考えました。
どれもみんな、ワンポイントというか、最後の仕上げのアドバイスをいただけた感じです。
親指、薬指、小指の先端を軽く合わせます。ポイント、 3本合わせるのは初めて知りました。
心臓の前で左右の掌を合掌して、両親指が軽く胸に触れるようにします。 ポイント、軽く胸に触れるよう
中指・薬指・小指は、まっすぐに伸ばします。 ポイント、まっすぐに伸ばします。體に感じるものが、全然違います。
手の他にも足のムドラ(ハーダ・ムドラ)、
目のムドラ(チャクシュ・ムドラ)
なども興味があります。
18、19、20、21。
動植物、鉱物、はもうこのこと知っているのでしょう。
忘れてしまうのは人間のみ。
このことを、真に!心から湧き出る叡智となるまで輪廻の旅が続く。
今、ここで学べているのは、殺すことも殺されることも知っているから。
経験しているから。
今裁判が行われている事件(池袋の交通事故)を、自分に置き換えた時…
殺された者、殺してしまった者、残された者。
この経験にいい悪いはない。
でも…
その渦中にいる時…
クリシュナさんから、「魂は不滅、永遠、不生、不変です」といわれたら…
反発しかでない。あまりにも高すぎて届かない。
無念さ。自分は悪くない。悲しみ憎しみ。
をそれぞれ持ったまま輪廻の旅へ。
そして、今生は、第三者として人様の事件を見させていただく。考えさせていただく。
自分のこととして。
そして、ゆるし、へ。
自分の中から このクリシュナの言葉が出てくるための背後の高次からの計らいに気づく。
神を恨み 相手を恨み、自分を恨んできたけれど、すべては、ここことに行き着くため。
生きるってたのしいね、がゴールじゃなかった。
生まれているのに…
死んでいるのに…
エネルギーの世界って不思議だな。
不滅、永遠、不生、不変。
これを意識に持って、置かれている場で今日から生きてみよう。
五感で感知することができず、言葉で表すこともできないアートマンは、
たとえるなら、透明人間のようなものかもしれません。
布を巻いたり、帽子をかぶせたり、眼鏡をかけさせたりすると、透明人間の輪郭を見ることができます。
感覚を制御し、肉体にからまる自我を滅して、この透明人間と合一するには、
「眼で見えないもの観て、
耳で聞こえない音を聴き、
手で触れるより、深く持続する感触に触れ、
大気中に偏在するプラーナを味わい、
時空から香り立つ芳香に包まれる
そのような、繊細な感覚を磨きなさい」
と導かれているような気がしました。
人間の本質である真我は、永遠・不滅で無限であり、不生・不変である。このことを知る者は、誰かを殺したり誰かに殺されたりすることはできないと理解している。
クリシュナは、重ねて、アルジュナに真理を説き、戦うように鼓舞します。
「人は肉体だけの存在ではなく、核に本質である真我があり、それは不滅である」ということを真に理解すれば、苦難の捉え方も、日々の暮らしも、幸せとは何かという考えも、さまざま大きく違ってくるように思いました。
いつもありがとうございます。
浮かぶすべてを滅しようとすること、そのすべてを受け入れようとすること。矛盾するどちらも対象であり、そこにはただ、内と外に向かう働きかけがあるのみ。認識が生まれる背後に、それを認識するものがあり、それ無くして全ては存在できない。
私という意識=認識を、「失う」ということは出来ない。「失った」という感覚と、それに伴う感情の背後には、それを認識するものがあり続けているのだから。
思考により、この認識者を認識しようとするが、対象を認識することは出来ても、認識するものを認識することは出来ない。
在るもの、消え行くもの。それが在ること、知覚、認識が、立ち現れ続けている。
消し去ることも、消されることもない。
絶えず立ち現れては消えてゆくものを見つめることで、そこに永遠なる意識をみる。
求めることと、既に在ることが、私という認識の中で同居している。
手のひらや指先からエネルギーが出ていることはかなり前から知っていたので、
印の法則は知らずとも勝手に色々指を動かしたり結んで、体のどの位置に反応するかを遊ぶように試していました。
この練習で自分のオーラが見えました!うれしいです。
色は緑でした。透明なオーラが納豆の糸のように引き合うのもおもしろいです。
先生の示唆してくださるこのようなエネルギーワークや意識のコントロールは、
今盛んに推奨されてる「毒入り液体」の解毒にも有効かもしれないと勝手に思っています。
いつもありがとうございます。
次の課題は先生がすでに解説を始めてくれています。が、内観してみました。
現象面での戦(相手を殺さなければいけないこと)と内面の戦(アルジュナほどの賢者であっても自我にしてやられることへの戦い)の相反する同時進行にややもすれば混乱するのですが、現象面での戦いは肉体のように本質ではなく幻のようなもの、
ゆえに大事なことは内面の戦いであるということ。
アートマン(真我)は大いなる存在と繋がっていて、それのワケミタマでもあるから、永遠、不滅で不生、不変である。
アートマン(真我)は理そのものでいつも静かにおだやかにそこに在る。
ゆえに他者を殺すことも殺されることもしない。無縁である。
比較もしないし羨んだりもしない。愛がいつも灯っている。
一方的に押し付けられた道徳心のように、「正しいからそうしなさい」というだけでは、欲望は黙らない。
抑圧されたそれは、噴出する機会を形を変えて待っている。
終わりのない、もぐらたたき。
歪んでとらえられた本質。
その働きを、どのように使うかを知らないでいるだけなのに。