「クリシュナよ、知識が行動よりも勝れていると考えるなら、なぜあなたは私にこの恐
ろしい行動を強いるのか。(一)」
「あなたの錯綜した言葉に、私は困惑しているように思える。私が至福を得るためにたどるべき道を、はっきりと語りたまえ。(二)」
続きます。
すべての行いは、
決して無駄になることなどありません。
これらのことは、
「今」
地球の人々が
もう一度しっかりと再認識すべき
基本的な霊的知識だと思います。
「今」
地球の人々が
もう一度しっかりと再認識すべき
基本的な霊的知識だと思います。
古い制度が次々と崩壊し、
同時に古い考え方も崩壊し、
大きな混乱と共に
新しい風が吹き込まれ、
その中で
各自の霊性が問われています。
すべてが分離して
バラバラになり、
混乱するような物質世界に来た理由を
思い出してみることです。
混乱に翻弄されて
無意味に苦しむために来たわけではありません。
こんな混乱の中だからこそ、
自分の力を発揮して達成する
美しく崇高な目的があったはずです。
同時に古い考え方も崩壊し、
大きな混乱と共に
新しい風が吹き込まれ、
その中で
各自の霊性が問われています。
すべてが分離して
バラバラになり、
混乱するような物質世界に来た理由を
思い出してみることです。
混乱に翻弄されて
無意味に苦しむために来たわけではありません。
こんな混乱の中だからこそ、
自分の力を発揮して達成する
美しく崇高な目的があったはずです。
クリシュナは、
第二章において、
「肉体も死なせることも出来るし物質も破壊することもできる、でも霊的なものは不滅の存在である。」
と語り、
地上の曇った目で
物事すべてを判断しないように
アルジュナに注意を促しました。
第二章において、
「肉体も死なせることも出来るし物質も破壊することもできる、でも霊的なものは不滅の存在である。」
と語り、
地上の曇った目で
物事すべてを判断しないように
アルジュナに注意を促しました。
人の本質が
霊的存在出ることを理解すると、
この地上においても
自分に内在する霊性を
しっかりと発揮すべき環境である
との認識が生まれてきます。
霊的存在出ることを理解すると、
この地上においても
自分に内在する霊性を
しっかりと発揮すべき環境である
との認識が生まれてきます。
そうなると
まず
実行すべきことは、
自分の中で育った
すべての悪習、
すべての欲望と罪悪、
すべての利己的思想
といった邪悪な性質の一掃です。
誰でも、
そんな面倒くさいことはやりたくありません。
人は、
楽な方安易な方へと向かうと
堕落したままでいられるからです。
まず
実行すべきことは、
自分の中で育った
すべての悪習、
すべての欲望と罪悪、
すべての利己的思想
といった邪悪な性質の一掃です。
誰でも、
そんな面倒くさいことはやりたくありません。
人は、
楽な方安易な方へと向かうと
堕落したままでいられるからです。
でも
その堕落した環境こそが、
自らの霊的資質を発揮する最適な時期だったことを、
この聖典では
かつての聖地が邪悪な性質を持つ百人兄弟に支配され、
「今」戦場に代わってしまったことで
表現しています。
その堕落した環境こそが、
自らの霊的資質を発揮する最適な時期だったことを、
この聖典では
かつての聖地が邪悪な性質を持つ百人兄弟に支配され、
「今」戦場に代わってしまったことで
表現しています。
ここで
アルジュナは、
最大の試練に向き合っています。
でも
その戦いに勝たなければなりません。
最大の富は、
たいてい最も困難な道を辿った末に得られるものです。
アルジュナは、
最大の試練に向き合っています。
でも
その戦いに勝たなければなりません。
最大の富は、
たいてい最も困難な道を辿った末に得られるものです。
アルジュナは、
自分の霊的態度が問われている背後では、
クリシュナが指導者であり、
守護者として
しっかりと援護しているのです。
これは
私たちについてもいえることです。
霊的進化の道を歩んでいる時、
高次元の存在たちも
自分に内在する真我も
総力で援護していることになります。
自分の霊的態度が問われている背後では、
クリシュナが指導者であり、
守護者として
しっかりと援護しているのです。
これは
私たちについてもいえることです。
霊的進化の道を歩んでいる時、
高次元の存在たちも
自分に内在する真我も
総力で援護していることになります。
ちなみに、
ここでサンスクリット語の原典では
アルジュナは、
クリシュナのことを
最初に人を悩ます者(ジャナールダナ:ジャナ(人)+アルダナ(悩ます))
と呼び、
アルジュナが
クリシュナの言葉の理解に苦しむ様子が表現されています・
ここでサンスクリット語の原典では
アルジュナは、
クリシュナのことを
最初に人を悩ます者(ジャナールダナ:ジャナ(人)+アルダナ(悩ます))
と呼び、
アルジュナが
クリシュナの言葉の理解に苦しむ様子が表現されています・
そして次には、
美しい髪の者(ケーシャヴァkeshava)
と呼んでいます。
これは
髪の毛は、
体のどの部位よりも光に近いことから、
クリシュナが霊光の人であることを尊重している
表現をしています。
美しい髪の者(ケーシャヴァkeshava)
と呼んでいます。
これは
髪の毛は、
体のどの部位よりも光に近いことから、
クリシュナが霊光の人であることを尊重している
表現をしています。
髪は
エネルギーに関するアンテナの役割も担っています。
人間の身体をさかさまに見ると、
髪の毛が根、脳脊髄が幹、神経が枝、手足が大枝とした植物体に似ています。
ホメオパシーで
主に神経系の疾患の治療に有効なセイヨウオトギリソウは
人の神経細胞にとてもよく似ています。
最近になって
植物同士が根を通して、
お互いに交流していることが
科学的にも証明されています。
聖書でも
サムソンがデリラに髪の毛を切られてしまい、
自身の怪力を失ってしまう話が
髪の毛の能力を象徴的に語っています。
エネルギーに関するアンテナの役割も担っています。
人間の身体をさかさまに見ると、
髪の毛が根、脳脊髄が幹、神経が枝、手足が大枝とした植物体に似ています。
ホメオパシーで
主に神経系の疾患の治療に有効なセイヨウオトギリソウは
人の神経細胞にとてもよく似ています。
最近になって
植物同士が根を通して、
お互いに交流していることが
科学的にも証明されています。
聖書でも
サムソンがデリラに髪の毛を切られてしまい、
自身の怪力を失ってしまう話が
髪の毛の能力を象徴的に語っています。
ベトナム戦争時に、
北米先住民たちを対象に
テレパシー実験を行っています。
テレパシー能力に優れた者たちを
戦場に送り込む時に、
他の兵士たちと同様に
坊主頭に髪の毛を剃りました。
すると
すべての先住民兵士たちのテレパシー能力が消えてしまった
という記録があります。
北米先住民たちを対象に
テレパシー実験を行っています。
テレパシー能力に優れた者たちを
戦場に送り込む時に、
他の兵士たちと同様に
坊主頭に髪の毛を剃りました。
すると
すべての先住民兵士たちのテレパシー能力が消えてしまった
という記録があります。
なぜ
第一チャクラと第七チャクラの近くには
毛が多く残っているのか、
また
頭の毛と下の毛ではどうして毛の構造が違うのか、
体感によって理解してみてください。
さまざまなアンテナが、
独自の周波数を受け取れるように、
毛の構造の違いで受け取る情報も違います。
だから
髪の毛と体毛の構造にも違いがあります。
第一チャクラと第七チャクラの近くには
毛が多く残っているのか、
また
頭の毛と下の毛ではどうして毛の構造が違うのか、
体感によって理解してみてください。
さまざまなアンテナが、
独自の周波数を受け取れるように、
毛の構造の違いで受け取る情報も違います。
だから
髪の毛と体毛の構造にも違いがあります。
クリシュナは、
アルジュナ自身が撒いた種を
代わりに刈り取ってあげることはしないものの、
アルジュナ自身が
しっかりと刈り取れるように導いてくれます。
クリシュナは、
宇宙の完璧な法則であり、
誰かの代わりに手助けしてくれるわけではありませんが、
常に導きの光を放っています。
アルジュナ自身が撒いた種を
代わりに刈り取ってあげることはしないものの、
アルジュナ自身が
しっかりと刈り取れるように導いてくれます。
クリシュナは、
宇宙の完璧な法則であり、
誰かの代わりに手助けしてくれるわけではありませんが、
常に導きの光を放っています。
次は
スリー・クリシュナ
「アルジュナ(穢れなき者)よ、この世には二つの道があると、私は初めに述べた。思索を好む者には知識の道(ジュニャーナ・ヨーガ)があり、実践を好む者には行動の道(カルマ・ヨーガ)がある。(三)」
よく内観してください。
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コメント
コメント一覧
以前はけっこう霊能者巡りをしてまして、数年前に
保江邦夫さんの紹介していた「麻布の茶坊主」さんに
相談に行きましたが、彼は「スキンヘッド」でした。
そのとき、私の母親のことを「最近けっこう明るい顔になっていませんか」と問われ、「はい」と答えると
いま、彼女に守護霊が集まって来ていて、それはこの世を去るときが近づいているからです。…と言われました。
来年の夏まで、もつかどうか…とのことで、覚悟していましたが、数年たった今も元気です(笑)
その後会ったとき、そのことを言いましたら、「ああ、まだ心配事があって、死ねないようです」…と言われました(笑)
心配事は、私のことみたいです(笑)
ちなみに、私は母親とは「犬猿の仲」です(泣)
それはけっこう幼い頃からです。
また兄弟もいなくて、父親とはほとんど会話がありませんでした。(父が死んだ時、悲しみがまったくなかったのはそのせいかもしれません)
わたしが「人間以外の動物が大好き」なのは、多分そのためかもしれません。
つまり「人間があまり好きではない」です(お前も人間だろ…)
これは霊性修行の最大の障害かもしれません。
たとえば、昔の良家の子女に見せるための手習いとしての書道はかなり吹き飛んだ感があるけど、エンタメや自己表現、漫画への転身といった形で戻ってきていますね。
吹っ飛んで消えてしまうものとは、それが通用していた時代や社会の要求にはかなっていたのかもしれないけど、たぶん「本質的に誤りだった」のだと思う。その本質的に誤りかどうかは、それと関わった人が何か充満した喜びのような感覚を持っているか否かではないかという気がする。最近は料理学校全盛で徒弟制度がすたれつつあるけど、とある寿司屋で、握る大将の一挙一動を見逃すまいと凄い目つきではりついている職人さんを見ると、ほのかにじわっとくる思いがした。
時期が来れば崩壊するのは自然の流れ。せめて間違ったものと自分を同化しないように。断ち切ることができるようでいたい。
スピリットの受け継ぎが、社会的になるとエグくなりますね。皆さんも、色々思い当たることがあると思う。
歳を重ねるにつれて、髪が薄くなったり、髭が生えたりするのは何故でしょう?
体毛が濃い人もいれば、ツルツルの人もいる。
最近私は、耳毛が伸びて、眉毛が長くなって来ました(笑)
体毛の変化は、周波数の変化?
下の毛は比較的固く、コイルの様です。発電機みたいだなぁ…
形を変えることで受け取るものが変化する。
印を結ぶこと、ヨガのポーズにも、同様の働きがあるのかも。
散髪してイメージが変わるのは、受け取る周波数が変わるから。パーマをかけたり、色を変えたり。着るものひとつでも、変化はあるだろうなぁ。
黒髪から白髪へ。
そこにも何かを感じます。
更新、ありがとうございます。
森井先生は、私の中で何となく散髪嫌いそうなイメージです。(笑)
散髪も、隠れた御神事かも知れない。
もちろん、外見だけ変えてもダメ。
心の在り方と実践。真我との一致が「結果」として現れたもの(結果に執着していない)であるのことを、忘れずにいたいです。
それでも、今の時代=空間のエネルギー密度は増してきているけれども、比べるに軽さを感じられるから、『アンテナは長さではなく、感度の良さ=心地良い快適さ』であると思います✨
よって私のこのところの不快感は、図らずして作り出してしまったアンテナ📡の感度の悪さをも意味しています。
続く
毎日必須の洗髪の環境負荷を考慮して石鹸シャンプーとコンディショナーにして数年となりますが、髪の軋みとゴワつき感も不満のタネ😰💢・・・とっても疑問も持ちながらの毎日です❗
ヘアダイに関しても、自身の心地よさを黙らせて(お勤め時は生え際白髪隠しで痒眼→止めたらクセが其処だけフニフニ😵)染めたり、身体的ダメージ考慮で染髪断念・・・う〜ん実に難しくて悩ましい日々なのです😓❗
体毛だってどれほど苦労してきているか・・・
「身の毛がよだつ」よな、世は断たれた(世断つ)ので、有り難くて嬉しい私です✨☺️💞🙏