続きです。
ババジがある人を弟子としたときの様子が、
パラマハンサ・ヨガナンダ大師によって
「あるヨギの自叙伝」に収録されています。
パラマハンサ・ヨガナンダ大師によって
「あるヨギの自叙伝」に収録されています。
ある時、
険しい崖の上に滞在していたババジと弟子たちの元へ、
一人の男がやってきました。
彼は
ずっと
ババジを求めて
岩山を彷徨っていたのでした。
ようやくババジを見つけた男は、
「あなたがババジに違いありません。私を弟子にしてください。」
と懇願しました。
険しい崖の上に滞在していたババジと弟子たちの元へ、
一人の男がやってきました。
彼は
ずっと
ババジを求めて
岩山を彷徨っていたのでした。
ようやくババジを見つけた男は、
「あなたがババジに違いありません。私を弟子にしてください。」
と懇願しました。
ババジは沈黙を続けます。
すると男は、
「もしも弟子になれないのであれば、
今すぐこの崖から飛び降ります。
弟子に成れないのであれば、
生きている意味がなくなります。」
と言います。
「もしも弟子になれないのであれば、
今すぐこの崖から飛び降ります。
弟子に成れないのであれば、
生きている意味がなくなります。」
と言います。
ババジは、
「では飛び降りるがよい。」
と言います。
「では飛び降りるがよい。」
と言います。
その言葉に従って、
彼は崖から飛び降りて
即死しました。
彼は崖から飛び降りて
即死しました。
ババジは、
この一連の様子を見ていた弟子たちに、
男の遺体を回収してくるように
指示しました。
弟子たちが
ババジの元へ
無残な姿になった遺体を運ぶと、
ババジは
そっと手を当てたのです。
この一連の様子を見ていた弟子たちに、
男の遺体を回収してくるように
指示しました。
弟子たちが
ババジの元へ
無残な姿になった遺体を運ぶと、
ババジは
そっと手を当てたのです。
その瞬間、
遺体となっていた男は蘇り、
ババジの足元にひれ伏しました。
遺体となっていた男は蘇り、
ババジの足元にひれ伏しました。
ババジは、
「これでお前は弟子となる資格が出来た。
お前は勇敢に、
この厳しい試練を克服した。
死が二度とお前を訪れることがないであろう。」
とにこやかに述べた
という逸話が記されています。
「これでお前は弟子となる資格が出来た。
お前は勇敢に、
この厳しい試練を克服した。
死が二度とお前を訪れることがないであろう。」
とにこやかに述べた
という逸話が記されています。
続きます。
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コメント
コメント一覧
師も内在神も見ているというということですね。
すべての生命には
見護っていてくださる存在があるのだと思えます。
ありがたいことです。
せっかく出会えたのに、死んでしまっては意味が無いではないか、と。
しかし、死が終わりでないという体感あるいは直感を既に持っていた、というのであれば話しは違ってくる。
そのとき、話しの筋は通る。
そうすることによって、相手が変わる。相手が、カラスは黒いのだと気が付くことができるのだと、解釈した自分でした。
少し、この話とは違う気がしますが、共通点はあるような気がします。
2巻が、今、読み終わりました。2巻は、初めの辺りと、終わりのところが、とても、強烈でした。初めの辺りは感情が揺さぶられ、終わりのところは、頭脳が揺さぶられた感じです。
ほとんど、2度読みの習慣のない、私なので、2度読みになる、3巻目が、色んな意味で、興味深々というところです。
友人の新築祝いに、神の詩、1,2,3巻は、如何でしょうと、電話したら、とても喜んでいました。そのうち読みたいと、思っていたと、そう感じたので、正解でした。
「魂の死」ですよね‥‥‥‥?!
でなければ師事(死事)した意味がない
ですものね(!?)
命あっての物種‥‥そこに於いての魂の在り方を、問いシメシタのでしょうね
そしてこれは、究極的には
『己の内(なか)のこと(ものがたり)』
でもあるのでしょうね