神の詩 第二章第十八~二十一節 5

続きです。
もう
このブログを
序章からしっかりと呼んでいる人には
容易に読み解けるようになったと思います。
ある程度
聖典を読み解く力をつけると
どんどん楽しくなっていきます。
次は

「この肉体は有限であると言われるが、ここに宿る者(アートマン)は永遠・不滅で無限である。だから戦え、アルジュナよ。(十八)」
「アートマン(真我)を殺害者と考える者も、殺されると考える者も、どちらも無智で
ある。アートマンは殺すことも殺されることもない。(一九)」
「アートマンは生まれることも、死ぬこともない。始まりも、終わりもない。不生・永
遠・不変であり、太古から存在する。肉体が殺されても、アートマンは殺されない。
(二十)」
「アルジュナよ、アートマンは不滅・永遠・不生・不変であると知る者は、誰かを殺し
たり、誰かに殺されたりすることができようか。(二十一)」
続きです。
「着眼大局、着手小局」
という禅の言葉があります。
という禅の言葉があります。
視野の広い大きな眼で見て、
それを達成するために
一歩一歩出来ることから
地道に実践していく
という意味があります。
これ以外
目的地に到達する方法はありません。
山で言えば、
お金持ちでも、
頭が良くても、
誰もが平等に
自分の足で山頂まで一歩ずつ歩いて
登らなければならないのです。
それを達成するために
一歩一歩出来ることから
地道に実践していく
という意味があります。
これ以外
目的地に到達する方法はありません。
山で言えば、
お金持ちでも、
頭が良くても、
誰もが平等に
自分の足で山頂まで一歩ずつ歩いて
登らなければならないのです。
人は、
深い意識の中で、
誰もが
神との一体感を望む強い願いを持っています。
地上の喧騒の中で
その願いを忘れていても、
それは
消えることなく
眠っています。
深い意識の中で、
誰もが
神との一体感を望む強い願いを持っています。
地上の喧騒の中で
その願いを忘れていても、
それは
消えることなく
眠っています。
クリシュナは、
その強い思いを目覚めさせるために、
まず
不滅のアートマン(真我)について
完璧なタイミングで説明しています。
その強い思いを目覚めさせるために、
まず
不滅のアートマン(真我)について
完璧なタイミングで説明しています。
アートマンに対する説明は、
早すぎても遅すぎても、
理解に至らなかったり、
誤解を生じる危険性があります。
霊性進化の門に入った直後が最適であり、
そのずっと前でも、
ずっと後でもありません。
早すぎても遅すぎても、
理解に至らなかったり、
誤解を生じる危険性があります。
霊性進化の門に入った直後が最適であり、
そのずっと前でも、
ずっと後でもありません。
初めて山に入った人は、
最初は、
標識に頼ります。
山にはたくさんの道があり、
どの道が山頂へと続く道なのかを
知らないからです。
でも
最初に山頂について知り、
道標があれば、
迷いもなく求めている道に向かい、
専念することが出来るのです。
最初は、
標識に頼ります。
山にはたくさんの道があり、
どの道が山頂へと続く道なのかを
知らないからです。
でも
最初に山頂について知り、
道標があれば、
迷いもなく求めている道に向かい、
専念することが出来るのです。
この先
クリシュナは、
アルジュナに
叡智の道を説いていきます。
それは
山のガイドさんが、
これから歩いていく山頂までの道筋の概略を示すのと同じことです。
クリシュナは、
アルジュナに
叡智の道を説いていきます。
それは
山のガイドさんが、
これから歩いていく山頂までの道筋の概略を示すのと同じことです。
「門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。」詩編第二十四章7-8
また聖書には、
次のような言葉もあります。
次のような言葉もあります。
「よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう。」
これは
肉体的に死なないという意味ではありません。
人が
わたしの言葉を守るならば
(人がキリスト意識に達したならば)、
いつまでも死を見ることがないであろう
(無智の眠りから永遠の生命に目覚めるであろう)
という意味になります。
肉体的に死なないという意味ではありません。
人が
わたしの言葉を守るならば
(人がキリスト意識に達したならば)、
いつまでも死を見ることがないであろう
(無智の眠りから永遠の生命に目覚めるであろう)
という意味になります。
もう
このブログを
序章からしっかりと呼んでいる人には
容易に読み解けるようになったと思います。
ある程度
聖典を読み解く力をつけると
どんどん楽しくなっていきます。
「我々に「死」などない。ただ住む世界を変えるだけだ。」シアトル、北米ドウォミッシュ族
次は
「人が使い古した衣服を捨てて、新しい衣服を着るように、肉体に宿る者は使い古した肉体を捨てて、他の新しい肉体に宿る。(二十二)」
コメント
コメント一覧
衣服をどのように使い古すのか。
ぞんざいに扱うよりもやはり、
「いつもありがとう」
と、丁寧にねぎらいつつ愛着を持ち、感謝の気持ちで使い古すのがより一層充実するのでしょうか。
ぞんざいにに扱えば、どのような結果になるのかを体験、体感することも尊く大切な学び。
丁寧に愛を持ち大切にすることは、より一層の大切な学び。
なのかなぁ〜
なんて、
朝の明らみと心地の良い風を肌で感じつつ内観していました。
聴こえてくる鳥の囀りもまた美しく、癒しを届けてくれます。
今日もありがとうございます♪
お茶のでがらし、燃えかすばかりをすべてだと信じてきたところから、ようやく抜け出しはじめた気もします。
俯瞰し、内観する。そして、霊的な解釈を試みる。それは、あらゆる日常の中に。単なるお伽噺が、霊的な示唆に富んだものへと変わり、そこから新たなるものを受けとる。
自宅裏の神社。その脇の小さなお堂。
その前に立ち、目を瞑り、手を広げ、右手に空海さま、左手にイエスさまと手を繋いでいるイメージを持って毎朝話かけていました。
そうすると、掌がぽーっと温かくなり、本当に手を繋いでいるような感覚になります。以前教わった、エネルギーを見たり感じたりするワークを拝読したとき、無意識に私も同じようなことをしていたのだなぁと思いました。気のせいかも知れませんが(笑)
真っ直ぐに求めるものが、はっきりとみえて来ました。姿形はありませんが、それは私の内に在りました。日々、これを求め、共にあります。ようやく歩みはじめたものと、どうぞ共にあって下さいませ。
日々の更新、ありがとうございます。
毎日が楽しい。たとえどんな嵐の中にあっても。
アートマンは不滅であると理解し、今世での学びを終え、輪廻転生して新しい肉体で霊性を高めていく。たとえ肉体がなくなろうとも今世での学びは、来世でも霊性の高まりへとつながっていく。だから、今、自分の心の中の悪しき部分と徹底して戦い滅すること、悪しき事悪しきものに対して毅然とした態度をとることが使い古した肉体を捨てることになる、アヒンサー(非暴力)でありたいと内観しました。
肉体から肉体へ。輪廻転生、魂は永遠の存在と解きながらも、それは感覚や感情など対象を伴う肉体的な次元に留まっている状態。
新たな対象、考え、目新しさ。視点が変わったというだけで、対象へ執着していることに何ら変わりはない。
意識、意思、選択、行為、そして自我。
片時の意識の執着。永遠に続く認識の連続。永遠という意識の中の、一体何処に結果があるというのだろう。