続きです。
内側からの真の師は、
内側からの語りかけの他にも、
外側の世界の意外な出来事によって
示されることもあります。
内側からの語りかけの他にも、
外側の世界の意外な出来事によって
示されることもあります。
「師は、弟子の準備が出来た時に現れる。」
とは、
低次の自我を克服し始め、
真我を探求できる段階になったら現れる
という意味には、
外側と内側の師の意味があるのです。
とは、
低次の自我を克服し始め、
真我を探求できる段階になったら現れる
という意味には、
外側と内側の師の意味があるのです。
外側の師であれ、
内側の師であれ、
受ける側の準備が必要です。
美しい極彩色の光景も、
見ることを拒む人に見せることが出来ません。
酒を飲みたくない人を、
酒場に連れていくことは意味のないことです。
嗅覚を失った人を香道にお誘いして、
誰が得をするのでしょうか。
内側の師であれ、
受ける側の準備が必要です。
美しい極彩色の光景も、
見ることを拒む人に見せることが出来ません。
酒を飲みたくない人を、
酒場に連れていくことは意味のないことです。
嗅覚を失った人を香道にお誘いして、
誰が得をするのでしょうか。
この地上世界でのさまざまな出来事を通して、
自らが
霊性を求めるようになるまで
待つしかありません。
自らが
霊性を求めるようになるまで
待つしかありません。
この最高の「師」
についての的確な説明は、
バガヴァッド・ギーターにも記載されています。
についての的確な説明は、
バガヴァッド・ギーターにも記載されています。
「私は目標であり、
維持者であり、
主神であり、
目撃者であり、
居所であり、
避難所であり、
友であり、
宇宙の起原であり終末であり、
すべての基礎であり、
宝庫であり、
不滅の種子である。」
第九章十八節
維持者であり、
主神であり、
目撃者であり、
居所であり、
避難所であり、
友であり、
宇宙の起原であり終末であり、
すべての基礎であり、
宝庫であり、
不滅の種子である。」
第九章十八節
釈迦大師は入滅の時、
「自燈明、法燈明」、
つまり
「自らの真我、そして宇宙の法則を灯り(師)として生きなさい」
と述べました。
「自燈明、法燈明」、
つまり
「自らの真我、そして宇宙の法則を灯り(師)として生きなさい」
と述べました。
私たちには
内在する神が常にいることを忘れてはいけません。
内在する神が常にいることを忘れてはいけません。
「私たちに内在する真我には、至高霊が遍満し、光を放っています。」
「神(アートマン)は、
最も微細にして、
最も巨大でもあり、
すべての生物の心臓の空洞に宿っている。」カタ・ウパニシャッド1-2-20
最も微細にして、
最も巨大でもあり、
すべての生物の心臓の空洞に宿っている。」カタ・ウパニシャッド1-2-20
続きます。
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コメント
コメント一覧
今日はそれを改めて感じさせられることがありました。
そして、こちらでまたそれを学ばせてただけることに感謝します。
内なる神があるにも関わらず、多くの人が劣等感を抱く。強い信念で己を否定する。
ならば劣等感を生き切ってみてはどうか。
常に内なる神とともに。
原因は、、空を見れば、薄紫色の空に巨大宇宙船が、クラゲの透明感で無数にいたり
星が・・色々な形になって遊んでくれたり・・こんな体験が読書で探求の道になりました
今は。。予知夢・空の雲が<地8>これは8に地震がおこる、
こころ楽しく生きるが一番大切だと思います・・真善美
ハートの空間に無限のスペースがある。
しっかりと姿勢をとった瞑想も日拝も実践していない私の発言に憚りを感じないでもありませんが(とはいへ超短時間のグラウンディングや祈りなどは致しております)、
私の中のハートの無限の空間を感知できるようになれたのは、
憚り有ろう(とジャッジされるであろう)私でさへ受け入れることのできた時でした。
未だマインドは旧態の慣性を色濃く残しているが為、私のそれはブレブレです。
語弊が無いとは言えませんので、ここで止めおきます。
コメント寄稿をご容赦くださいませ。
ありがとうございます。