「私はこの不滅のヨーガをヴィヴァスヴァット(太陽神)に伝え、ヴィヴァスヴァッ卜はこれをマヌ(人類の始祖)に説いた。マヌはこれをイクシュヴアーク(太陽王朝の初代の王)に語った。(一)」
続きです。
太陽神ヴィヴァスヴァットは、
太陽神の一柱であり、
太陽を司る高次元の存在です。
太陽神の一柱であり、
太陽を司る高次元の存在です。
クリシュナが、
太陽神に伝授したということは、
この宇宙の創世と共に
「バガヴァッド・ギーター」で語られた叡智が
伝えられていたということを示しています。
太陽神に伝授したということは、
この宇宙の創世と共に
「バガヴァッド・ギーター」で語られた叡智が
伝えられていたということを示しています。
その太陽神から
人類の始祖であるマヌに伝授され、
そこから
マヌは息子のイクシュヴアークに伝え、
さらに
人類の歴史と共に口伝されていったことが明かされます。
人類の始祖であるマヌに伝授され、
そこから
マヌは息子のイクシュヴアークに伝え、
さらに
人類の歴史と共に口伝されていったことが明かされます。
つまり
この聖典の神髄は、
時空を遥かに超えた存在によって
地上にもたらされた創造神の叡智の中でも
最も高位のものであり、
人類が地上に下りてきた太古の時代から
すでに存在し、
受け継がれてきたことを意味しています。
この聖典の神髄は、
時空を遥かに超えた存在によって
地上にもたらされた創造神の叡智の中でも
最も高位のものであり、
人類が地上に下りてきた太古の時代から
すでに存在し、
受け継がれてきたことを意味しています。
日本では、
大元の神から人へと教えを伝えていく智慧を
「祖神垂示の薫陶」(そしんすいじのくんとう)
と称します。
日本人は、
常に神々からのメッセージを
貴重な教えとして
受け取る姿勢があったことがわかります。
大元の神から人へと教えを伝えていく智慧を
「祖神垂示の薫陶」(そしんすいじのくんとう)
と称します。
日本人は、
常に神々からのメッセージを
貴重な教えとして
受け取る姿勢があったことがわかります。
この「祖神垂示の薫陶」も
クリシュナがこの節で示したものと同様に
クリシュナがこの節で示したものと同様に
時間軸のある世界と
時間を超越した世界の両面から
解釈することが出来ます。
私たちは、
このように古い時代を振り返ることを、
古の世を読む
という意味で、
コヨミ(暦)
と呼んでいます。
このコヨミは、
過去を振り返るだけでなく、
今の世を読む(コヨミ)と
来る世を読む(コヨミ)が合わさり、
今この瞬間の私たちの行動指針として
使われているという意味が込められています。
このように古い時代を振り返ることを、
古の世を読む
という意味で、
コヨミ(暦)
と呼んでいます。
このコヨミは、
過去を振り返るだけでなく、
今の世を読む(コヨミ)と
来る世を読む(コヨミ)が合わさり、
今この瞬間の私たちの行動指針として
使われているという意味が込められています。
この宇宙が始まった創世期から現代までに伝えられている神の叡智の流れは、
そのまま
私たちの中でも今この瞬間も起きていることなのです。
そのまま
私たちの中でも今この瞬間も起きていることなのです。


コメント
コメント一覧
コヨミ、とても深い意味があるのですね。
漢字でなく、発音で感じると別の世界が広がっていくようです。
12日間、楽しみです。
12という日数,深い意味があるのですよね?
あの山を越えると知っている場所に出る氣がするが、今は、登る体力ないと、判断し、とりあえず、大きな駅を目指して、でも、駅名がきいたこともない駅、今、何処にいるのか分からなくて、タクシーも呼べない。
そうだ、電話して、聞いてみよう。
お仕事中で、繋がらないかもしれないとおもうがでも、まあ、とりあえず、してみようと考えた。
ここまででした。
大変興味ぶかいものです。
だんだん佳境に入っていく印象ですが、まだ第4章で、残りは14章もありますね。
これは、たいへん壮大なものになるのかもしれません。
知識というと、私は現在一つの事象(…枠チン)の知識を、約一年くらい継続的に探求し続けていて、そういう人は多いようですが、こんなことは私も生まれて初めてです。
やはり人の命や生活に関わることには、興味を持って知識を蓄積せざる終えません。
そしてそれはあくまで、外部の事象に対してです。
自分の内的な魂の成立にかんする知識は、やはり「ギータ」に教えを得なければならないようです。
言霊のさきはふ国にうまれ、
今このときに
森井先生の「神の詩」精解を学ぶ
機会に恵まれ沁々幸せを感じます。
今日もありがとうございます。
そこに共通する叡智を見つけること。ヨガナンダ大師をはじめとするパラムグルという存在から脈々と流れ、受け継がれてきたものをここに感じます。
ギーターと神道。
森井先生が聖書のみならず、聖典を持たないこのかんながらの道にも、紐解く道筋をつけられていらっしゃるのだと。
ギーターが、単なる情報や法律ではなく、あらゆる事象に内在する真理そのものであるが故に、時にそれは鍵となり、地図となり、設計図となり、羅針盤となり、鏡となり、私そのものとなる。
ギーターは、すべてを内包している教えのようでいて、一方であたかも道具のように使いこなせる物指しや地図のようでもある。
ギーターは、私というものをよりよく知る為の解体新書なのかも知れない。あまりに自然に、当たり前過ぎて、それが起こっているとさえ認識されない、私の内側で起こる数々の事象。そのメカニズムを解く叡智と鍵、そのものが全ての存在の内に宿り、絶えず働いている奇跡。
知らなくても、そうなってる。使い方なんて分からない。勝手に、そうなってる。分からなくても大丈夫だけど、でも知りたい。
知りたい。私って何なんだろう。
最も身近で、最も深淵なもの。私という働きを。
バガヴァッド・ギーターが「この宇宙の」時空間を超えて存在し、故に有効であるということを理解することができました。
但し、バガヴァッド・ギーターは何処に端を発するかとなれば、「この宇宙の外」ということになると解釈して宜しいのでしょうか?
これまでずっと疑問に感じてきておりましたことなのですが、なかなかお問い合わせ迄には至らずに参りました。
出自云々は問題に非ずと一笑に付されてしまえば、それまでのことゆえ、是非は問わずではありますが‥‥‥。